munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2008年10月

31 10月

世續茶屋の戸袋

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銀閣寺山門近くの茶屋「世續(よつぎ)茶屋」の戸袋。
この茶屋は約100年前に創業したそうな。
かなり古い家柄だそうなのだが、この世續家の家紋なのかどうかは
定かではないのだが、これは「丸に松葉菱」という家紋だ。
恐らく世續家の家紋ではないだろうか?



















30 10月

猫様 in 福山 その1

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福山城のすぐ近くの公園にいらっしゃった猫様たち。
健康状態がすこぶる悪く、病気のようだ。
誰かがご飯をあげてくれているようだが、
とにかく、かなりの数の猫様がいらっしゃるので
いきわたらないのだろうか?痩せた猫様ばかりだ。
2枚目以降の猫様たちはすべてい同じ猫様だ。
親子だろうか?子猫たちはかなり小さい。
かわいそうなことに風邪をひいているのか
目やにがひどく、2匹のうちの1匹は目が開けられない状態だった。
かなりの数の猫様がいらっしゃたのだが、大半が病気だった。
ここを訪れた時はまだなかり暑かったのだが、
このコたちは元気でいるだろうか?
もしかしたら、子猫は死んでしまっているかもしれない・・・
だが、親猫と1枚目の黒っぽいコは元気そうだったので
今でも、大丈夫のような気がしなくもないのだが・・・




29 10月

大貫っぽい蓋に関する考察 その1(超番外お遊び編)

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9月にアップした「大貫っぽい蓋」に関してだが、
コメント欄にいろいろな予想やアドバイスをいただいた。
ちょっとまとめてみた・・・

★寮(近くにある京大の三高寮歌の寮から)

★命(単純にそう見えただけ)

★表、宮、官、泰(手描きパッドに探してもらった)

★學(文と子で學という書き方があるそうな)
  (すぐ近くに京都大学もあるから)

★景(字体のモーフィング)・・・画像2枚目参照

★女子(字体のモーフィング)・・・画像2枚目参照


以上が皆様からのアドヴァイスだった。
ここで『學』の字のアドヴァイスに関してだが、
大學ではないかという意見は複数あった。

『學という字は、文の下の子と書く書き方もある』というコメントだった。
その方は、『學』なので上の文字と合わせて『大学」だろうと・・・

ここからがアタシの考えだ。
アタシには「大学」とは思えなかった。
それというのも、すぐ近くの京都大学の蓋の写真はすでに採集済みだが、
この手の蓋は1枚も見つからなかった。
しかも、京都大学の蓋にはきちんとわかりやすく「大學」と書かれている。
そしてもっと古い蓋だったら「帝国大學」の蓋ではないだろうか?
いかに戦前に京都大学がすすんでいたとは言え、
吉田山と大學と比べたら比重は吉田山の方が重いのではないだろうか?
あの吉田神社の吉田山なのだから・・・


もう一度、この文字の部分を凝視してみた。
文と子にも見えるが、もしかしたら文と字?
と、なると「大文字」だ。
更に深読みのしすぎかもしれないが、「大文字の送り火」はこの東の
「右大文字山」と呼ばれる銀閣寺の先にある山がなる。
そして、その右大文字山の「大」の字の送り火を見る
絶景ポイントがなんと、この吉田山の頂上だそうな。
(ちょうど、吉田山と大文字山は向き合っている!)

だが、この吉田山と大文字の送り火が繋がっても、
この蓋と大文字が繋がらない・・・

もしかしたら、右大文字山の周辺の業者リストを調べてみたが
それらしき名前は見当たらない。

ちなみに大文字山には真言の弘法大師堂があり、
送り火の日には法要も行われる。
(密教系だ・・・)
吉田山(吉田神社)は神道だが、宗教の統一を図ったはず・・・
なんだか、SF小説のようになってきてしまった・・・


そして、送り火の「大」の字は、こちらの山の字は女性的なので
『女性型』と呼ばれることも多いそうな。
(大女子に見えなくもない・・・)

全く、つながりのない考えかもしれないが、
字体や近くにある大学から切り離して考えてみると
とんでもなくおもしろい見方ができることに気がついた。

依然として、この蓋に書いてある文字は不明だ。
だが、『ぶっ飛んだ考え』で(あさっての方向にはなってしまうが)、
考えて見ると結構おもしろいうものだ。
ただし、すべて繋がれば・・・の話しになるので
所詮、おもしろく話しを途中まで作ってみただけになってしまうのだが・・・

