深江文化村の最後の1軒は、登録有形文化財の富永邸だ。(写真1枚目)
大正14年(1925年)築、木造2階建てで、現存する日本最古のツーバイフォー住宅だ。
ポーランド人のベイリー氏の設計、大工棟梁の吉田勝二郎氏施工。
富永家の初代富永初造氏がアメリカにいた頃、ポーランド人のベイリー氏に設計を依頼し、
資材や家具などをすべてアメリカで調達したそうな。
ちなみに現在でもよく使われているツーバイフォーを簡単に説明すると、
ツーバイフォーすなわち、2x4のことで、19世紀の初めに北米で誕生した木造住宅の工法だ。
2インチx4インチを中心をする規格材を基本として組んだ枠を床、壁、天井の6面で
支える工法のことで、現在でもよく使われている。
面で支える構造で地震に強いと言われている。
現在ではわずか3軒だけしか、当時の建物は残ってはいないがこの付近の建物はすべて
「お屋敷」と呼ばれる類の建物ばかりだった。
まだ分譲中のテラスハウス風の家なども、文化村ということを意識してか
それなりに雰囲気を醸し出すようなデザインになっている。(写真2枚目)
ここからは、今度は阪神電車の芦屋駅まで歩くことになった。
豪邸の間を歩きながら移動だった。
最後に芦屋駅に到着して、恒例の解散前の喫茶店での意見交換を言うことになった。
喫茶店を探すうちに芦屋警察署の前に来た。
この建物も近代建築でアタシも他のメンバーの数人も、ここに来たことがあったが、
まだ見たことがなかったメンバーと、以前の写真の撮り直しを少し行ってから
喫茶店に入り、その後解散となった。
ちなみに芦屋警察署(写真3枚目、4枚目)は、兵庫県の営繕課の設計で、施工不明、
昭和2年(1927年)築、RC造3階建て。
総工費は、当時の金額で約12万円。
だが、そのうちの7万円は地元からの寄付でできたそうな。
やはり芦屋だ、昔から裕福な土地柄だったようだ。
その後、建物のファザード部分を残して改修工事を行っている。
写真5枚目の「フクロウ」だか「ミミズク」は入り口のアーチの上についているもので、
現在では、この入り口は使われていないのだが、もしかしたら
「フクロウ(ミミズク?)」→「夜でも目が見える」→「夜でも目を光らせている」ということでは
ないだろうかと思うのだが・・・・・
ただ、単に動物のレリーフを作っただけではないと思う。
大正14年(1925年)築、木造2階建てで、現存する日本最古のツーバイフォー住宅だ。
ポーランド人のベイリー氏の設計、大工棟梁の吉田勝二郎氏施工。
富永家の初代富永初造氏がアメリカにいた頃、ポーランド人のベイリー氏に設計を依頼し、
資材や家具などをすべてアメリカで調達したそうな。
ちなみに現在でもよく使われているツーバイフォーを簡単に説明すると、
ツーバイフォーすなわち、2x4のことで、19世紀の初めに北米で誕生した木造住宅の工法だ。
2インチx4インチを中心をする規格材を基本として組んだ枠を床、壁、天井の6面で
支える工法のことで、現在でもよく使われている。
面で支える構造で地震に強いと言われている。
現在ではわずか3軒だけしか、当時の建物は残ってはいないがこの付近の建物はすべて
「お屋敷」と呼ばれる類の建物ばかりだった。
まだ分譲中のテラスハウス風の家なども、文化村ということを意識してか
それなりに雰囲気を醸し出すようなデザインになっている。(写真2枚目)
ここからは、今度は阪神電車の芦屋駅まで歩くことになった。
豪邸の間を歩きながら移動だった。
最後に芦屋駅に到着して、恒例の解散前の喫茶店での意見交換を言うことになった。
喫茶店を探すうちに芦屋警察署の前に来た。
この建物も近代建築でアタシも他のメンバーの数人も、ここに来たことがあったが、
まだ見たことがなかったメンバーと、以前の写真の撮り直しを少し行ってから
喫茶店に入り、その後解散となった。
ちなみに芦屋警察署(写真3枚目、4枚目)は、兵庫県の営繕課の設計で、施工不明、
昭和2年(1927年)築、RC造3階建て。
総工費は、当時の金額で約12万円。
だが、そのうちの7万円は地元からの寄付でできたそうな。
やはり芦屋だ、昔から裕福な土地柄だったようだ。
その後、建物のファザード部分を残して改修工事を行っている。
写真5枚目の「フクロウ」だか「ミミズク」は入り口のアーチの上についているもので、
現在では、この入り口は使われていないのだが、もしかしたら
「フクロウ(ミミズク?)」→「夜でも目が見える」→「夜でも目を光らせている」ということでは
ないだろうかと思うのだが・・・・・
ただ、単に動物のレリーフを作っただけではないと思う。
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