munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2006年05月

31 5月

片富士の戸袋

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浅草で見つけた戸袋。
この手の戸袋に関しては以前にも記事を書いてあるのでぜひ再読して欲しい。
        
            ↓
      http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/16151129.html

     http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/17143270.html

     http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/18191507.html 

なんと3つも記事をアップしていたが、微妙に違うのでこちらもアップすることにした。
片富士とでもいうのだろうか。
31 5月

第5回活動報告 その2(京都)

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八木邸を出たあとは、すぐ近くの壬生寺にも行ってみた。(写真1枚目)
過去にここを訪れたことのあるメンバーの話によると、以前とはだいぶ変わってしまったそうな。
何やら新しい建物なども中に建っていて新選組ゆかりのお寺の風情はちょっぴり
薄れてしまったと話していた。
ここには、八木邸で暗殺された芹沢鴨らを始め隊士たちの墓が数基ある。
修学旅行の生徒たちでかなり混雑していたが、売店で販売されていた本をメンバーたちと
物色中に、興味深い本を見つけてしまった。(写真2枚目)
光村推古書院からでている「日本乃髪型」という本で、古墳時代から現代の日本髪までの
髪型の写真が載っている本だ。
実は、かなり前にこれとよく似た本を京都の本屋さんかた取り寄せたことがあった。
少し迷ったが、もしかしたら新しい写真が載っているかもしれないので買うことにした。
アタシが買うと他のメンバーも興味を示して、その本を手にとる。
なんだかんだ言って、結局全員がこの本を購入してしまった。
帰宅して本棚をチェックしてみた。
京都書院アーツコレクションの「日本伝統の髪型」(写真3枚目)
家でよく見比べたらどちらも。京都美容文化クラブ編となっていて、内容は全く同じだった。
毎年、9月の第4月曜に櫛まつりというのがあるそうでその時に各時代の髪型や服装に扮した
人たちの行列があり、その写真集になっている。
各時代ごとに載っているしちょこっとした説明文も書いてある。
2冊あるので、新しく買った本はスペアにしておこう。
そこから遅い昼食をインド料理のお店でとるのだが、ここはヒットだった。
炭焼きチキンカレーの人とココナッツと海老のカレーの人に別れたがどちらもおいしい。
お互いのカレーをちょっぴり味見させてもらいながら、カレーとナン、サラダ、
少量のターメリックライス、マンゴーラッシーのセットで1360円だった。(写真4枚目)
全部を写真に撮る前にあまりの空腹にカレーの写真だけ撮ってパクつくことにした。
RAJUさんというお店だったが、ランチで1360円でもあまり高いとは
思わないくらいの大満足感だった。
それからまた次の見学地に移動したのだが、近い方の道を歩いたので2つほど外から見るだけの
建物は飛ばしてしまった。
ただ、事前に渡した資料にその建物の仔細や写真、地図や参考文献などは書いてあるので
まだ京都に来て近くへ行った時にでも各自回ってもらえれば良いと思っている。
長くなるので、続きはまた次回に・・・・
30 5月

野放しにした犬の糞街汚す

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浅草で見つけた昔懐かしい琺瑯看板。
「野放しにした犬の糞街汚す」とある。
この琺瑯看板が流行ったのが昭和30年代。
かれこれ約40年くらいここにあることになる。
実はこの看板の上にも琺瑯看板があってそこには「夕刊内外タイムズ」と書いてある。
この夕刊タイムズが創刊されたのが1949年なのでもしかしたら1950年代に
この看板が貼られたかも知れない。上下2枚並んで貼ってあるのだ。
あの当時なら野良犬の数もたくさんいたし、放し飼いの犬も多かったかもしれない。
現在では、もう野良犬はほとんど見かけなくなってしまったから。
七五五調の文句も今ではかなり時代がかったものになってしまっている。
この看板の近くで昔バイトをしていて、この看板の前を何千回と通っていたのだが
これに気がついて写真に撮らなくてはと思ったのは、なんと先日の三社祭りの時だった。
今まで、いったいどこを見て歩いていたのだろう?
自分でもあきれてしまった。


