munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

建築と文化を愉しむ会~東京編

23 11月

1年ぶりの東京活動☆上野~日銀本店 その3

三越から日本橋を渡り京橋方面へと歩く。
高速道路の下にある「日本橋」を渡ってすぐに野村証券の建物、
その向こうの東急百貨店のあった場所にコレド日本橋が見える。
イメージ 4イメージ 5野村證券の建物や
日本橋は非常に有名なので
どこのサイトでも素晴らしい
写真が見られると思うので
あえて日本橋室町方面から
日本橋の向こうを見た写真を撮ることにした。
 
 
 
ちょうど、この時は日本三大祭りの一つの日枝神社の山王祭りの翌日だった。
野村証券の前に提灯がたくさん掲げられており、それの撤去作業準備中だった。
江戸三大祭りも、この山王祭りが筆頭となっている。
 
(ちなみに江戸三大祭りは、山王祭り、神田祭り、深川祭りであって、
 浅草の三社祭りはその中には入っていない。
 近年、間違って報道するマスコミがあまりにも多いためにあえて記しておく。)
 
この野村證券の建物は昭和5年(1930年)竣工。
安井武雄氏の設計。大林組が施工。
 
イメージ 6
そして、すぐにコレド日本橋。
平成16年(2004年)竣工。
設計は、日本設計、東急設計コンサルタント、
      コーン・ペダーセン&フォックス(アメリカ)。
施工は清水建設、三井建設、東急建設。
 
以前は、東急百貨店だった場所に新しく建てられたビル。
東急百貨店、その昔、白木屋という名の百貨店だった。
昭和7年(1932年)の起こったこの白木屋デパートの
火災がきっかけで日本女性の下着改革が起きたのは
あまりにも有名な話なのだが、そんなことをD女史に話す。
 
そういえば、かつて東急百貨店時代には入り口の右側に「白木の名水」が
滾々と湧き出ていて小さいながらも、ファウンテンのようなものがあった。
今はもう、水は断たれてしまったようで石碑だけが中に残っているそうだ。
祀ってあった白木観音様は浅草寺の敷地内に祀りなおされた。
 
そして、その反対側の道には明治屋のビル。イメージ 7
昭和8年(1933年)竣工。
設計は曾禰中條建築事務所、施工は竹中工務店。
 
 
昭和7年(1932年)に東京地下鉄道の駅が開業。
三越百貨店が「三越前駅」を作ったのと同様、
費用の一部を明治屋が負担してこの「京橋駅」ができた。
そのため、車内アナウンスでもこの京橋の場合は
京橋・明治屋前というアナウンスがあるのもよく知られている。
 
 
この建物も有名なので素晴らしい建築写真は
他で検索していただければたくさん見ることができるはずだ。
 
ここを過ぎるとすぐに京橋。
今は暗渠となった京橋川にかかる橋の親柱がまだ残っている。
明治時代の親柱もまだ残っているが、今回はわざと大正時代の親柱に注目した。
イメージ 8イメージ 1
 
大正11年(1922年)
に架け替えられた京橋の
親柱がまだ残っている。
 
そしてそのすぐ近くには
銀座1丁目交番(通称京橋交番)がある。
 
交番の屋根の部分と親柱の
上部が極似している。
 
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは、昭和59年(1984年)に築地警察の署員からデザイン募集をした際に
提案されたデザインを基に大成建設の桜井凱昌氏が設計をしたものだそうな。
 
そして、このあとこの交番の斜向かいのコージーコーナーで休憩をし
話し込んでいるうちに時間が迫り、今回はこのコージーコーナーの喫茶室にて
解散ということになった。
 
次回は、一昨年アタシが1人で行った防衛省の見学かはたまた皇居の見学か??
いつになるのかわからない。
東京には年に何回も帰省するのだが、滞在日数が少なすぎて
すべてのスケジュールをこなせない。
会いたい人もたくさんいらっしゃるが、すべての人と会っているだけの時間がない。
そのためにD女史にはいつもご迷惑をかけてしまい、
なかなかじっくり東京でのサークル活動ができないでいる。
今度も、またじっくり歩いて見て回りましょうね。
その時は、東京活動のためだけの日を1日作りますから訪問先は乞うご期待!
 
