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3月26日の活動は、友ケ島探訪だった。
和歌山県と淡路島の間にある島なのだが、ここにはかつてあった要塞の遺構がある。
4月以降になると蛇や虫も増えると思われたので、3月に思い切って行くことにした。
まず、南海電車の加太駅から船着場まで歩いたのだが途中、素敵な煉瓦の蔵のような物と
一間洋館付きのお宅があった。(写真1枚目と2枚目)
煉瓦の蔵だか倉庫だかには屋号らしきものが描かれていた。
一間洋館というのは、写真のごとく和風のお宅の玄関脇などにちょこっとした洋風の
建物が建てられているお宅の造りを言う。
船着場に行くとなんと100人以上の人が!
ハイキングの団体さんのようだ。臨時便の船が急遽出ることになり、それに乗り島へ。
この友が島というのは、そもそも虎島、沖ノ島、紙島、地ノ島という4つの島の総称だ。
見学予定の砲台は沖ノ島にある。
砲台の遺構は全部で6カ所あるのだが、そのうちの5つは沖ノ島だ。
だが、一般的には細かい島の名称うんぬんは問わずに友ケ島で通っているので、
この活動報告でもその名称、友ケ島で通したいと思っている。
この友ケ島は、もともと山伏や修験の他にはほとんど人が立ち入ることはなかった。
そして、明治21年(1888年)に由良要塞司令部所轄の要塞となった。
由良要塞とは、淡路島の由良地区から、この友ケ島、 鳴門海峡の大毛島、
そして和歌山の加太にある要塞群のことを指す。
今回は、友ケ島の第1、2、3砲台の3つを訪れる予定だった。
最初に上陸してから、まず食事。そのあとに第2砲台へ。
途中立ち入り禁止と書かれ、閉ざされた木製の門があった。
隙間から覗くと中にはボロボロになった煉瓦の建物が何棟か見えた。
倉庫だったのか、宿舎だったのかはわからない。
中には入れないので、隙間から覗くだけにして海岸沿いに約15分で第2砲台に到着。
この第2砲台は終戦時に爆破され、半壊状態のためにロープが張りめぐられられて
立ち入り禁止となっている。
この時に爆破された煉瓦の一部が海岸のあちこちにそのまま残されている。(写真3)
この第2砲台は明治31年(1898年)に竣工しているが、起工が明治27年(1894年)
なのでできあがるまで、実に4年近くの歳月がかかっている。
カノン砲を4門取り付けた砲台だったそうだが、無残に破壊されてしまっている。
(写真4、5枚目)
長くなるので、続きは次回に・・・