munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2008年02月

29 2月

緊急特別編~美章園温泉内部見学会 その2

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美章園温泉の浴場はかなり広い。

写真2枚目の奥に写っている浴室の入り口の回りは御影石だそうな。

東京出身のアタシの目に奇異に写るのは、浴槽が真ん中にあることだ。

美章園の浴槽はかなりたくさんあるのだが、メインとなる浴槽は

男湯、女湯共に真ん中にある。(写真3枚目)

柱のタイルも、美しい。(写真4枚目)

1枚目の写真の上の方に見える四角くて白い部分は、湯気抜きの窓だ。

男湯と女湯の天井の中間にあるのだが、このような造りも珍しい。

浴室の奥には、サウナ室や水風呂、薬風呂などの浴槽もある。

これは後年、作られたのだとは思うのだが・・・

若干、男湯の方が広くて明るいのだが、これは構造上、万が一、

外から覗かれた時のことを考えて、男女の浴室の配置をしてあるのだろう。

脱衣場に戻ると、すでに牛乳の保冷ケースは撤去されていたが、

牛乳の料金表がまだ残っていた。(写真6枚目)

この表から推測すると、森永牛乳が販売されていたのだろう。

A牛乳というのは、森永牛乳のブランドだ。マミーの名前もある。

このあと、いったん銭湯の外に出て、横の建物の玄関から

ダンスホールに移動するのだが、写真が増えてしまったので

続きは次回の更新時に・・・
28 2月

猫様 in 尼崎 その2

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『その1』に登場したトラちゃんのすぐ近くに
いらっしゃった猫様で、トラちゃんの飼い主さん曰く、
裏のお宅で飼われている「タマちゃん」という猫様だそうな。
トラちゃんの飼い主さんが名前をしきりに呼んでいらっしゃったのだが、
タマちゃんは裏手の自宅の方へ戻って行ってしまった。









27 2月

寺西牧場の箱

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大阪の阿倍野区で見つけた箱。
寺西牧場と書いてある。
昭和37年(1962年)当時の資料では、確かに
阿倍野区の桃ヶ池付近で営業していたようだ。
サニタリ牛乳と書いてある。
衛生牛乳のような物だろうか??
現在ではこの牧場は存在していない。
いつ頃、なくなったのかもわかっていない。
だが、これも軒下にあったために保存状態はとても良い。



(株)寺西牧場 
大阪市阿倍野区桃ヶ池町2-43








26 2月

緊急特別編・・・美章園温泉内部見学会 その1

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2月の活動は3月にずらす予定になっていたのだが、

大阪の美章園温泉が取壊されることになり、急遽、内部見学会が

行われることになったので、サークルのメンバーたちと行ってみた。

だが、急な話だったので体調の悪い者や予定の入っている者、

また、参加希望だったのだが連絡が遅れ、申し込みに間に合わずに

見学に行けなかった者もいるので、こちらのサークルの書庫に

アップすることにした。

JR阪和線の美章園駅のすぐ近くに「美章園温泉」はある。

いただいた資料によると昭和8年(1933年)頃の竣工。

施工は、大工の棟梁「大富」で、設計は不詳とのこと。

「大富」は今里新地の建築をかなりの数、手がけていたそうな。

昭和4年(1929年)から4年かかって竣工した。

RC造2階建で登録有形文化財だったのだが、指定文化財でないために

解体などもできるそうだ。

この見学にあたって、事前にブログでのアップについて問い合わせも

行っていたのだが、「解体反対」とか「誹謗中傷」「バッシング」など

を招く内容以外であれば構わないという返事をいただいていた。

当日、見学会で渡された紙にも、同様の注意事項が書かれていたので

あくまでも、見学会の記録ということでこのブログにおいて、

建物の解体の賛否については一切、触れないことにするので

ご了承願いたいと思う。

写真1枚目は正面からの美章園温泉。

4枚目は女湯の脱衣場から番台を写した写真だ。

写真5枚目は逆に脱衣場を写したのだが、天井の塗料がかなり褪せて

しまっているのが写真からもわかると思う。

脱衣場は天井も高く、柱もアカンサスの葉の模様になっている。
(写真6枚目)

ちっと写真が増えてきてしまったので、続きは次回の更新時に・・・










25 2月

本町ビル(旧椿本ビル)

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2006年の2月のサークルで尼崎に行った時には、
まだ「椿本ビル」というビル名で、色も煉瓦色だった。
ちょうど、パソコンに入れていた写真データが消えてしまって
サークルの資料に使ったかなり小さいサイズの写真しか
残っていなかったので、写真の撮り直しに先日行ったところ、
ビルは煉瓦色からグレーに塗り変わっていた。
ビルの名前も、そのビルの所在地にちなんで「本町ビル」と
名前を改めたとのことだった。
たまたま、ビルのオーナーさんが外に出ていらっしゃったので
お話を伺ってみたところ、去年から補修工事を行っており、
現在も工事中なのだが、5月以降には完璧に仕上がるとのこと。
外壁の色も竣工当時の色に塗りなおしたそうな。
立ち去った後に、ビルのオーナーさんが追いかけて来てくださって
そのビルの歴史を書いた紙をコピーしてくださった。
以下はそのコピーした紙に書いてあった文章だ。

「当ビルは1916年(大正5年)旧尼崎共立銀行本店として建築された。
 その後、山口銀行尼崎支店となり、1936年(昭和11年)
 三和銀行尼崎支店となる。現在、本町ビルとして継承され、
 尼崎における初期の鉄筋コンクリート造り建築物として貴重な
 存在である。

 幕末や 尼の城主の桜井氏、 事業残せし椿本ビル

 と、詠われていることから桜井家の関与が伺い知ることができる。」


この建物に関しては、建築と文化を愉しむ会の活動報告にもあるので
ぜひ、参照していただきたい。
大正12年(1923年)に現在の場所に新築という記録も実はある。
この歌に関しては、アタシ自身も以前、書いたことがある。
現在のオーナーは約28年前に買い取ったそうなのだが、
あと100年もたせるつもりで、現在補修、補強工事中だそうな。
工事が終わったら、中を見学させていただけるとおっしゃって
くださったのが今からとても、楽しみである。
 

2006年2月当時のこのビルの記事
  ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/27462389.html

(かなり写真が小さいが、以前あった階段も取り払われているのがわかる)


歌に関する記事
 ↓

http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/27913823.html








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