 
14 9月

1年ぶりの東京活動☆上野~日銀本店 その2

 
神田須田町から今川小路を抜け、日銀へ。 イメージ 1
この近くに架かっていた今川橋のたもとで販売されていたのが「今川焼き」だそうな。
Dさんは関西出身なので、「今川焼き」というよりも
「回転焼き」と言う言い方の方が馴染みがあるかも知れぬ。
だが、東京では「今川焼き」というのだという、
どうでも良いことをDさんに話しながら、日銀の見学時間には
まだ少し早いので中央通りのレストラン東洋で昼食を摂る。
 
日銀本店は、決まった場所しか写真撮影は
許可されていないので、ネット上で見られる定番の写真しか
撮っていない。
日銀本店の場合は、最初にビデオを見させられるのだがこの2年くらいで
見学者視聴用のビデオの内容が大幅に変わったようで、
以前のビデオに比べて、大変わかりやすく、かつ濃い内容のものになっていた。
かんたんな経済のしくみなども、このビデオなら理解できる。
以前のビデオよりも数段、良い内容だった。
 
見学場所は以前と全く同じなのだが、担当者が違うからか??
それともガイド内容を変えたのか?
説明内容も濃厚で詳しくなっていた。
 
イメージ 2
 明治29年(1896年)築
辰野金吾氏設計。
直営施工。
石積煉瓦造、花崗岩張。
 
着工から6年近くかけて
建てられたものだそうな。
 
 
 
 
 
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8馬車を使ってのお金の
運搬などを行っていたので
馬のための水飲み場も
まだ、中庭に残っており
日銀の「目玉マーク」も
横についている。
イメージ 9
 
 
 
 
 
 
 
大阪の日銀よりも、規制が厳しく写真なども撮らせてはもらえないのだが、
以前に比べて、説明の内容も詳しくなっており見ごたえは充分だ。
やはり、詳しい説明を聞かないとただ、古い建物を見るだけになってしまうから。
今回は、歴代総裁の肖像画が掲げられている場所での説明が
前回と違って興味深かった。
誰が総裁に就任していたかではなく、どの時代にどういう地位にいた人、
どういう関連企業にいた人が就任していたのかを振り返ると
この国での力関係がなんとなく見えてくるような気もした。
また、しばらくしてから見学に行けば違った説明を聞くこともできるだろう。
 
尚、日銀の建物は上空から見ると「円」の形になっているのだが、
建築当初の「円」は旧漢字の「圓」なので、後年になって生じた偶然の一致だそうな。
 
日銀本店に関しては詳しくは日銀のHPを参照していただくのが一番だ。
写せなかった写真も載っているし、正しい説明もある。
 
       ↑
(このページの左にある「日銀バーチャルツアー」は画像が結構掲載されている)
 
日銀を出ると、目の前には三菱東京UFJ銀行、すぐ近くには三井本館がある。
過去に日銀総裁を経験された方の出身銀行などだ。
まだ、この三井本館の建物は昔のままだ。
イメージ 10
昭和4年(1929年)築。
トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所設計。
ジェームス・スチュワート社施工。
共にアメリカの会社で、昭和4年と刻んだ礎石がある。
 
何回かこの建物の中の三井住友銀行を利用しているが
天井は確かに高いような気もするのだが、
ATMのスペースなどは現在のものと全く変わらない。
内部の営業場はまだ、昔のままの雰囲気なのだろうか?
気が小さいので、小額取引でわざわざ営業場を
利用する気にはなれないのだが・・・
 
 
そして、また中央通りに戻り三越本店を背にして京橋方面へ。
大正3年(1914年)築、関東大震災の被害での改修が昭和2年(1927年)。
横河工務所設計、施工。
この三越も三井がルーツとなっており、横河氏も三井の出身だ。
イメージ 3
地下鉄銀座線の三越前駅の話や
日本初のエスカレーターなどの
話はあまりにも有名なので
割愛させていただくことにした。
 
建物の細部に至るまで
細かい装飾に彩られたまさしく
正統派の百貨店だ。
 
 
 
イメージ 4イメージ 5
 
普段見えないような
部分にもちゃんと
細工を施してある。
 
 
三越に関しては
これから他の記事も
アップする予定もあるので、正面写真はあえて載せない。
地下鉄の乗り換え通路の過去記事もあるので
参照していただければと思う。
   ↓
 