このような、とりとめもない『遊び』ができるのも京都だからだろう。
そう、やはり京都はミステリースポットなのだ。

結局、繋がらないので振り出しに戻ってしまったかもしれないが
物の考え方、見方を変えるだけで俄かSF作家にでもなったような
気分になれるから不思議だ・・・

また、何か思いついたら「考察 その2」で書いて見るつもりだ。


★コメント欄にアドバイスくださった方々

スジャータさん(http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7
くらびさん(http://blogs.yahoo.co.jp/clavicle_cost3
クララちゃん(http://blogs.yahoo.co.jp/maria_clarajp
あおぞらさん(http://blogs.yahoo.co.jp/o65202001
alcoholicdrunkenさん
NONAJUNさん(http://blogs.yahoo.co.jp/nonakajun
spriteさん(http://blogs.yahoo.co.jp/sprite0o0


★★モーフィングの画像はspriteさんが作ってくださいました。







28 10月

第32回活動報告 極楽山浄土寺 その3

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八幡神社のすぐ横には、鐘楼(写真1枚目)もあるのだが、

あまり仔細は伝えられておらず、寛永9年(1632年)建立となっている。

そして、国宝である「浄土堂」(写真2枚目~3枚目)。

この浄土堂(阿弥陀堂)の中に阿弥陀三尊像がある。

実は、このお堂は「天竺様式」呼ばれる貴重な建物なのだが

悲しいかな、アタシには頭でその様式名だけを記憶しているだけで

実際に自分の眼で見ても、その違いなどが自分でもよくわからない・・・

ようは、自分で屁理屈をこねているだけで実際は、何もわかっていない。

それ故、様式などの説明は一切抜きでこのお堂の中を拝観して

そのまま時を過ごして阿弥陀像のお顔などを見させていただくことにした。

このお堂の中に1時間以上いただろうか??

実は建物の構造上、真ん中に鎮座している阿弥陀三尊像の後背の部分から

西日が差し込み、まるで後光が差すかのごとくオレンジの夕陽があたり

それはそれは美しい光景が見られるとのことで夕陽が落ちるのを

待っていたのだが、あいにくこの日は曇りで陽が差すことはなかったが

同じ目的でお堂の中で時間を過ごす人たちはかなり多かった。

現在では、ここでは物販を行っていないそうなのだが無理を言って

在庫が残っていた写真集やパンフレットを分けていただく。

写真集といっても5枚程度のA3サイズの写真なのだが、

本当に後ろから夕陽が差し込み、阿弥陀三尊像がオレンジに染まっている。

どのみち、堂内は撮影禁止なので下の貼ってある

ウイキペデイァを参照してほしい。

このウイキペディァを開いて、更に「小野市 浄土寺」をクリックすると

この極楽山浄土寺が出るのだが、幸いにも阿弥陀三尊像の写真がある。

ここでいただいたパンフレットの裏に描いてあった地図の写真を

ついでに載せておくことにする。

これで、敷地内の各建物の位置関係がわかると思う。

地図の上部の裏山が西国三十三ヶ所の「うつし」になっている。

建物、仏像、美術・・・すべてにおいて、「無」で見る

というのが一番のように思える。

自分で鑑賞したと思ったりとか、わかった気分になってはいけないと思う。

自分磨きのために見るなどというのはもってのほかだ。

『わからないけど、見てみたい。』

『見たいから見る。』 

『興味がないから見ない。』

『無理に見ない。』

それで良いと思う・・・  

お堂に座り込んでのんびりした時を過ごす・・・

今回は近代建築や現代建築、寺院建築がどうのではなくて、

ただ、この阿弥陀三尊像に会いに行った。

かなりまったりした時を過ごせたので、個人的にもここへは何度か

足を運んで贅沢な時間をここで過ごしたいとも考えている。

何もしない、座ってぼんやりと阿弥陀三尊像を眺める・・・

これほど贅沢な時間があるだろうか??

大阪で言うところの「いらち」タイプのアタシには、

こういう時間の使い方は贅沢としかいえないのだ・・・

(ただし、アタシは関西に住んではいても根っからの関西人ではない・・

 生粋の東京人なのだが、「いらち」気質は東京人にも通じるところ

 があるように思われるのだが・・・)




浄土寺(ウイキペディァ)この中の兵庫県小野市の浄土寺をクリック!
 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B8%82)
27 10月

雪印ファミリア牛乳のケース

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敦賀の某店舗内で見つけた。
このお店の外側にあった琺瑯看板の撮影許可を快諾していただき、
更に店舗の中にある古い看板類なども撮ると良いと案内されて
店の奥に入って行くと、仰るとおり昭和の遺物がゴロゴロしていた。
牛乳の保冷ケースも現役で現在でもちゃんと使用している。
この雪印のファミリア牛乳は昭和48年(1973年)頃から
昭和54年(1979年)くらいの間に販売されていたブランドだ。
したがって、このケースも同時期に作られた物といえよう。












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