munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2009年11月

30 11月

第44回 活動報告 安土郷土館 その5

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

光がたっぷり入り込むキッチンの外は庭。

獅子頭のついた小さい池のような物も残っている。

案内してくださったボランティアの方がプールとおっしゃっていたが、

プールにしては小さすぎるので、池かもしくは池を模した物ではないだろうか??(写真2枚目)

キッチンの奥にはシンプルな和室があった。

階段をあがって2階に行くのだが、そのすぐ脇には夫人が使われていた小さな和室がある。

どちらかと言うと、よく洋館などにある階段室のような感じの場所を和室として作った感がある。

階段室の部分にスペースを足して作ったようなこじんまりした部屋で、

そんなに凝りに凝った部屋ではないのだが、妙に居心地が良く落ち着く感じの小部屋だった。

普通の和室なのだが、光の入り込み方だろうか??それとも、天井の高さだろうか?

個人的には洋間もものすごく贅沢でオシャレなのだが、このこじんまりした空間が一番好きだ。

美しさとかではなく、心穏やかに過ごせそうな空間だったからかもしれない。

階段を上がり2階へ。

上がってすぐ右が寝室だったようで、シンプルなすっきりとした部屋がある。

現在でも、わざとダブルベッドが2台並べて寝室ですよ、ということがわかるようにしてある。

実際にベッドを部屋に入れることによって、イメージもわきやすいのだが、

ダブルベッドが2台ラクラク置ける広さの寝室というのがうらやましい。

アタシの自宅なんぞは集合住宅のために、襖を取っ払って2つの和室を1つにして

カーペットを上から敷き詰めて部屋を広く使うようにはしているのだが、

それでもダブルベッドを1つ置けばかなりの圧迫感になり、室内の通行も窮屈だ。

寝室の反対側には洋間があるのだが、一枚板の引き戸がついている。

板には顔彩だろうか??絵が描かれているのだが部屋の内外で絵が違うのだが、

部屋の外の方の絵は暗くてよくわからないので、写真も当然撮ったのだが不鮮明。

万が一、絵の具を傷めるといけないのでフラッシュは使わないのがアタシの方針なので仕方ない。

ただ、部屋の内側の絵は窓からの光でよく見えた。

「蘇鉄」だろうか??(写真3枚目)

古い時代には、蘇鉄が流行したのではないだろうか?と思われる節が多々あるのだが・・・

扉の引き手もまたすばらしい細工だ。(写真4枚目)