すぐ近所に高島屋もあるのだが、この時は改修工事中だったので外観は
絵が描かれた幕に覆われていたために写真と撮らなかった。
高島屋の建物も素晴らしい。
 
実家では、何故か父親は高島屋派。
母親とアタシは三越派。
東京のど真ん中だと百貨店くらいしか買い物ができないという諸事情のため
週に何回か三越に買い物に出かけていたのだが、
値段は正直言って、安めだと思う。
決して高くない。(だから三越派なのだが・・・)
 
そして日本橋を渡り、京橋方面へと更に歩くのだが
写真も文字数もかなり多くなってしまったので、続きは次回に・・・・
 
 
 
 
 
 
 
8 8月

1年ぶりの東京活動☆上野~日銀本店 その1

昨年の夏に実に4年ぶりの東京でのサークル活動を行った。
ちょうど、ほぼ1年後の6月に昨年、上野のアメ横で解散したので
今回は、その続きということで御徒町駅から日銀本店見学までを
D女史と歩きながら行うことにした。
以前は関西在住で、六甲山縦走なども経験しているD女史なので
多少、暑い中を歩き回るのは全く問題ないので、その点はお互い気楽だ。
どうしても、町歩きとなると一緒に歩く相手の脚力をついつい気遣ってしまうから。
御徒町駅で待ち合わせをしてから、日銀方面へと歩く。
中央通りをまっすぐ歩こうかとも思ったが、まずは昔の黒門町から
湯島方面に向かい昌平橋通りを歩くことにした。
裏通りの路地にはまだ銅版建築や看板建築、古い民家がかなり残っている。
イメージ 1
 
かなり昔から営業してるバー。
「Once upon a time」およそ120年ほど前に
建てられた煉瓦造りの蔵を利用した店で、
近所だったころもあり、実は20歳をすぎた頃から
結構行っていた。
夜になると、赤いチューブのネオンが灯りそれは美しい。
今は、お店のHPもあるようで「ともの会」もあるようだ。
この「ともの会」のページを見てみたら、会長さんは・・・・
なんと!昔、同じ町会に住んでいた方で
アタシの先輩にあたる方だった。
アタシがまだ若かった頃この店で何度も顔をあわせた記憶があるので、
もう数十年来の常連さんなのだろう。
内部はお店のHPをご覧いただければと思う。
  ↓
 
昌平橋通りに出て、今度は神田明神に向かう。
イメージ 7
日銀見学の予約時間ああるので、境内には行かずに昌平橋通りの路地の間から
神田明神を見上げるだけにした。
 
が、ここで明神下の「講武所」界隈の花柳界も話さなくては思い、かつての料亭街を案内するも、
ほとんどの老舗がなくなっていた。
現在、ほんのわずかに残っているだけであとは、
戦後になってからできた小料理屋が数軒ある程度。
 
 
かつての「講武所」の名残を見学し、ここがどういう気風の町かを
D女史に話ながら、今度は万世橋に向かう。
イメージ 9イメージ 10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ご存知、秋葉原の電気街。
万世橋の上のガードレールは汽車とランプ。
ガードレールの向こうに見える煉瓦の建物は、昔の交通博物館。
もとい!旧万世橋駅の遺構と言う方が良いだろう。
あの煉瓦の上に中央線のレールが敷かれ、現在も電車が運行している。
緑の草が生い茂るところに現在でも、旧万世橋駅のホームが残っている。
それ故、汽車なのだろう。
ランプはよくわからない。電気街にひっかけているのか?
それともこの万世橋の親柱に灯る灯りなのだろうか?
現在の万世橋に架けかわる前の橋の一部は、今、神田明神の中にある。
万世橋を渡り、柳森神社へ。
イメージ 11
かなり古くからの創建で太田道灌が
江戸築城した頃だそうで、江戸幕府開闢して
ほどなく、現在の場所に移転したそうな。
綱吉将軍の生母の「おたぬきさん」信仰で有名。
東京に昔から多い「富士講」の石碑群や以前、
このブログの「戸袋」でアップした鯉の滝登りの
鏝絵の戸袋もある。
 
イメージ 2イメージ 3イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
真ん中の写真は大正14年(1925年)の神田八講の碑。
右上は北口富士文教会の碑。
 
