munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2006年12月

31 12月

犬様 in 金光

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戌年の最後の記事は犬様の記事だ。
岡山の金光町の大きな道路沿いを歩いていたところ、
向こうから吼えながら近寄ってくる犬様がいらっしゃった。
首輪もしておらず、回りに飼い主さんも見あたらない。
どうも、野良らしい・・・・
恐らく、アタシが歩いてくるのを見て吼えていたのだろう。
だが、怖い吼え方ではなく、人間に警戒を促すような吼え方だった。
「ここにいるよ~だからびっくりしないでね・・・」とでも、言っているかのような吼え方だ。
すれ違ってから写真を撮ることにしたのだが、写真を撮った後に道路を横断し始めた。
危ない!と声を出しそうになったのだが、軽トラックが急ブレーキをかけてくれて無事だった。
その後もあっちこっちをうろうろ徘徊しながら、焼き鳥屋さんの玄関先に座り込んだ。
ここでご飯をもらっているのか~と安心しながら、しばらく道路の反対側から見ていたが、
焼き鳥屋さんの玄関が開いたと思ったら、追い払われてしまった。
ものすごく重たい気持ちになって見ていたら、犬様の方がそれを察してか、
だんだんと離れて行ってしまわれた。
この日は、それから1時間くらいたってから雪が降ったはずだ。
無事でいるのだろうか?
とっても、心が寒くなってしまった・・・・
富める人にも、貧しい人にも、健やかな人にも、病める人にも、そして、すべての生き物たちに
穏やかな、良い年が訪れることを願ってやまない・・・・
31 12月

第12回活動報告 中書島 その4

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濠川にかかる蓬莱橋を渡ってから昼食だったのだが、
この蓬莱橋にも気になる物があった。(写真1枚目、2枚目、3枚目)
かなり昔のレリーフだと思うのだが、どうもこのマークが気になる。
どこにも問い合わせはしていないのだが、もしかしたら京都市の市章だろうか?
ちなみに橋のたもとにあったマンホールの蓋にある市章を見比べてもらいたい。(写4枚目)
似ているようで、また少し違うようにも見えるのだが・・・
ただのレリーフで市章に似ているだけなのかもしれないが・・・
それから、鳥せい本店(http://r.gnavi.co.jp/k006500/)で昼食になった。
「神聖」という日本酒の酒蔵の中にお店がある。
ランチの焼き鳥弁当とかす汁のセットと鳥そぼろ丼とかす汁のセットを注文するグループに
別れたが、どちらも1000円でおつりが来る。
使っている水は伏見の名水で、お酒造りにも使われる水だからお冷がおいしい。
写真5枚目は焼き鳥弁当。(この名前で良かったのかしらん?ランチメニューにあったはず・・・)
酒かすを使ったかす汁は、東京のアタシにとっては馴染みの薄い物だ。
自分で作ったことなどないし、ほとんど飲まない。
新潟などの酒どころのかす汁は数回飲んだことはあったのだが・・・
他のメンバーに言わせるとちょっと、酒かすがキツイかな?ということだったが、
体は暖まる感じがしておいしかった。
そして、いよいよ近くにある「寺田屋」の見学に行く。(写真6枚目)
今回の活動にあたって、資料を作る時に改めて、と、いうか初めて、この寺田屋についての
正しい知識を得ることができたのではないだろうか?
今まで、アタシはここで坂本龍馬が暗殺されたと誤解していたのだ。(お恥ずかしい・・・)
よくよく調べてみたら、2度に渡ってこの寺田屋を舞台に大きな事件が起こっている。
1度目は文久2年(1862年)4月23日(現在の5月29日)に薩摩藩の尊皇派が、
藩の定宿である寺田屋に集合して京都所司代の襲撃を計画していたのだが、
藩主の父である、島津久光氏によって阻止された。
だが、阻止するにあたって藩主側と尊皇派が対立し戦闘となった。
その後、薩摩藩の方で血だらけになってしまった部屋などの改修工事を
行ってきれいに直してもらって現在に至っているそうな。
自分たちで起こした事の始末をきちんとつけるあたりはさすがだ。
(当たり前のことなのだが、この辺りができない現代人が多すぎるので・・・・)
そして、その4年後の慶応2年(1866年)1月23日(現在の3月8日)に
宿泊中の坂本龍馬を伏見奉行の捕り方が捕縛、暗殺しようとしたのだが、
後の妻となるお龍さんの機転で逃げて、西郷隆盛の斡旋で鹿児島に潜伏したそうな。
この辺りの幕末の歴史に関しては、かなりの幕末ファンがいらっしゃると思うので
それぞれの方々にこの解釈のチェックをお願いできれば幸いだ。
アタシはどうも、幕末物というと敗れた徳川側の彰義隊あたりの肩しか持てない
根っからの東京人なので、かなりうがった考えで見ているところもあるからだ。
だが、この時代がなければ現在の日本はありえないので(当たり前だけれど)
佐幕の勤皇もなく、一応均等に理解はしなくてはと思ってはいるのだが・・・・
約140年ほど前までは、熱い日本人ばかりだったことだけは理解している。
いつから、日本人は心を動かすことがなくなってきてしまったのだろうか???
別の意味で考えさせられてしまった。
140年前に国を思い、対立し、戦った人々もまさか、こんな世の中になるとは
思ってもいなかっただろう。
「心を動かす」これがアタシのサークルの本当の目的でもあるのだが・・・
寺田屋については、かなり細かくなるので、続きは次回に・・・
歴史的な内容に関しては、アタシ自身の理解が浅いので訂正があるようなら
コメントいただくか、直接メールでご指導いただければと思っている。
30 12月