この部屋も天井が高く広い。

そして、まるでコネクティングルームのようにすぐ脇に小さな部屋もある。

使用人が待機するような部屋の感じだった。

ミニ付け書院風になってはいるのだが、天井の作りなどがあまりにも普通過ぎるし・・・

この部屋の外側には更に階段があって、上には3階もあるのだがそこは現在は立ち入り禁止。

傷みが激しく、床が抜けてしまう可能性も高いのでよほど体重が軽い人が1人くらいしか

3階には上げられないそうで、階段も登れないように仕切りがしてあった。

ただ、話によれば3階は本当に普通の部屋で特に何もないそうな。

一通り見学させていただいて、最後にまた1階の洋間に集まった。

ボランティアの方々とそこでいろいろなお話をさせていただき、

見学時間を大幅に過ぎてしまい申し訳ないことをしたが、

大変楽しい時間を過ごさせていただけた。

ここ数年のこの建物の公開期間が年々短くなっていることに疑問を抱いていたので、

実は安土の教育委員会にその理由を伺ってみたことがあるのだが、

公開するに当たっては、ボランティアの方々の協力がないと建物の説明や見学料の管理などが

できないのだが、年々、ボランティア活動に携わる方々が減ってしまっているために

公開期間も短くなって来ているとのことだった。

無償であるが故に、公開のお手伝いをしてくださる方に負担ばかりかかるので

逆に公開期間を短くせざるを得ないのが現状だそうな。

これは、ここばかりではない。

ある程度の営利目的があれば良いのだろうが、町や市の管理になる建物の公開にあたっては

ボランティアさんの手を借りなくてはいけないからだ。

営利目的の観光のために公開事業を展開しているところとの格差が激しすぎるが、

そもそも、近代建築や近代化遺産に対しての興味の有無や認識が問題なのだろう。

ただ、それも一歩間違えると古ければなんでもかんでも良いなどの風潮などにも

つながるので、難しいとは思うのだが・・・

アタシ個人の意見としては、なんでもかんでも保存という頭は毛頭ない。

建物というのは、所詮、人のために使われてこそナンボのものであって、

使う人が便利だと思うのであれば、解体して新しく建て直すのも有りだと思っている。

芸術性や技術面などで伝承していく方が良いと思われるものは残した方が良い。

だが、実際に100年近くも前の建物をすべて補修して使い続ける、残し続けるというのは

湿度が高く、地震の多いわが国では困難でもあり、危険でもある。

伝承、継承であれば、興味のある人にしっかり見てもらって後年にその技術や美しさを

伝え残す必要だけはあると思うし、それ以前に美しい物を美しいと思える感覚も必要だと思う。

また、それらに関して必ずさまざまな歴史的背景やつながりもあるのがわかるととても楽しい。

学校であれだけ教わっても頭に入らなかったことが、1つの建物などを通して見ると

すんなり頭に沁み込んでくるような気がするのだ。

自分の錯覚や思い込みなのかもしれないが・・・

ただ、古いから良い、レトロだから良い、好きだ、でも構わないのだろうが、

見てそれだけしか感じないのも、もったいないような気がしてならない。

貧乏性なのだろう・・・・

外に出るともう4時半になっており、そのまま駅へ向かった。

駅前の駐在所も、唐破風の美しい建物だ。

瓦にも、警察の旭日章がついているが、すでに写真がいっぱいなのでいつもお世話になっている

友人の安倍さんのサイトにも、瓦の写真が載っているのでそちらを見ていただければと思う。

安倍さんのHPはかなり有名なので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れないが

アタシがここを訪れる4年前にすでに、この建物に目を停めて撮影されていらしゃっるのがすごい。






安倍さんのHP
 ↓
http://www.rose.ne.jp/~perceus/sampo/s72.html
28 11月

旧ハッサム邸

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

神戸の相楽園の中には、旧ハッサム邸が移築されている。

年に2回、春と秋の一時期だけ内部が公開される。

実は、アタシが運営するサークルでも2年前に2007年に相楽園に行っているのだが、

公開日でなかったために、外観だけ写真撮影しただけになっていた。

ここの建築データに関しては、神戸市の教育委員会が一番詳しくかつ、正確だと思うので

直接こちらをご参照いただければと思う。

明治35年(1902年)築、昭和38年(1963年)に相楽園に移築。

インド系イギリス人の貿易商、ハッサム氏の邸宅だったそうな。

設計はアレックス・ハンセル氏で、施工は不明。

あとで、一番の下の2007年の過去記事をご覧いただければおわかりになるのだが、

昨年の補修工事で、外観の色が薄いグレーから濃い緑になっている。

恐らく、建設当初の色に戻したのだと思う。

キリスト教のカトリック系においては、緑は魔よけの意味合いがあると本に書いてあった。

明治期の木造洋館にこの色の建物が多いことからも、それは正しいのだろう。

当時の洋館の住人の大半は外国人だったし、それゆえに宗教的な色というものが

ある程度重視されたのではないだろうか?

室内もすっかりきれいに修復され、美しくなっている。

北野の異人館街にある、『うろこの家』の内部によく似た作りになっている。

写真4枚目の窓側に置いてある緑の長椅子には、なんとキャスターがついていた。(写真5枚目)

これも当時の調度品なのだろうか?

