munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2006年11月

29 11月

第11回活動報告 その5(和歌山市内・温山荘園)

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和歌山マリーナシティのすぐ近くにある温山荘園。
温山とは、新田長次郎氏の雅号だ。(写真1枚目が新田氏の銅像)
恐らく、新田氏は温泉郡山西村(現在の松山市)の出身だそうなので、
その地名から温山と号したのではないだろうか?(おんざん、と読む)
新田長次郎氏は、愛媛県松山市の出身の方で大阪で工業用ベルトの会社を興し、
松山大学を創設や大阪工業会の設立に尽力した方で、この新田氏が武者小路千家の
家元名代だった木津宗泉氏の指導のもとに庭園の設計をしたとも言われている。
この温山荘園は、大正5年(1916年)築、木造建、設計・木子七郎氏、施工不明となっている。
建物は登録有形文化財になっている。
この庭園は、潮入り式池泉回遊庭園(しおいりしきちせんかいゆうていえん)となっている。
潮入り式池泉回遊庭園とは、海や川の水を引きこんで潮の満ち干きによって
景観に変化を与え、演出をする造園法で東京には比較的この手法を使った庭園は多い。
浜離宮庭園、安田庭園、清澄庭園などが有名だ。
温山荘園の潮入り池泉回遊庭園は関西では珍しいものではないだろうか。
地の利があればこそ、作庭できたのだろう。(写真2枚目)
かなりの広さのある庭で、雨を避けてどうやって写真を撮ってよいのかわからない。
庭園のあちらこちらにいろいろな日本家屋がいくつか建っている。
写真3枚目が茶室で、ここは申し込みをすれば、お茶会を開くこともできるそうだ。
お茶室の対岸とでもいうのだろうか?そこに南冠木門があり(写真4枚目)、
そこをくぐると温山荘がある。(写真5枚目)
この温山荘を囲んでいくつもの門があるのだが、そのどれもがきちんと手入れされている。
写真の6枚目と7枚目は中門だが、葺いてある銅も美しく発色している。
写真が増えてきたので、続きは次回に回すが以前、この新田長次郎氏にちなんだ建物の
記事を過去に2回ほどアップしているので併せて読んでいただければと思う。
1つは、兵庫県西宮市の松山大学温山記念館の記事で、もう1つは東京の有楽町にあった
新田ビルの記事だ。
温山記念館は現在では、かなり厳しい審査で見学許可をとらなければ見学はできなくなっているし、
東京の新田ビルも去年の4月だったか?解体されて現在は新しいビルを建設中だ。

松山大学温山記念館の記事(アップしてある写真は外から撮った1枚だけだが・・・)
     ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/15544657.html

東京の新田ビルの記事
     ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/37800037.html
28 11月

久しぶりの「1000円で行けるとこまで行ってみる」ツアー

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11月28日(火)   曇りのち晴れ?
去年はよく「1000円で行けるところまで行ってみる」ということをやっていた。
今年は気がついたら、まだそういうことはやっていない・・・
いつも格安の18切符か安いパスを使っての移動ばかりだった。
ただ、今日は夕方ダンナを車で迎えに行かなくてはいけない。
うちから、1000円で行けるところ・・・・・
しかも、帰りに車でダンナのお迎えもある・・・
車で出発して、隣の、そのまた隣の市のいつもよく行くパチンコ屋の駐車場に
先に車を止めてから近くの駅まで歩き、そこから電車でGO!
本当はパチンコ屋さんを駐車場代わりにするのはいけないのだけれど、
このパチンコ屋にはいつも、かなりの金を巻き上げられている・・・
だから、このくらいは良いのだ・・・・(勝手な理屈・・・)
夫婦2人して、有り金全部使いきる勢いでスロットを打って、とんでもない金額を
だましとられる・・・だから、たまには復讐しなくては・・・(と、また勝手な理屈・・・)
で、電車で岡山の西大寺に行ってみた。
駅から約1キロくらいのところに西大寺がある。
このお寺には入っていないのだが、周囲にある門前町が看板建築の宝庫のような
街だったので、お寺には入らずに周囲を徘徊していた。
この街もあの「3丁目の夕日 ALWAYS」のロケ地になった街らしい。
だが、パチンコ屋に無断駐車のバチがあたったのか雲行きがだいぶ怪しい。
今にも雨が降りそうになってきたのだが、なんとか天気はもってくれた。
ただ、パチンコ屋さんへの復習などと言ってもあまり長くは止められない。
電車に乗って1時間弱。徘徊して3時間。
また、電車に乗りパチンコ屋さんへ戻る。
ちょっと、気が引けるので1000円だけスロットを打ったのだが、当たる気がしないので
さっさとやめて、ちょっとだけ海岸の方へ車で行ってみた。
夕焼け?らしきオレンジ色がキレイだったのでカメラをゴソゴソやっていたら、
あっという間に陽が沈んでしまう・・・・
その後、何食わぬ顔して、ダンナを迎えに行き帰宅したのだが、
良い子の皆さんは、パチンコ屋さんに無断駐車をしてはいけませんよ。
28 11月

