munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2009年06月

24 6月

畳提

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揖保川に沿った堤防に溝があることに気がついた。
車を運転中、同乗していた元高校の社会の先生だった方が
この溝は畳を入れるための溝だと教えてくださった。
洪水になった場合、ここの溝に畳を入れて堤防代わりにするのだそうな。
その畳はどこにあるのか?と聞いたところ近くの公民館や保管場所で
確保しているのではないだろうか?とのことだった。
この揖保川に沿って、広範囲に渡ってこの溝があるそうな。
このようなものは初めて知ったが、全国でも数箇所あるようだ。
この揖保川の畳提は設置されてから一度も、水害時に畳を入れたことは
ないそうだが、下のURLには、訓練時に畳を入れた写真があるので
そちらを見ていてだければ、どのようなものなのかがわかると思う。
ブログの写真は、助手席に座ってたまたま信号などで停車したときに
窓から撮影した写真なので、どういう感じのものなのか
よくわからないだろうから・・・
全国的にも少ないようだ。



たつの市の畳提(下の方にスクロールすると畳の入った状態の写真がある)
 ↓
http://fukudoku.tesp.jp/mamoru/tatamitei.html 


畳提(ウイキぺディア)
 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B3%E5%A0%A4 



23 6月

猫様 in 神戸

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4月末にアタシが運営するサークルのメンバーが
フォトコラージュの個展を開いた。
それを見に行った際に出会った猫様。
耳にカットがあるので、避妊手術済みの地域猫だ。
どうも、黒猫を見るとすべてうちのギョロちゃんに見えてしまう・・・
うちのギョロちゃんも、実は神戸の出身なのだ。・
ただ、同じ神戸でもかなり離れているので
この黒猫様とのつながりは全くない。







21 6月

第39回活動報告 書写山圓教寺  その3

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食堂の廊下から見た常行堂の屋根には隅蓋瓦が・・・(写真1~2枚目)

2階の展示物を見ていたら、この隅蓋の説明と展示もあった。

個人的にはこの隅蓋は建物の屋根の四隅に蓋をするようにつける瓦なので

隅蓋で飾り瓦の一種という意識しかなかった。

こちらの展示の説明では

「寺院に向拝が出来るとその先端両側の隅に必ず必要となってくるもので、
 当初は鉄甲のように丸い蓋だけであったとされる。
 この瓦は、仏具の羯磨を象った最もすばらしく珍しいもので、
 常行堂に用いられていた。」   

                 と、なっていた。

お寺ならではの隅蓋瓦だろう。

普通の民家にも隅蓋瓦は多いが、このように仏具をモチーフにしていない。

食堂の横には、室町時代中期に作られた大講堂。(写真3枚目)

この常行堂、食堂、大講堂の3点セットで「三之堂」と呼ばれているそうな。

そして、あの映画ラストサムライで有名になった開山堂のある奥之院へ移動。

この開山堂、見たかったのだが残念ながら補修工事中で見られなかった。

(写真4枚目)

この工事、来年の春まで終わらないので仕方ないのでレンタルで

「ラストサムライ」でも借りてもうじっくり見ないと・・・

更に進むと展望台のようになっている見晴らしの良い場所にでる。

確かに見晴らしが良いのだが、人っ子1人いない・・・(写真5枚目)

山内がかなり広いので、入山者が多い割には人に会わない。

室町時代の金剛堂(写真6枚目)の前を通り、本多家廟屋を横目に見ながら

山を下ることにした。

途中、気になる薬師堂や鐘楼などもあり、登ってきた時とは違う道を行く。

美しい宿院の塀などを眺めながら、行きは急な山道で来たのだが

帰りは、かつての観光馬車道だったなだらかな方の道を歩く。

現在は、バスが通っている。

ちなみに入山料は500円。安いと思う。

この入山料を1000円払うと、行きも帰りも摩尼殿まではバスで行ける。

真夏の拝観、参拝だったらこのバスが良いかもしれない。

そしてまたロープウエイで下山し、またレンタカーで本徳寺へと移動。

続きはまた次回の更新時に・・・


★圓教寺に関してはHPがあるのでそちらで写真と詳しい解説を
 読んでいただければと思う。
    
     ↓
http://www.shosha.or.jp/index.html


   
19 6月

3年後に仔細はわかる予定の建物

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彦根市内にあった信用金庫。
現在は、滋賀中央信用金庫の銀座支店。
銀座と言っても、東京の銀座ではない。
大正7年(1918年)に銀行として建てられたもので、
いろいろと転用された後に昭和33年(1958年)に
彦根信用金庫となったのだが、
一時期は病院として使用されていたこともあるそうな。
実は、この建物には2つの説があって

もともとは明治銀行の建物だったという説と、
最初から彦根信用金庫の建物だったという説がある。

明治銀行というのは、明治6年(1873年)に設立された銀行。
明治の末にも株で失敗したこともあり、昭和の大恐慌の時に
昭和7年(1932年)に破綻したそうだ。

それ以降、数々の転用を経たという説が現在では一般的なのだが

滋賀中央信用金庫の沿革には、
大正3年(1914年)有限責任彦根信用組合創業、
その4年後の大正7年(1918年)にこの地に
芹中出張所として開設となっている。
果たしてどちらが本当なのだろうか?
資料も少ないこともあり、彦根の教育委員会にも問い合わせをしたところ
教育委員会でも滋賀中央信用金庫の話は初耳だったらしく、
信用金庫側でも恐らくはくわしいことはすぐにはわからないのでは?
と、いう話になった。
だが、この建物の建っている区域の近代建築の実態調査が
今年から始まるそうで、アタシのこの疑問についても
大学の先生方の調査をしてくださるということになった。
ついでに、建物の上の方についている「亀甲マークに陪」という字の
意味も調べていただくように調査依頼をした。
調査が終わるのは2年後。
それをまとめて報告書が出来上がるのは3年後だそうな。
年内にもう一度、こちらから連絡をして
何かわかったことがあれば教えていただくことにはなっているのだが、
果たしてどこまで、くわしいことがわかるのだろうか?

ちなみに平成13年(2001年)にリノベーションが行われている。
その後、彦根信用金庫は近江八幡信用金庫と合併し
現在の滋賀中央信用金庫となっている。

3年後の自治体の調査報告に期待したい。

18 6月

駐車場のお兄さん・・・

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三社祭りで、街中を移動している時に出会ったお兄さん・・
なんだか、とてもシュールでキッチュなお兄さんだった・・・
その都会風の顔立ち、カントリー調のファッション。
何故だか、とっても気になってしまって携帯で撮影。
この立体駐車場の前を何度も通っているのに
このときまでこのお兄さんの存在に気がつかなかった・・・
いつから、ここにお勤めなのだろうか?





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