いずれも、戦後に廃れた「富士講」の石碑で富士塚がなくなったあとに
ここに石碑を集めて置いてある。イメージ 5イメージ 6         
この北口富士分教会の碑は
昭和5年(1930年)のものらしい。
アタシの祖父が入っていた富士講は
この北口富士分教会ではなかったか?大昔の祖父の写真に
富士講の行者の衣装を身にまとい、
この上のマークが描いてある旗を持った祖父やお仲間の
古い写真が実家のアルバムに貼ってある。
 
 
柳森神社の斜め向かいには、「看板建築」で有名な海老原商店とT邸。
看板建築研究の第一人者である            イメージ 8
藤森照信教授が学生時代に
このお宅を調査し、
学会で「看板建築」という言葉を
初めて使って調査内容を発表したのがこれらの建物群だ。
左の海老原商店は昭和3年
(1928年)築。木造3階建。
設計・黒沢画伯。(正面デザイン)
施工・鴻池組。
右のT邸は大正12年(1923年)
こちらも木造階建。正面の銅版には建築当初のご当主のお名前か?
それとも、屋号なのかわからないが人名が同じく銅版で作られている。
そして、また須田町の交差点に戻り日銀本店へと向かうのだが、
続きは次回の更新時に・・・・
 
 
柳森神社の鏝絵の戸袋の過去記事
    ↓
 
 
神田明神の過去記事
    ↓
 
 
旧万世橋駅見学会の過去記事
    ↓
 
10 11月

4年ぶりの東京活動~谷中・本郷・根津・上野桜木 その3

ランチは「カヤバ珈琲」で摂った。
イメージ 1大正5年(1916年)築。
出桁造のレトロな喫茶店で有名。
数年前に経営者が亡くなられて
閉店したのだが、有志の方々により
再生、復活となり、
また開店したそうな。
 
以前のカヤバ珈琲へはよく行っていたのだが、新しくなってからは初めて。
 
 
若いスタッフが大勢で、お客さんも谷中周辺の街歩きらしき方々で大盛況。
ランチも、ワンプレートに乗ったおしゃれな食事で値段もリーズナブルだった。
こちらのお店は、ネットでもかなり頻繁にアップされているので
カヤバ珈琲のHPやその他のサイトで写真をご覧いただければと思う。
 
カヤバ珈琲HP     http://kayaba-coffee.com/
 
そして、このカヤバ珈琲のほぼお向かいにある「愛玉子」で食後のデザート。
こちらも、近年は非常に有名なお店になった。
 
イメージ 2イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「愛玉子」。オーギョーチィと読む。
このお店も昔からある。
 
 
普通の愛玉子しか食べたことがなかったので、今回は「チークリーム」を注文。
イメージ 6
愛玉子にアイスクリームが乗っているだけだった・・・
まだ20代後半だろうか?
息子さんがお店にも出られており
「そういえば、以前はこちらは
ライスカレーとか中華そばとかが
メインではありませんでしたか?」と
聞くと、やはりその通りで、
近年、愛玉子のみの営業に
なったそうな。
 
あの、中華そばの味も懐かしかったのだが・・・
店内の感じは昔とちっとも変わっていない。
息子さんとしばし「あそこの中学だよね?」などという会話を交わしながら
愛玉子についてのお話を伺う。
イメージ 7イメージ 8
乾燥させた
愛玉子の実。(左)
 
中の繊維のような実を
取り出して
作る。(右)
 
イメージ 9かなり写真がボケてしまっているが、
左が取り出した実の部分。
 
なんでも、腎臓に良い食べ物だそうなのだ。
 
以前の中華そばなどがメインの時代と異なり、
現在は、レトロな外観と特徴のあるネーミングで
訪れる客層も多いのだろう。
 
息子さんの愛玉子の説明も手馴れたもので、恐らくお店に行けば
これらの実を見せてくださり、説明もしてくださると思う。
(ただし、息子さんがいらっしゃる時だけのような気がする・・・
 今まで、数十年もの間、ここで飲食をしてご主人からそのような説明を
 受けたことがない。
 もっとも、中華そばと愛玉子だとか、ライスカレーと愛玉子、
 もしくは、真夏のかき氷だとかばかりだったからだし、近くに住まう者たちは
 あまり疑問にも感じずに、昔からある台湾のデザートとしか思っていなかったので
 わざわざ聞くこともなかったからかもしれない。)
 
