18日に宝梅園牛乳の箱の記事をアップしてから、再度いろいろと検索していたら
宝塚に宝梅という地区があるのに気がついた。
19日はサークル活動の下見に大阪に出たので、ついでに宝塚まで足を伸ばしてみた。
途中、携帯からブログのコメントを読むとぶんたさん(http://blogs.yahoo.co.jp/uiopuiop)が
宝塚に宝梅農場があったとの情報があった。
やはり、宝塚で良いのかもしれないと確信を得たのだが宝塚のどこにあったのかがわからない。
これは、図書館か市役所で聞いた方がいいと判断しその場所を交番で聞くとかなり遠いという。
もし、交番でわかることなら調べてあげると言われ、その言葉に従うことにした。
とても親切な方で、姫路よりも西の方からわざわざ調べにきたのならとあちこち電話で
問い合わせてくださった。
土地に昔から勤務している人や宝塚で生まれ育った警察官の人にいちいち電話で聞いてくれた上に
牧場がありそうな土地の駐在所にまで電話して情報を収集してくださった。
その結果、小林というところにかなり前にあったが、現在は潰れてしまってもうないと言う
ことが判明した。
道案内だけでなく、ここまで調べていただいたのにはただ感謝するばかりだ。
こんなことまで、警察ってやってくれたっけ?
とにかく、助かりました。ありがとうございました。
その後、安部さん(http://www.rose.ne.jp/~perceus/index.html)もくわしいコメントで
情報をくださっていた。

神戸大学の電子図書館システムには、

   宝梅園農場は、ものすごく由緒ある農場だったらしい。
   戦前、前貴族議員で、船、銀行、酒屋などを経営する八馬兼介氏の弟の駒雄氏が
   「宝梅園土地建物合資会社」の名のもとに広大な土地に梅林を有しており、
   阪神一の梅林とまで言われたそうな。最初は果樹園だったそうな。
                        (昭和7年・神戸新聞より)
                                   
                                      と、あった。

安部さんの情報によると昭和38年当時では、牛乳の製造販売を行っていたそうだが
実はこの八馬氏はこの農場の一部を中学校に寄付している。
どうも、これが昭和36年らしい。
交番で、古くからあの辺りに住んでいた巡査に聞いてもらった情報では30年くらい前に
潰れているのではないか?と、いうことだった。
もしかして、農場の規模を縮小して、牛乳の方の規模も縮小していって昭和40~50年に
かけてやめてしまったのではないだろうか?
安部さんのコメントによると当時の社名は「宝梅園農場株式会社」だそうな。
住所は宝塚市小林字ハクサリ65となっている。
アタシが見た昭和7年(1932年)当時の住所表記は武庫郡良元村小林字ハクサリとなっていた。
現在では、かなりの街中にはなているが当時はのどかな所だったらしい。
が、よく考えてみるとたった32年で村ではなくなっているのがすごい。
阪神一の梅林は戦後の農地改革で、かなり縮小せざると得なくなってしまったのだろう。
そのために果樹だけでなく、牛乳までやらざるを得なかったのではないだろうか?
あくまでも憶測に過ぎないのだが・・・・
でも、ぶんたさん、安部さん、情報ありがとう!
そして、親切にあちこちの警官の方々に電話して聞き込みをしてくださったあの交番の
Mさん、本当にありがとうございました。