第11回活動報告その4 (和歌山市内・温山荘園)

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滋野医院を後にしてから、車に乗って「郭邸」に行った。(写真1枚目、2枚目)
ここは、明治6年(1873年)築、設計・施工不明、木造2階建、の登録有形文化財だ。
紀州藩医だった、郭百甫(かく ひゃくすけ)氏が建てた医院兼住居だそうな。
この方は、和歌山の日赤病院の前身にあたる、和歌山医学校を開校した方だと、本にあった。
現在では、このお隣に郭家の子孫の方が住まっていらっしゃって、ここはそのまま保存された
ままの状態で、空き家になっているようだ。
コロニアル様式という居留地様式の建築で、長崎のグラバー邸タイプの家が良い例で
母屋の周囲に吹き放ちのテラスをめぐらせたようなスタイルの家になっている。
この郭邸が和歌山市内最後の見学地で、この後は市内で和歌山ラーメンの昼食になる。
ラーメン屋さんに行く途中にも2つほどの建物を車の中から、「見るだけ」にして回った。
その理由は、1軒は現役で住まっていらっしゃる普通のお宅であることと、
もう1軒は車を止めて見ても、外壁の上に出ている部分くらいしか見れない個人の住宅だからだ。
おまけに車を止めて見るのがちょっと面倒なポイントにあった。
だから、車の中から見るだけにして和歌山ラーメンのお店に行った。
和歌山ラーメン(写真3枚目)は550円。
細めのストレート麺であっさりめのスープだ。
早寿司を一緒にいただくのが正式な食べ方だそうな。
早寿司は100円。(写真4枚目)は、カゴにたくさん入れてあって、
カゴごと各テーブルに置いてある。
会計の時に自己申告で中華そばと早寿司2つとかと言って支払う。
早寿司は、サバの早なれ寿司だそうな。おいしいのだが、1つではとても足りない・・・
結局、全員和歌山ラーメンと早寿司を2つづつ食べた。
ここを出てから、ちょっと雨がパラついてきたのだが、車で更に南の海南市に向かった。
海南市にある「琴の浦温山荘園」が今月のサークルの最後の訪問地だ。
正直、ここはさほど期待はしていなかったのだが、良い意味でその期待を裏切ってくれた。
外見は普通の古い日本家屋なのだが、中がすごい!
この温山荘園は、かなり写真も多くなるので次回の更新時に数回に分けてアップする。
28 11月

猫様 in 西大寺

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岡山の西大寺で見かけた、オリジナルの猫ハウスの中で寝ていらっしゃった猫様。
ビニールの覆いで囲ってあって、風や冷気を避けられるように作ってある猫ハウス。
最初は、中に植木でも入っているのかと思ったら、なんと猫様が・・・
下の段には、お水とご飯のお皿が置かれている。
そして、そのお宅の居間らしきお部屋のガラス戸を開ければ、
すぐに猫ハウスがよく見えるような場所に置かれている。
猫小屋というには、あまりにも愛情あふれる物なので、あえて猫ハウスと呼ぶことにした。
猫様に声をかけてみたが、眠たそうに薄目を開けてまたすぐに丸くなって眠ってしまわれた。
これなら、雨が降っても濡れることもないし、ちゃんとフカフカしたマットだか、座布団だかが
敷いてあるので、冬でも暖かいだろう。
それに、この場所ならお日様が照っていれば温室のようになる。
夏は、ビニールをはずせば風通しも良いだろう。
ここまでの猫ハウスは初めて見た。
27 11月

さかえビル(旧近藤栄一邸)

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「建築と文化を愉しむ会」のサークル活動で訪れた、和歌山の滋野医院の設計、施工を
担当した島藤建設の代表的な作品なので、サークルの記事とからめてアップすることにする。
島藤建設(しまとう)の現存する作品のほとんどは、個人宅だ。
ビルはそのほとんどが建て変わってしまったのだろう。
この建物は、昭和9年(1934年)築、RC造4階建、外国人の設計で、施工は島藤建設。
登録有形文化財に指定されているので、この建物も安泰だ。
だが、何故かあれだけ何枚も撮った写真がいくら探してもこの1枚だけしか見つからない・・・
いったい、どこへやってしまったのだろうか?
だが、この建物が東京の近代建築ファンなら必ずと言っても良いほど知っているくらいの
知名度の高い建物なので、「さかえビル」で検索をかければすぐにヒットするはずだ。
そちらを見た方が良いかも知れない。
この建物の後ろに見えているのは、本道中央教会でこちらも昭和4年(1929年)の
すばらしい建物だ。
何故か、この教会の写真はたくさんあるのだが、このさかえビルだけ1枚しか残ってない・・・
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