munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2009年10月

26 10月

植物トマソン・・・物食う木

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尼崎の駐車場にあった植物トマソン。

金網といつしか同化してしまったのだろう・・・

木を根っこから切り取ったようなのだが、この金網に食らいついてしまった木は離れない。

仕方なく取れる部分をすべて取り除いて、金網に木を二ヶ所だけ残したままにしたのだろう。

写真2枚目に写る、残された小さな木がなんだか、いぢらしくも見える。
                      (写真3枚目の右下の方に写っている。)




むにゅの路上観察・・・・その141
25 10月

きいろ・くろ・ねずみ・・・悩める『きいろ』

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多分、今、3匹すべて1歳半くらいだと思う。

ちゃんと名前はあるのだが、各猫に向かって呼びかける時以外は

「『きいろ』はどこにいる?」、「『くろ』にご飯あげて」などというように

被毛の色の名前を猫の名前の代わりに使うことが多い。



どうしても、我が家のトップスターは『くろ』のギョロちゃん(写真3~4枚目)になってしまう。

ほぼ間違いなく、『くろ』のギョロちゃんと『ねずみ』のパチロー(写真5~6枚目)は

兄弟と思われるので、必然的に『きいろ』の虎王(写真1~2枚目)がつまはじきになる。

ギョロちゃんはトップスターなので、何をやっても、ちょっと鳴いてもかわいい、かわいいと、

常に注目されている。

本猫もそれがわかっているのか、超マイペース。

人間でも猫でもそうなのだが、愛されているということの余裕なのだろう。


弟の『ねずみ』は、ものすごい甘えん坊なのだがやはり猫様なので、超気分屋。

自分からはすり寄って来るが、人間から近寄って行くと必ず逃げる。

逃げながらも甘えたがっているのがよくわかる。

だが、最近は顔やしぐさ、鳴き方まで、ギョロちゃんにそっくりになってきた。

『くろ』と『ねずみ』が夜中に取っ組み合いや猛ダッシュなどでレースをすることが一番多い。

だが、非常に仲も良い。


『きいろ』はどうしても、見た目も違うせいか浮いてしまっている。

うちに貰われて来た時は、『きいろ』と『くろ』が一番仲良しだったし、

『ねずみ』も中々、人間に懐かず、この『きいろ』に頼っている部分が多かったのだが・・・

なまじ、気を使う性格が災いしているのか??

いつも1匹でいることも多いくせに、他の2匹に遅れをとってはなるまいと

必死になっているのがよくわかる。


超マイペースの余裕の『くろ』のギョロちゃん。

気分屋なので、人間のことなど特に気にしてない『ねずみ』のパチロー。

何故か、自分以外の2匹ばかりがかわいがられているようで、不安で仕方のない『きいろ』の虎王。

この頃は、『ギョロちゃん』という言葉に異常なまでに反応を示して、

ギョロちゃんを呼ぶと眠っていてもあわてて起きて飛んできて、

かわいがられているギョロちゃんと人間の間に割って入り、自分もなでろと要求するようだ。

もしかしたら、自分だけ愛されていないと思っているのかもしれない。

最近はものすごくひがみっぽくなってくきているようだ・・・・

ただ、この『きいろ』はアタシなんぞよりも、とにかくダンナが大好きで

常にその眼でダンナの動きを追っているくらいだ。

そのくせ、甘えるのが下手でいつも怒られてばかりいるようだ。

人間にそうされているのがわかるのか??

