munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2010年04月

18 4月

おばちゃんずの壮大な計画part2

かねてより計画していた「おばちゃんずの壮大な計画」の1つである、
「瀬戸内海の猫の島に行く」といいうことを先日、決行。
笠岡港から高速船に乗り40分、真鍋島に行った。
おばちゃん1号はquokkaさん(http://blogs.yahoo.co.jp/quokkaquoll)だ。
人口300人の小さな島。
映画『瀬戸内野球少年団』のロケ地にもなったそうで、映画にも出ていた
大きな木造校舎は今でも現役で島の子供たちが通っている。
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たくさんの猫たちに出会って写真を撮ったあとに
お弁当を食べるために島の反対側の海岸へと
右の写真のような、まるで獣道かと思える
ような山道を登り、島の反対側の海に出て
そこで乗船前に買っておいたお弁当を食べる。
おばちゃん1号のquokkaさんが右の写真に写っているが、かなり見づらいかも・・・
30~40分も歩いただろうか??山道を下りきると目の前には海が広がる。
イメージ 3
 
山道でもそうだったのだが、
誰にも会うことはなかった。
その代わり、この海を独り占めだ。
ここでランチ。
おばちゃん1号が、潮溜まりで
いそぎんちゃくを見つけ、
それから2人でかなり長い時間
『磯遊び』をした。
これがまた実に楽しかった。
 
 
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いそぎんちゃくに触ると、
右の写真のように口を閉ざして
しまうのがおもしろくて、何度かいそぎんちゃくに触ってみたりもした。
いそぎんちゃくにとっては、はた迷惑なおばちゃんずだったに違いない・・・
そして、かなり長い時間『磯遊び』をした後、また元来た山道を再び登り
船着場の方面に降り、また高速船で笠岡へ。
ここでおばちゃん1号とは別れ帰宅した。
この春から、おばちゃん1号は忙しくなるのでまた暇が出来たら
再結成して中国地方の探検や『乗り鉄ごっこ』にお付き合いいただくつもりだ。
 
島の写真は、quokkaさんの記事にあるデジブックをご覧いただければと思う。
10分ほどだが、写真が良いだけでなく彼女の文章も良い。
短い言葉なのだが、彼女の想いがいっぱい詰まった言葉だ。
普通の口語なのだが、読み手にしっかりと想いが伝わってくるのはさすがだ。
写真にしても、おばちゃん1号のその時の気持ちがしっかり写し出されている。
愛情のこもった写真ばかりだからだろう。
最後の最後までご覧いただければ、それがよくわかると思う。
 
あと、おととしだったか??確か井原鉄道の旅に2人で出かけたときに
アタシが持っていたキャス・キッドソンのバッグを見て、
同じような感じのオイルクロスのバッグを作ってくださるというお話をされており、
製作にあたってて、バッグに中の縫製を見せたこともあった・・・
この真鍋島に行く高速船の中でその時にお話くださったオイルクロスのバッグを
手渡され非常に嬉しかった。
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しかも、黒猫と「quokka style」という文字が描かれているタッグまで縫ってあった!
バッグの中には、携帯や鍵などが入るポケットがついているし、
オイルクロスなので多少の雨でも気にならない。
quokkaさん、ありがとう!また、真鍋島に行きませうね!
15 4月

猫様 in 上下町

道路の反対側の空き地で日向ぼっこをしていらっしゃった猫様。
かなり遠くからのズームだったので画質は悪いが、仕方ない・・・
この日は午前中は雪だったのだが、午後から晴れて雪が融けた日だった。イメージ 2
イメージ 1
13 4月