むにゅの路上観察・・・その70
30 5月

下谷で見つけた戸袋

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実は、「看板チックな建物」にアップする建物の写真を撮り直しに下谷に行ったのだが、
もうすでにその建物はなくなって駐車場になってしまっていた。
3年前までは確かにそこにあったのだが・・・
仕方ない。写真は昔撮ったものをそのまま使おう、と思い駐車場の奥を見たら
この戸袋が目に飛び込んできた。
幸い、この柄の戸袋はまだコレクションしていなかったので早速撮影。
形容しがたい模様の戸袋だがそんなに奇抜な柄でもない。
30 5月

第5回活動報告 その1(京都)

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5月のサークル活動は28日に京都で行なった。
最初に訪れたのは壬生にある新選組の屯所だった八木邸だった。
ここは現在和菓子屋さんを営んでいらっしゃるのだが、この新選組の屯所だった場所を
一般公開している。
入館料として1000円を払い長屋門(写真1枚目)をくぐるとすぐに母屋がある。
ここでいただいたパンフレットによれば、江戸時代の文化年間の建築物だそうな。
そのためか鴨居の位置が異常に低い。
168cm以上の身長の人は注意しないと頭をぶつけてしまう。
江戸時代の人の平均身長がかなり低かったということをものの本では読んだのだが、
現代の日本人の体格を幕末当時の日本人の体格とどのくらいの差があるのだろうか?
調べてみたら長い日本人の歴史のなかで、もっとも平均身長が低かった時期は
幕末から明治にかけてだそうで男性で155.5cm。
逆に縄文時代あたりは160cmあったそうな。
ここは、長屋門から先は一切撮影禁止。残念。
だが、入るとすでに数人の観光客がガイドさんの説明を受けている。
ガイドさんは目ざとくアタシたちを見つけると「最初から説明しますので、それまで適当に
見ていてください。」と言う。
中途半端に途中から説明を聞くよりは始めから説明をされた方が良いのでそれに従う。
しばらくして、ガイドさんが呼びにきたので母屋の入り口の近くの部屋に行く。
ガイドさんの説明はとてもわかりやすく、恐らく新選組を知らない(全く知らない人はいないと
思うのだが・・・)人にもわかるようにゆっくり、はっきりと時代背景なども細かく説明して
くださるので聞き入ってしまった。おもしろい。
母屋の入り口のところにある部屋では、芹沢鴨が暗殺された部屋があり、そこで説明を聞く。
暗殺当夜のことをとても細かく説明してくれる。
なぜ、そんなにくわしいのかも教えてくださった。
この八木邸のお子様が暗殺当夜、すぐ近くの部屋で寝ていたそうな。
そのためにかなり細かいことまで記憶していらっしゃったそうなのだが、このことは
お歳を召されてるまで誰にも話したことはなかったそうな。
もっとも、戦前は佐幕派に良い風は吹いていなかったはずだから。
隣の部屋の鴨居には、その時の刀傷がまだ生々しく残っていた。
見学できる部屋は限られている。まだ、ここには八木家の方がたが住んでいらっしゃるから。
三部屋くらいしか公開していないのだが、このガイドさんの説明がすばらしい。
学校の歴史の先生もこのガイドさんのような説明の仕方で教えてくれていたら、もっと歴史が
好きになっていたかもしれないと思ったくらいだ。
長屋門を出ると、抹茶と屯所餅のサービスを受ける。
八木家は京都鶴屋さんという屋号で御菓子司を営まれている。
壬生でとれた壬生菜を刻んで餅の中に入れたお餅が屯所餅だ。(写真2枚目)
お腹が空いていたのでほとんど一口で食べてしまった。柔らかくでおいしい。
当初、お茶代と思えば1000円は仕方ないか?とも思っていたのだがとんでもない。
あのガイドさんの説明で帰る時は、このお茶と餅菓子付きの1000円はむしろ安いのでは
ないかと思えるくらいの満足感だった。
参加メンバー全員が八木邸を出た瞬間、思わず「すごく良かった~」と口に出したのは
言うまでもない。
続きは次回に・・・・
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