牛乳箱の超番外編

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兵庫県の相生市にある牛乳配達店の横で見つけた箱たち。
明治牛乳の最近のプラスチックのケースと牛乳の運び箱なのだが、
この販売店では、植木鉢に利用している。
古くなって取り替えた箱や蓋の壊れた箱の再利用だろうか?
例え植木鉢でも、このように再利用されていると言うことはこの箱たちにとっても
嬉しいのではないだろうか?
いろいろな牛乳販売店を見て回ったが、植木鉢に使っているのは今回、初めてみた。
30 12月

犬様 in 鴨方

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岡山県の鴨方で出会った犬様。
ものすごく寒くて、風の強い日だった。
強風のために瀬戸大橋線は一時運休していたくらいだ。
しかも、急激な気温の低下で強風だけでなく粉雪も舞っていた。
この犬様を見かけた時も、あまり寒いのでちょっと声をかけてみたのだが
犬様は熟睡されたまま。
大丈夫なのか?体温が下がってしまうことはないのだろうか?
この写真を撮った直後に大量の粉雪が降ってきたが、
毛布だけで小屋のないこの犬様はこのままここで寝ているしかない。
でも、慣れっこなのかそのまま寝ていらっしゃった。
どうか、このお宅の方が気がついておうちの中に入れてくださるといいのになぁ・・・
アタシの頭の中では、岡山=晴れの国=暖かい、だからそんなに寒くないと
思っていたのだが、所詮、日本の本州だから、やっぱり冬は寒いのだ。
たいていの犬様は寒さには強いはずなのだが、それでも暖かい寝床があれば
アタシ自身、とっても安心するのだけれど・・・・
犬様も暖かくて、良いお年を迎えてくださいね~
29 12月

猫様 in 金光

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岡山の金光町で出会った猫様。
民家の納屋が開いていて、そこに陽が差し込んでいた。
この日はものすごく風が強く、粉雪が舞う日だった。
風を避けて、この小さな陽だまりに暖をとりに来たのだろうか?
この後、風はますます強くなり寒さも増してきた。
この三毛さんはここで寝たのだろうか?
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