現在の防衛省の敷地内にある建物で、もともとこの敷地内にあった建物を
自衛隊駐屯地から防衛省となる際に敷地内での移転、復元をしたそうな。
設計は当時の陸軍省経理局建築課の池田某。
他の文献によると、陸軍第一師団経理部と書いてあるのだが
旧陸軍では、建築の管轄は経理局だったのでそのような扱いに
なっているのだろうか?
施工は鴻池組とあともう1社の会社が請け負ったそうなのだが、
もう1社の方がどこの会社なのだかは、よくわかっていない。
案内してくださったコンパニオンの女性ではなく本省直属の技官の方に
直接尋ねて聞いたところ、そのような回答をいただいた。
昭和9年(1934年)築の建物で、もともとは陸軍士官学校本部として建てられた。
この地は、大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部があった場所でもあり
特にこの建物は昭和20年(1945年)8月に米軍に接収後、
極東軍事裁判(東京裁判)の法廷としても使用された。
日本の歴史舞台の生き証人のような建物でもある。
一番、記憶に新しい事件は、あの三島由紀夫氏の割腹事件だろう。
三島氏が立てこもった建物がこの建物である。
実際に建っていた場所からわずか数百メートル西に移築保存されている。
移築復元に際しては、
歴史的事件に関わった部屋だけを
そのまま移築復元したとのことで
部屋の位置などは建築当時とは
かなり違っているのだが、
それでも陸軍という性質上か
昭和天皇の来場をかなり意識した
設計になっているのが興味深い。
昭和天皇と陸軍の関係は
書かなくともおわかりだろう。
大講堂に入るとすぐ突き当たりには「玉座」。
この部屋が極東軍事裁判に使われた部屋で
床の木材もすべてそのまま移築をしたとのこと。
この玉座から扉を見ると(わからないように)、扉の方の床が少しづつ高くなっていて扉を開けた時に玉座が、はるかかなたの遠くにあるかのように見せる遠近法を
使っているそうな。
試しに床にカメラを置いて写真を
撮ってみたところ、やはり入り口の
扉の方が高くなっているのが
左の写真でもわかると思う。
また、玉座の裏側にある階段なども一般人用とは別に玉座に上がる昭和天皇専用の階段があるのだが、階段の昇降に足の運びがスムーズに行くようにわざと、
階段のステップを逆方向に撓ませてある箇所が今でも残っている。
職人の心遣いというか、一見地味な細工だが日本の誇るべき「技」でもある。
ここにはかなり貴重な資料が展示されており、フラッシュを使用しなければ
展示物の撮影も可能なのだが、痛ましい感じがして撮影する気にはなれなかった。
壁などは、完全に現代の材料で復元してありボードを凹凸に組み合わせて
市松模様にしたり、明かり取りの天窓の感じは、どことなく「旧甲子園ホテル」の
イメージにも近いような感じがしなくもない。
関西にある旧甲子園ホテルの東ホールやヨドコウ迎賓館の色の使い方などと
非常によく似ている感じだ。
左は玉座から見下ろした大講堂。
突き当たりに見える二階部分が
極東軍事裁判では一般傍聴席に
なっていたそうだ。
二階にあがると、「旧便殿の間」と「旧陸軍大臣室」。
旧便殿の間は、陸軍士官学校時代の昭和天皇の休息の部屋だった場所で
現在のようなエアコンなどの冷暖房がない時代に、壁と壁との隙間に大きく幅をとり
その隙間に冷たい冷気や暖かい暖気を送り込み冷暖房を行ったそうな。
窓の上部にある通気孔と思われた部分は
実は、冷暖房用の孔だったのだ。
そのためにこの孔の側面にある部分が
分厚くなっているのだそうな。
この便殿の間は、その後は陸上自衛隊の
幹部学校の校長室として使用されたそうで
特に華美な装飾などはない。
そして、その隣には旧陸軍大臣室。
この部屋はもともとこの場所にあった部屋では
ないのだが、「保存・復元」にあたって
建物の内部での移転をしている。
こちらも飾りっ気のない部屋なのだが
あの三島事件の起こった部屋でもある。
戦後は、陸上自衛隊東部方面総監室」だった。
あの事件が事件だけに、保存されたのは三島氏がつけた刀傷のついた扉だけ。
あとはおおまかな部屋だけのようだ。
見学者の大半が団塊の世代以上の方々だったので、何故かこの刀傷だけは
皆さんが非常に興奮しておられ撮影されていた。
三島氏が演説をなさっていたバルコニーも建物の内部から見ることができる。
陸上自衛隊駐屯地から防衛省になり、以前この建物についていた「桜」の
マークは現在ははずされて記念館入り口に時計とともに飾られているが、
YOU TUBEなどで探せばこの建物の画像がたくさんあるので
検索されてはいかがだろうか?
この建物で起こった事件をただ、好奇の目だけで見るのではなく
その本質までも思慮していただきたい。
そのために防衛省もこの建物を移築、復元したはずだろうから。
その歴史や背景をある程度知った上で訪れるべき場所でもあると思う。
アタシ自身も勉強し直して機会があれば再訪しお話を伺ってくるつもりだ。