A先生と知り合ったのは、奈良の今井町だった。
先生の深い知識に魅了されて、無理にこのサークルでのレクチャーを
お願いするようになってかなり経つ。
かなりお忙しいお方だし、年齢のこともあるので年に数回しかお願いできないのだが
以前、飛鳥時代の仏像、仏教に関してのお話をしていただいたので、
今回はその次の平安時代の仏教に関してのお話を伺うことにした。
ちょうど桜の美しい季節だったことあり、奈良と京都の境にある岩船寺と
浄瑠璃寺に行くことになった。(実際は京都になるのだが・・)
京都の木津川周辺には、銭司(ぜず)という土地があって、
近辺で産出された銅を使っての日本最初の造幣局のようなものがあった。
この岩船寺の近隣の豪族たちは、銅で儲けたお金で寺を建立した。
それが浄瑠璃寺などだそうだ。
民間人が建立した寺は氏寺(うじでら)と言うそうな。
東京の地名にもある「国分寺」。
日本各地にこの国分寺はあるのだが、それらは奈良時代に建立されている。
国が建立したから、国分寺だそうな。
国分寺→国 氏寺→民間
奈良からバスで岩船寺に行くのだが、途中、磨崖仏などを見ながら山道を歩く。
当尾と呼ばれる地区があって、そこにはかなりの石仏群や磨崖仏がある。
写真は三体地蔵と呼ばれるもので、
900年~1000年くらいの間に作られた
ものだそうな。ちょうど平安時代だろうか。
山道をひたすら歩いて岩船寺に近づく頃、足元に木の実がやたらと落ちている
のに気がつく。何の実かと思ったら、椋の木の実だそうだ。
これが黒くなると、羽子板の玉の部分になるそうな。
岩船寺の近くの老婆に教えていただいた。
近すぎて、ピントが合わなくなってしまったが
実の雰囲気はわかると思う。
岩船寺周辺に来ると、近隣の方々は作られた
漬物や煎餅、梅干などの露店が数多く立ち並ぶ。
露店と言うよりは、無人の場合が多く
たいていは、欲しい品物をとった後に函に
お金を入れて帰るようになっている店が多い。
岩船寺に行く前に老婆のいる店で
煎餅や梅干を購入したら、
みんなで食べろと購入した以上に
大量の煎餅をおまけしてくださり、
かえって申し訳ない気もした。
この岩船寺はこの次に行く
浄瑠璃寺よりも170年ほど古い
のだが、火事で焼失しており、
本堂は昭和になってから
再建したものだ。
左は鎌倉時代に僧が体を清めたと言われている石風呂だそうな。
この石風呂を横目に石段をあがると、すぐに本堂がある。
昭和になってから再建された本堂なので
周囲との調和を図るために、柿渋を塗って
古さを出したそうな。
アタシの記憶だと柿渋はタンニンだから
防虫効果もあるはずなので建物にも良いのではないだろうか。
この岩船寺の仏像は宇治の平等院よりも107年古い物だそうで、
欅の一木で作った仏像だそうな。
胎内銘は946年となっており、胎内銘のあるものとしては最古のものだそうだ。
体が金色で、身にまとっている衣の仏像で、この時代以降はすべて
金一色の仏像の時代になるそうな。
ゆえに衣が赤い仏像はかなり古い時代の物と考えて良いそうだ。
左は、鎌倉時代に作られた不動明王像。
横に咲いているのは何の花だかは
忘れてしまった・・・・
不動明王は、怖い顔をして鬼を払うとのこと。
真言宗によく出てくる「大日如来」。
その「大日如来」の身代わりで人間の救済に出てくるのがこの「不動明王」だそうな。
ちょっと、長くなってきたので続きはまた次回に回したい。
なぐり書きのメモを見ながら思い起こしての更新なので記憶が残っているうちに
この活動報告だけ連続して更新するかもしれない。
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