そして、愛玉子で休憩をした後は夕刻が近づいてきていたので
上野桜木を抜け、上野公園を突っ切って駅まで行くことにした。
この付近はどこを見ても古い家だらけだが、その数もかなり減ってきている。
細い道沿いにはこんな塀も残っていた。
イメージ 10イメージ 11
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
塀の下の部分には「雷文(らいもん)」。
それも「ギリシア雷文」だ。
 
 
塀が古くなり、下のこのギリシア雷文部分の一部だけを残して
上を新しく作ったのだろうか?
そして、上野公園に入り東京藝術大学の脇を通って上野山下に向かう。
東京藝術大学の柵の間から撮った、音楽部の赤レンガ1号館。イメージ 3
 
都内に現存する最古の煉瓦建築。
明治13年(1880年)築。
工部省技師、林忠恕氏設計。
平成17年(2005年)に改修。
この建物に関しては、
東京藝術大学の改修工事の
データサイトがある。
非常に素晴らしいデータサイトで
これ以上の資料はないだろうと
思われるので、ぜひ、ご一読あれ。
 
東京藝術大学 赤レンガ1号館改修工事 データサイト
 
国立博物館も、科学博物館も清水寺、東照宮、彰義隊の墓、お化け灯篭も
時間がないのでスルー。
 
その代わり、最後にこれだけはDさんに教えてさしあげなければ!
と、いう物があったので、そこだけは足を止めていただいた。
 
イメージ 4現在でも、上野公園の入り口付近で
数多く、見られる四角い石。
 
これ、寛永寺の文殊楼の礎石だ。
(場所的に文殊楼)
 
今の上野博物館の前にある
噴水があった場所に、幕末まで
寛永寺の根本中堂があった。
 
 
 
その周辺にもいろいろなお堂や山門があったのだが、江戸から明治になる際の
戊辰戦争の時に焼けてしまった。
根本中堂のあった場所には、現在改修工事中の「噴水」がある。
アタシの父親の話によると、戦時中はここに高射砲陣地があったそうだ。
今の科学博物館に終戦間際に高射第一第一師団指令部があったようだ。
 
文殊楼の礎石の話からちょっとずれてしまったが、正直な話、どの礎石が
根本中堂の礎石で、どれが文殊楼ので・・となると、わからないそうな。
 
ただ、場所がこのあたりだから・・・・そうであろうという風に
見た方が良いかも知れない。
 
この上野公園を歩く人の90%以上の人が、この四角い石が何であるかを
知らないのではないだろうか?
もしかしたら、99%やも知れぬ。
それ故に、あえてDさんに立ち止まって話しを聞いていただいた。
 
実は、小学校の夏休みの自由研究の宿題にすぐ近くにあった「神田青果市場」の
「青果市場の仕組みと流通」のようなものを課題にしていたのだが、父親に
「どうせ頭が悪いのだから流通だとか経済など、そんなことを自由研究でやっても
理解できないのだから、覚えるだけの歴史にしておけ!
聞かれても頭の悪いヤツに説明するだけ時間の無駄だ!」と強引に
「上野公園の歴史」に変更させられてしまった。
 
この礎石の話は、小学生当時、父親に教わったのだが、
当時、父親が資料として貸してくれた本にもその話は出ていた。
恐ろしく分厚く、古い本だった。
小学生のアタシでも読めたので昭和30年前後の本ではないだろうか?
文字の表記が今と同じだったからだ。
今でも実家にその本はあるのだが、かなり傷みは激しい。
いつか、その本をもらいうけたいと思っているのだが、父親が首を縦に振らない。
その本にあった「お化け榎」なども、昔は残っていたのだが20年くら前に
なくなってしまった。
 
誰かに、この四角い石の話をしておきたかっただけなのかもしれない・・・
知っているからどう、と、いうことでもないのだが・・・
 
そしてDさんとは、アメ横の摩利支天の下のあたりで別れた。
21 9月

4年ぶりの東京活動~谷中・本郷・根津・上野桜木 その2

根津方面から本郷通りまで歩き、今度は本郷通り沿いに東大赤門に向う。
イメージ 1東大の反対側の交差点に昔あらある建物。
今は、かばんの修理屋さんになっているが、
この建物での営業は30年くらいだろうか?
建物データはわからないが、この辺りは空襲のに被害が少なかった地域なので戦前の建物
だろうか??木造3階建だ。
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして東大前の看板建築群を
眺めながら歩く。
右の写真は、このブログのトマソンの書庫にかなり昔、「キカイダーハウス」と命名してアップしたことがある建物。
こちらも昭和初期の建物だろう。
ランチは、同じ看板建築のお店、万定フルーツパーラーでと思いきや、
たまたまこの日はお休みだった。
イメージ 5
昭和3年(1928年)築、設計・施工は不明。
内部は結構広く、昔のレジスターなどを
現在でも使っており、言えば写真も撮らせて
くださるので、何回かハヤシライスを
食べたことはあるのだが、実はカレーライスが
売りのお店だそうな。
 
