munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2006年03月

30 3月

猫様 in 加太 その2

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この猫様のアップを忘れていた・・・
お寺の門前にいらっしゃった猫様なのだが、もしかしたらこのお寺の猫様かもしれない。
軽自動車でお寺の奥様らしき方が、すぐ脇に車を止めて門の中に入っていかれたのだが、
その間、この猫様は物怖じすることなくそのままここにジッとたたずんでいた。
特に懐くわけでも、逃げるわけでもなく、もしかしたら悟りを開かれた猫様かもしれない。
27 3月

名糖アイスクリーム

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1枚目は加太で見つけた箱。
下見に行った20日は、このお店のシャッターが閉まっていたためにわからなかった。
26日は幸い、シャッターが開いていたのでこの箱の存在に気がついた。
2枚目は奈良の三輪で見つけたもの。
2枚目の箱の方が新しいタイプの箱であることは明確だ。
ウィキペディアで見たら、
協同乳業株式会社   東京都中央区小網町17-2
1953年に設立となっており、旧名古屋精糖(株)の資本を受けての設立が、
名糖アイスの名前の由来となっている。
meitoブランドを使用している名糖産業(株)は協同乳業の株主でもある。
                           と、書かれていた。
あの有名なホームランバーは名糖アイスだった。最近、復刻版がコンビニなどでも
販売されているのだが、量も割りには値段もいいのでついつい他のアイスを買う
ことの方が多いのだが・・・
27 3月

友ケ島へ再び・・・

3月27日(月)   晴れ
昨日は、「建築と文化を愉しむ会」の活動で友ケ島へ再び行ってきた。
南海電鉄の加太駅に集合だったのだが、あいにく昨日は姫路駅の高架切り替え工事とかで、
朝の電車は途中からバスへの振り替え輸送となっていた。
事前に姫路駅まで行って確認したのだが、かなりお粗末な対応。
チラシを作って置いてはあるのだが、26日の朝の電車の発着時刻が神戸までしか
印刷されていない。大阪で電車に乗り換えるのだが、何時に到着するのかがわからない。
臨時の電車なので、時刻表にも書いてない。
駅員さんに聞くと、何故か普通のJRの時刻表を一生懸命めくって調べている。
「この手の臨時列車っていうのは、時刻表に載っていないのでは?」と言うと
あわてて、「あ、そうかもしれません・・・う~ん、何時に着くかわかりません・・・」
いくら田舎の駅だからってちょっとひどすぎる・・・
仕方ないので、始発で行くことにした。早く着いて遊んでいる分には安心だ。
姫路の手前から、鉄道代行のバスに乗り換えて姫路駅へ。
始発電車なのに、バスは満席。なのに、バスはまだ出発しない。
5時50分に出発しますのでお待ちくださいなどと言っている。
スーツを着たビジネスマンが新幹線に乗り遅れるから早くしてくれと苦情を言い、
50分を待たずに出発することになった。
早めに和歌山まで来ることができたので、喫茶店で一服しさらに乗り換えて和歌山市駅へ。
またまた乗り換えて加太へ。この駅に集合なのだが、家を出てから約5時間弱。
遠かった・・・南海電車の特急に乗れば早いのだが、せっかくの18切符。
遠回りでも、遅くても、何がなんでもJRと決めた。
友ケ島では、完全にハイキングコースを歩く。
道は舗装されておらず、ゆるやかな山道を登ったり下ったりでさすがに疲れた。
距離的には5キロ弱なのだが、この山道がこたえた・・・
帰りは南海電車の特急で帰るつもりだったが、たまたま改札を抜けて時刻表を見ると
あと1分半くらいで和歌山まで行くJRがあるので急遽またJRに乗る。
大阪駅構内の喫茶店で休憩し帰宅したのは夜の11時。
用意していった食事をすべて平らげていたダンナは、帰って来たアタシの顔を
みるなり「お腹すいた・・」もう、外に出て食事する元気はない。
仕方なく、夜中にダンナの食事を作る。用意したおやつもすべて食べているのに・・・
嫌がらせなのか、このアタシに挑戦しているのか?いつも小食のくせに・・・
後片付けなどが終わって、入浴をすませ就寝したのは夜中の1時半。
バタンキュ~だった。でも、まともに乗れば往復約6000円のところ、2300円!
18切符のシーズンが1年中あればいいのに・・・・・・
27 3月

第3回活動報告 その1(友ケ島)

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3月26日の活動は、友ケ島探訪だった。
和歌山県と淡路島の間にある島なのだが、ここにはかつてあった要塞の遺構がある。
4月以降になると蛇や虫も増えると思われたので、3月に思い切って行くことにした。
まず、南海電車の加太駅から船着場まで歩いたのだが途中、素敵な煉瓦の蔵のような物と
一間洋館付きのお宅があった。(写真1枚目と2枚目)
煉瓦の蔵だか倉庫だかには屋号らしきものが描かれていた。
一間洋館というのは、写真のごとく和風のお宅の玄関脇などにちょこっとした洋風の
建物が建てられているお宅の造りを言う。
船着場に行くとなんと100人以上の人が!
ハイキングの団体さんのようだ。臨時便の船が急遽出ることになり、それに乗り島へ。
この友が島というのは、そもそも虎島、沖ノ島、紙島、地ノ島という4つの島の総称だ。
見学予定の砲台は沖ノ島にある。
砲台の遺構は全部で6カ所あるのだが、そのうちの5つは沖ノ島だ。
だが、一般的には細かい島の名称うんぬんは問わずに友ケ島で通っているので、
この活動報告でもその名称、友ケ島で通したいと思っている。
この友ケ島は、もともと山伏や修験の他にはほとんど人が立ち入ることはなかった。
そして、明治21年(1888年)に由良要塞司令部所轄の要塞となった。
由良要塞とは、淡路島の由良地区から、この友ケ島、 鳴門海峡の大毛島、
そして和歌山の加太にある要塞群のことを指す。
今回は、友ケ島の第1、2、3砲台の3つを訪れる予定だった。
最初に上陸してから、まず食事。そのあとに第2砲台へ。
途中立ち入り禁止と書かれ、閉ざされた木製の門があった。
隙間から覗くと中にはボロボロになった煉瓦の建物が何棟か見えた。
倉庫だったのか、宿舎だったのかはわからない。
中には入れないので、隙間から覗くだけにして海岸沿いに約15分で第2砲台に到着。
この第2砲台は終戦時に爆破され、半壊状態のためにロープが張りめぐられられて
立ち入り禁止となっている。
この時に爆破された煉瓦の一部が海岸のあちこちにそのまま残されている。(写真3)
この第2砲台は明治31年(1898年)に竣工しているが、起工が明治27年(1894年)
なのでできあがるまで、実に4年近くの歳月がかかっている。
カノン砲を4門取り付けた砲台だったそうだが、無残に破壊されてしまっている。
(写真4、5枚目)
長くなるので、続きは次回に・・・
26 3月

C1000タケダ

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まぶさん(http://blogs.yahoo.co.jp/maro_mabu)からいただいた画像。
いただいているメールの文章をそのまま丸写しなのだが、
武田のC1000タケダの保冷ケースの写真だが、このC1000タケダは
最近になったC1000ブランドは武田キリンからハウスに売却され、
段階的にロゴが「C1000タケダ」からただの「C1000」と変更されるそうだ。
まぶさん曰く、その時になって初めてこの画像デザインの価値が出るのでは?
と、いうことだった。
1991年に発売されたC1000タケダ。
発売当初はものすごく画期的な商品で結構、気に入って飲んでいた。
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