





この蓬莱橋にも気になる物があった。(写真1枚目、2枚目、3枚目)
かなり昔のレリーフだと思うのだが、どうもこのマークが気になる。
どこにも問い合わせはしていないのだが、もしかしたら京都市の市章だろうか?
ちなみに橋のたもとにあったマンホールの蓋にある市章を見比べてもらいたい。(写4枚目)
似ているようで、また少し違うようにも見えるのだが・・・
ただのレリーフで市章に似ているだけなのかもしれないが・・・
それから、鳥せい本店(http://r.gnavi.co.jp/k006500/)で昼食になった。
「神聖」という日本酒の酒蔵の中にお店がある。
ランチの焼き鳥弁当とかす汁のセットと鳥そぼろ丼とかす汁のセットを注文するグループに
別れたが、どちらも1000円でおつりが来る。
使っている水は伏見の名水で、お酒造りにも使われる水だからお冷がおいしい。
写真5枚目は焼き鳥弁当。(この名前で良かったのかしらん?ランチメニューにあったはず・・・)
酒かすを使ったかす汁は、東京のアタシにとっては馴染みの薄い物だ。
自分で作ったことなどないし、ほとんど飲まない。
新潟などの酒どころのかす汁は数回飲んだことはあったのだが・・・
他のメンバーに言わせるとちょっと、酒かすがキツイかな?ということだったが、
体は暖まる感じがしておいしかった。
そして、いよいよ近くにある「寺田屋」の見学に行く。(写真6枚目)
今回の活動にあたって、資料を作る時に改めて、と、いうか初めて、この寺田屋についての
正しい知識を得ることができたのではないだろうか?
今まで、アタシはここで坂本龍馬が暗殺されたと誤解していたのだ。(お恥ずかしい・・・)
よくよく調べてみたら、2度に渡ってこの寺田屋を舞台に大きな事件が起こっている。
1度目は文久2年(1862年)4月23日(現在の5月29日)に薩摩藩の尊皇派が、
藩の定宿である寺田屋に集合して京都所司代の襲撃を計画していたのだが、
藩主の父である、島津久光氏によって阻止された。
だが、阻止するにあたって藩主側と尊皇派が対立し戦闘となった。
その後、薩摩藩の方で血だらけになってしまった部屋などの改修工事を
行ってきれいに直してもらって現在に至っているそうな。
自分たちで起こした事の始末をきちんとつけるあたりはさすがだ。
(当たり前のことなのだが、この辺りができない現代人が多すぎるので・・・・)
そして、その4年後の慶応2年(1866年)1月23日(現在の3月8日)に
宿泊中の坂本龍馬を伏見奉行の捕り方が捕縛、暗殺しようとしたのだが、
後の妻となるお龍さんの機転で逃げて、西郷隆盛の斡旋で鹿児島に潜伏したそうな。
この辺りの幕末の歴史に関しては、かなりの幕末ファンがいらっしゃると思うので
それぞれの方々にこの解釈のチェックをお願いできれば幸いだ。
アタシはどうも、幕末物というと敗れた徳川側の彰義隊あたりの肩しか持てない
根っからの東京人なので、かなりうがった考えで見ているところもあるからだ。
だが、この時代がなければ現在の日本はありえないので(当たり前だけれど)
佐幕の勤皇もなく、一応均等に理解はしなくてはと思ってはいるのだが・・・・
約140年ほど前までは、熱い日本人ばかりだったことだけは理解している。
いつから、日本人は心を動かすことがなくなってきてしまったのだろうか???
別の意味で考えさせられてしまった。
140年前に国を思い、対立し、戦った人々もまさか、こんな世の中になるとは
思ってもいなかっただろう。
「心を動かす」これがアタシのサークルの本当の目的でもあるのだが・・・
寺田屋については、かなり細かくなるので、続きは次回に・・・
歴史的な内容に関しては、アタシ自身の理解が浅いので訂正があるようなら
コメントいただくか、直接メールでご指導いただければと思っている。









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