




もともと、遊郭には「張り見世」というのがあって、
遊女たちがここに座りお客に顔を見せて、
お客に選んでもらう、またはお客を選ぶという風習があったのだが、
明治になって「張り見世」は禁止となり、その後、明治後期に
「張り見世」は復活したのだが、大正5年(1916年)に
再び禁止となったので、この店の「顔見世の間」は
お飾りだろうと、言われている。
ここは大正11年(1922年)から
昭和3年(1928年)の間に建てられたからだ。
2階への階段に描かれている絵は、かなり傷みがひどいが
どの絵も美しく、日本各地の観光名所絵図が描かれている。
写真2枚目の階段部分の壁は「桃太郎」、
その階段を上がりきったところに鳥居が設けられ(写真3枚目)、
半分が安芸の宮島だろうか?「杓文字」の絵が鳥居の柱に
たくさん描いてあるのが見える。(写真4枚目)
ここには、「宮島の間」という部屋もあり、やはり、杓文字を
モチーフにしている。
鳥居の手前の絵(写真5枚目)は、2枚目の写真の桃太郎の絵の
続きとなっており、「天満宮の渡り船渡御に参加した桃太郎」と
他の船渡御のご一行の絵となっているそうな。
1階が宴会用の大きい部屋が2つあるだけなのに対して
2階は比較的こじんまりした部屋が多い。
それぞれの部屋に名前がつけられ、その名前にちなんだ
モチーフをふんだんに盛り込んだ部屋になっている。
「お祭り佐七の間」とか「お染の間」、「由良の間」など
歌舞伎にちなんだ部屋も多い。
「千代の間」という和歌にちなんだ部屋もある。
戦前、いや、戦後しばらくの間の人々は歌舞伎などの芝居を好んだので
こういった趣向が多かったのではないだろうか?
だから、遊びに来るお客も、その辺りがわからないと
なかなか通じないのではないだろうか?
とにかく、昔の日本人の方が現代の日本人に比べて
文化レベルはかなり高かったので、こういった洒落っ気のある
ことが理解できたのだろう。
また写真が増えてきたので、続きは次回に・・・・









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