浴室にも昔のボイラーが残されていた。

2階の半分は補修工事に関する資料が陳列され、どの材料をどのようにして補修に使ったかなどの

説明もあり、個人的には大変興味のある内容だった。

漆喰材の調合の仕方や、塗り方などが細かく展示されており室内の写真を撮るよりも

むしろものすごく楽しかった。

昭和38年(1963年)に修復された当時は寒天でレリーフの型を取ったのだそうだが、

昨年では、それがシリコンでの型取りになったなどという説明も時代を感じさせて良かった。

室内も美しくすばらしいのだがどうしても神戸の北野の異人館あたりをウロウロしていると

どこかで見たような室内だなと思われるものが多々あるからそう思えるのかもしれない・・・

かなり写真も撮ったのだが正直、北野の異人館の内部の写真と比べて、

代わり映えがしない感じなので全部アップするのはやめておく。

自分でも、この建物独自の特徴とか特色がよくわからないからでもある。

どちらかというと、典型的な洋館の作りになっているような感じだ。

この建物が神戸における洋館の保存活動の先駆けとなったそうな。

建物の詳しいデータは下の神戸市教育委員会のURLが一番正確で詳しいと思われるので

そちらを参照していただければと思う。







過去記事
 ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/49339141.html



神戸市教育委員会
 ↓
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2009/04/img/2009041717003-2.pdf
27 11月

塗り壁

イメージ 1

イメージ 2

安土町の安土郷土館(旧伊庭邸)の中にあった『塗り壁』。

寝室にかつては、小さい扉がついていたそうな。

それを塗り潰して塞いだものだ。

写真2枚目はこの壁の裏側を撮ったもので、ここに扉があったようだ。

修復工事の前にすでに塗り壁になっていたらしく、わざとわかりやすいように

塗り壁部分の色を濃くしているようだ。

室内トマソンとでもいうのだろうか??






むにゅの路上観察・・・・・その144
26 11月

淡路島牛乳の箱

イメージ 1

尼崎で見つけた、淡路島牛乳の箱。

淡路島牛乳は、昭和53年(1978年)に発売された。

当初は、昭和23年(1948年)に設立された『三原郡酪農農業共同組合』から発売されていたが、

同年設立の洲本市酪農農業共同組合と、平成19年(2007年)に合併し、

淡路島酪農農業共同組合という名前になったが、現在でもこの淡路島牛乳のブランドは存続しており、

兵庫県内ではかなりポピュラーなブランドだ。

淡路島牛乳の発売は昭和53年(1978年)発売なので、組合が合併するまでの

昭和53年(1978年)~平成18年(2006年)の間の箱であることは間違いない。






淡路島酪農農業共同組合     兵庫県南あわじ市市青木3番地
25 11月

犬おまわりさん in 向島

イメージ 1

向島のある民家に、「犬のおまわりさん公認証」というが貼ってあった。

お名前は『のんた君』だそうな。

警察犬登録してある犬様なのかな?と思ったのだが、どうやら制服替りのバンダナをつけて

地域防犯のためにパトロールをなさっていらっしゃる犬様のようだ。

飼い主さんとの散歩などが、登校、下校の子供たちにも目が行き届くので

不審者から、子供たちを守るために役立っている。

子供たちだけでなく、それぞれが注意しながら他人様に対して関心を持つこと自体が有意義だとも思う。

散歩に合わせての活動なので義務ではないそうな。

子供たちにも声をかけ挨拶をしたり、犬との接し方を教えてあげたりもするらしい。

そして、地域の防犯体制に協力し警察や学校などへの通報システムに参加しましょうと、

HPには書いてあった。

昔のような「おせっかいなおばさん」や「口うるさいおぢさん」たちが少なくなっている現在、

こういうシステムは大変有難いことだ。

今日も『のんた君』はパトロールに出かけるのだろうか??

飼い主さんと共に地域の防犯にがんばっていただきたい思いと同時に感謝の念に堪えない。

よく見ると、これ、『称号』と書いてあるので、のんた君の実績はかなり高いのだろう。


NPO法人日本社会福祉愛犬協会(犬のおまわりさん)
  ↓
http://www.kcj.gr.jp/omawarisan/detail/index.html
最新コメント
メッセージ

名前
本文
読者登録
LINE読者登録QRコード
ギャラリー
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • シンクロっぽいダンメン
  • 鏝絵の電話ボックス
  • 鏝絵の電話ボックス
  • 逆さまの「あ」
アーカイブ
  • ライブドアブログ