第48回活動報告 修学院離宮・仙洞御所 その2

入ってすぐに大きな北池があり、季節ごとに全く違う顔を見せてくれる。
この時は1月半ばだったので、冬の色で雪雲がすぐ上にどんよりと
覆いかぶさっていた。イメージ 1
そのすぐ手前にあるのが、又新亭。
明治17年(1884年)に近衛家から献上された茶室だ。
イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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周囲は四つ目垣で囲まれており、縁起物の
南天が丸窓の前に植えられていた。
(災い転じて福となるので、難転→南天)
実際に見学する時は、宮内庁のOBらしき方が
説明しながら案内してくださるのだが、
ここは一番最後の説明になっているようで、
毎回、ここは後回しにされることが多い。
見学ルートは、この茶室の反対側から
約1時間、ゆっくり歩いて回るのが常のようだ。
池に沿って、この茶室の反対側からぐるりと回り、六枚橋と言われる石橋と
束橋とも呼ばれる土橋、石を短冊に切り出してずらして並べた石橋を渡り、
北池を半周しながら、南池の方へと移動するのだが、
いくつも渡る橋がそれぞれ、すべて違う趣とデザインで誠に細かい。
橋を1つ1つ見て回るだけでも楽しいかもしれないくらいだ。
もちろん、池の周りには、さまざまな石灯篭なども置かれている。
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
説明を聞きながら、醒花亭へ。
ベンガラのきれいな数奇屋造りの建物だ。
 
イメージ 8イメージ 9
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この建物は、文化5年(1808年)に再建された
ものだそうで、書院の棚も美しいデザインだ。
アップしている写真は昨年撮ったものだ。
イメージ 10
 
 
以前にも、他の書庫にアップした記事の中で
障子の御所貼りのことを書いたが、
これもここで昨年、教わった。
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
障子の貼り方だけでなく、
桟の造りや腰板までもが、洗練された美しい造りになっている。
ここから州浜へと移動するのだが、写真が多くなってしまったので
続きは次回に回したい。
実際の見学ルートの順序が少し違うのと、アップしている写真の一部が
昨年に撮影した物を使用していることを御了承していただきたい。
12 4月

ノーベルの箱

三重県の関宿にあった箱。大きさは通常の牛乳箱と同じくらいだ。
ノーベルと書いてあり、社章が入っている。
イメージ 1
これは牛乳箱ではなく、乳酸菌飲料の箱で
ノーベルという会社の箱だ。
 
ノーベルのHPによると、
 
昭和48年(1973年)に創業者の田村氏が
東京のノーベルと契約し、乳酸菌飲料「クロレラノーベル」を発売したが、その3年後に
ノーベルは倒産し、「ノーベル北陸製造」に
製造委託して、豆乳飲料の販売を
行ったそうな。
その後、カルシウム強化の「クロレラノーベルE]
を発売し、昭和56年(1981年)には、
創業者の田村氏が、「クロレラ岐阜販売(株)」を
創立した。
 
なんでも、日本で初めてビタミンEが8mgも入った乳酸菌飲料だったそうな。
他でもよく見るクロレラの箱は、ヤクルトの箱とほぼ同じサイズの箱ばかりで
このように、牛乳の箱と同じサイズの大きさの物はこれが初めてだった。
HPによると、牛乳販売店が代理で配達も行っているようだ。
 
 
(株)ノーベル
岐阜県羽島郡笠松町西金池町100
 
 
 
 
 