お店の外観がちょっと変っているように
思ったのだが、以前は「カレーライス」と
書かれた看板がついていたのだが、
その看板がはずされていた。
イメージ 6
 
 
 
 
 
右の写真は昭和57年(1982年)くらい
に撮影した写真だが、「カレーライス」
の看板がある。
平成15年(2003年)くらいまでは
確実にこの看板があったので、
看板が取り外されたのはここ数年
だと思う。
 
万定フルーツパーラーが休みだったので
お向かいの東京大学を抜けて
上野桜木方面に向かうことにした。
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上は、東京大学の法文1号館。
昭和10年(1935年)築。設計・内田祥三氏、施工・竹中工務店。
右は安田講堂。大正14年(1925年)築。
設計・内田祥三氏、岸田日出刀氏、施工・清水組。
他にも美しい近代建築がたくさん構内にあるのだが、あまりにもたくさんあるので
割愛して、三四郎池を見ることにした。
もともとは加賀藩主前田氏のお屋敷だった土地なので、
この池も寛永15年(1638年)に築造されその後、補修されたそうだ。
イメージ 9
近くにはかなり古いポンプ室が
まだ残されていたが、使われては
いない様子だった。
イメージ 10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東大病院の前を通り、竜岡門へ。
本郷通りの赤門から入って、不忍通りに近い竜岡門から出ることにした。
竜岡門から不忍通りに出てから、両山堂印刷の建物イメージ 12を見てからランチへ。
イメージ 11
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和29年(1954年)築。
上の写真の建物は木造2階建。
右は大谷石積。
実は、アタシの実家から歩いてすぐ近くだったこともあり、学生仲間数人でここでアルバイトをしていたことがあった。
アタシはすぐ他のアルバイトに変ってしまったが、他の友人たちはわざわざ
八丁堀からここまで自転車で長い期間通っていた。
が、その当時の建物の記憶はほとんどない。
梱包されたラベルを運んだりとか、かなりきつかたことだけを覚えてる。
その数年後くらいから古い建物などに興味を持ち出したのだが、
今にして思えばあの時、もっとじっくり建物を鑑賞しておけばよかった。
だが、高校生のアルバイトとは言え、お金をいただいて働く以上は
短い時間労働しかしないくせに、建物がどうのなどと言える立場ではなかった。
もう何十年も前のことだ。
かなり広い敷地の中にまだ大谷石積の倉庫もある。
写真の建物は現在は使われてはいない。
その思い出話をしながら、旧忍旅館へ。
イメージ 3
 
昭和4年(1929年)築、設計・中村某、
施工・宮崎某となっている。
木造4階建。
 
元々、写真スタジオだったのだが、その後
「忍旅館」になり現在は廃業され住宅として
使用されている。
旅館営業当時、忍旅館という看板を掲げていた
のだが、廃業とともに看板は下ろされた。
当時の写真を比較のために探そうとしたら、
ちょうどアルバムの入ったケースの上で
猫が昼寝をしてどいてくれないので
その写真はアップできなかった。
 
そして、暗闇坂に移動。
坂の入り口にある煉瓦の建物を横目にランチへと急いだ。
煉瓦の建物は、仔細不詳。イメージ 4
いつ建てられたのかもわからない
2階建の建物で、かつての都電の
変電所の遺構。
イギリス積みの煉瓦造。
現在は上野動物園の倉庫となっているそうだが、平成元年(1989年)頃の台東区の調査では、
『上野動物園倉庫』『空き家』となっていた。建物の裏側に回ると
店舗用のテントが1階部分に
残っていた。
30年以上前、飲食店が入っていたような記憶がなきにしもあらずなのだが・・・
数百回以上はこの前を通っているのだが、記憶にない。(汗)
 
暗闇坂から上野桜木に移動し、やっとランチにありつけることになったのだが、
写真が増えすぎてしまったので続きは次回更新時に・・・・
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