『くろ』と『ねずみ』からは、格下扱いされているようだ。


人間でも、こういう感情のアピールの仕方が下手な子っているような気がする。

むにゅ家の過去例からいくと、犬でも猫でも、生き物はとにかく長生きする家系なので

まだまだこれから長い人生(猫生)なので、このまま見守るしかないのだろう。

なんとなく、愛情表現の下手な人間の友人の顔が頭の中に浮かんでしまった・・・
24 10月

第43回 活動報告 京都魔界ツアー その5

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昼食後は、出雲路幸神社へ。(写真1枚目~4枚目)。

この神社は幸神社(さいのかみのやしろ)と読むそうな。

石碑には『皇城鬼門除』と書かれており、ここが鬼門封じとして建てられたことがわかる。

創建は平安京ができた頃(798年)と看板には書かれていた。

猿田彦大神を祀ってあり、奉納してある絵馬にも御幣を担いだ猿の絵が描かれていた。

神社の裏手の回ると、薄暗い中に木彫りの猿の像が安置されていた。

猿=去るにも通じる。難が去るのだろう・・・

「去る」というので、妖怪堂ご店主から聞いた話しを思い出したので、

ここに記しておくことにする。

かつて、しょちゅう氾濫していた加茂川を鎮めるために、安倍晴明ら陰陽師たちが川の中洲に

「法城寺」と言うのを建てたそうな。

「法」は『さんずい』に『去』と書く。

水が去るという意味に転じるそうだ。

「城」という字は『土』に『成る』となるので、

法城と書いて「水が去って、土に成る」という意味だそうな。

この「法城寺」は400年前になくなったお寺だそうなのだが、

実は三条の方に移築しており、観光目的で取り上げられるのを防ぐためにわざと隠しているそうだ。

妖怪堂さんの南側に名前を変えて今でもある。

その後、積善院の準提堂の中にある「崇徳院地蔵」へ。(写真5枚目)

保元の乱に破れ、讃岐に追放され亡くなった「崇徳上皇」の怨霊を鎮めるために建てられたのだが、

通称「人食地蔵」と言われるようになったそうな。

崇徳院(すとくいん)という発音がいつしか訛り、「ひとくい」になったようだ。

それからまた車に乗り、真如堂へ。(写真6枚目、7枚目)

ここには、安倍清明の「結定往生の印」というのがある。

これに関しては、注意力がかなり散漫になっていたので自分でもよく覚えていない。

従って、真如堂のHPにある説明文をお読みいただくのが一番だと思う。

真如堂HP
 ↓
http://shin-nyo-do.jp/    (ここの「伝承」の部分をクリックされたし!)



ここは、紅葉の季節はものすごい人になるそうな。

この真如堂を出て、2ヶ所回って終了となるのだが、続きは次回の更新時に・・・
23 10月

明治アイスクリームの箱

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先日の向島の撮影会の時に待ち合わせした喫茶店にあった冷凍ケース。

明治アイスクリームのかなるい古い時代のものだ。

昭和30年代から40年代前半にかけて使用されていらと思われるものだが、

これは喫茶店のディスプレイとして購入したものだろう。

蓋の部分はとれなないように溶接されていたので、恐らく上部のステンレス部分はあとから

補修のために取り替えられた物だと思う。

中は現在では蓋が開かないのでわからないが、通常、この手のケースの中は昔の魔法瓶と同じで

銀紙が敷かれ、その上からガラスでコーティングしてあるはずだ。

明治のアイスクリームケースでも、この手のタイプは初めて見た。

そのくらい、現在では珍しい物になっている。

お店の方の一声かけた上で撮らせていただいた。
21 10月

CTTの蓋

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ケーブルテレビジョン東京の蓋。

社名の英語表記の「CABLE TELEVISION TOKYO.LTD.」の略語で『CTT』だ。

港区の「みなとケーブル」と新宿区の「新宿ケーブル」がサービスエリアだそうな。

HPで会社概要を見ると昭和61年(1986年)設立で、開局が平成元年(1989年)。

株主構成を見ると誰もが知っている名前の会社ばかりなのだが、

その中に「港区」があったのは興味深い。(『新宿区』はなかった・・・)

ケーブルテレビのみならず、当然、インターネットなども扱っている。

この蓋の下にはそれらの通信関係のケーブルがあるのだろう。




(株)ケーブルテレビジョン東京
    ↓
http://www.cabletv.co.jp/
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