10 4月

「北野をどり」と「京おどり」のはしご

関西に来てから、京都の花街の春の「をどり」を見て回るのが常となっている。
一度に欲張って見てもその良さが半減するので、1日に1つだけ見るのが
アタシの主義だったのだが、今年は自分の時間とお金の調整がつかないので
無理矢理、1日で「北野をどり」と「京おどり」を『はしご』して見てしまった・・・
「北野をどり」は上七軒、「京おどり」は宮川町なのだが、
上七軒のお茶屋組合からは、毎年案内が来るのでかなり早くから
最終日の予約を入れていた。
宮川町は仲良しのブロガーさんに今回は切符の手配をお願いして
午後一番に、「北野をどり」を観て、それからタクシーで宮川町に移動し
夕方から「京おどり」を観た。
早めに待ち合わせて、上七軒近くの桜で有名な平野神社で桜を見た。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
見事な桜だったのだが、
生憎の曇り空でなんだか、桜の花の写真を
撮る気にもなれなかった。
だが、近くの小学生が作ったものらしい
動物のオブジェが桜の木の下に置かれており、それらの上に花びらが散って、なんともいえない
キッチュな感じがよかったので、
訳もなくそのオブジェばかり撮っていた。
その後、他のブロガーさんやその友人たちとも合流し、上七軒の「北野をどり」へ。
ブロガーさんのご友人たちとは、昨年もこの「北野をどり」をご一緒している。
今年の「北野をどり」は、歌舞練場の修復記念の杮落としの記念公演だった。
演目は例年に比べると、正直言って、踊りや邦楽に興味のない人からすると
つまらなかったかもしれぬが、個人的には『仮名手本忠臣蔵』の十二段を
芸妓姿のままで、そのまま踊る『俗曲 十二段返し』が大変良かった。
踊る姿は、全員、芸妓の姿なのだがちゃんと「ダンダラ染めの装束」や
「お軽・勘平」の姿が観ているアタシの頭に浮かんで来る。
それだけ、「うまい」ということなのだろう。
これは、本当に良かった!
だが、例年の出し物よりはかなりマニアック??なので、一緒に行った友人たちは
1人を除いて、皆さん、眠ってしまったようだった。
長唄がわからないと、はっきり言ってこの演目はつまらないかもしれない。
だが、歌舞伎好きのアタシからすると、たまらない演目でもあったし、
これを芸妓姿で演じるとなると、かなり「芸が達者」でないと難しいだろう。
歌舞練場の修復を記念して、忠臣蔵の仇討ちで大願成就に引っ掛けた演目で
むしろ、上七軒らしい感じがしなくもないような気がした。
この上七軒の「北野をどり」では、今までは開演前の「お茶席」での写真撮影が
可能だったのだが、今年は撮影禁止になっていた。
そして、1時間半の「をどり」を観終わってから1人のブロガーさんと一緒に移動。
他の方々とはここでお別れをして、夕方からはもう1人別のブロガーさんと合流。
以前にも、京都でご一緒したことのあるブロガーさんだ。
この宮川町は、お茶席での写真撮影はイメージ 5禁止だが、
昨年までは舞台の撮影は可能だった。
しかし、こちらも今年から舞台の撮影は禁止に
なっており、上七軒といい、宮川町といい何か
写真撮影に関してトラブルでもあったのだろうか?いずれにしても、どちらも写真は撮れなく
なってしまったことは事実だ。
この宮川町の「京おどり」は、構成がアタシ好み
とでも言うのだろうか??昨年も同じようなこと
をブログには書いたのだが、
アタシの性に合っているような感じで良い。
客層も、実際に宮川町のお座敷に通っていらっしゃる方々やリピーターの方々が
観にいらしているようで、最後の『宮川音頭』に
至っては、客席で一緒に歌っていらっしゃる方
までいたのには、驚いた。
イメージ 6
昨年に比べ外国人の観客もかなり増えていた。
さすがに、京都の花街で遊んだことはないので
うまくは言えないのだが、春の各「をどり」を
観て回って感じるのは、この宮川町の感覚が
一番、「江戸」のお座敷の匂いと非常によく似ているのではないだろうか?
関西の方からすると、江戸も東京も一からげに「関東」になるのだろうが、東京ではなく、
江戸に近い感じの「遊び場」のような気がする。
(それも、柳橋とかギリギリ新橋あたり・・・
 で浅草とかは論外。)
構成も短い時間の演目を多く取り入れ、
中だるみのないようにしてあるし、
衣装も「粋」を感じさせる衣装も多かった。
 
1日に「をどり」の『はしご』は初めてだったが、全く対照的なものを観られて
案外良かったのかもしれない。
ちょっと、頭の中が「満腹状態」になってしまったかもしれないが・・・
だが、好きな物でお腹いっぱいなのだから、それはそれで幸せなことだ
 
あとは「都をどり」と来月の「鴨川をどり」なのだが、いかんせん、
時間とお金が思うようにいかない・・・
以前の会社の創立記念パーティ出席のために帰省しなくてはいけないし、
また三社祭りや鳥越祭りなどの帰省も控えている・・・
時間の調整ができても、お金のやり繰りが厳しいだろうなぁ。
 
だが、今年も好きな「をどり」を観ることができて良かった。
 
 
 
 
 
 
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