Aさんの別荘を後にして、また更に歩く・・・
歩くと言っても六甲山だから平坦な道を歩くわけではない。
アタシたちサークルのメンバーだけは何故かヒィヒィ言いながら
ひたすらゆるやかな登り道を歩いていたのだが、
他のNPOの方がたはかなりお歳を召していらっしゃるのに
平気な顔で歩かれていらしゃる。
歩くのには自信があるメンバーばっかりだったのだが
これには全員びっくりした。
神戸ゴルフ倶楽部に行く前に登六亭というお店で昼食。
実はこの店の前を何回も通っており、かなり気になるお店だった。
だが、1度も入ったことがなかったので嬉しかった。
猫のオブジェがたくさん置いてあって、
店内の装飾も一歩間違えると過剰なので収集がつかなくなるのを
うまい具合にまとめてあって、独特の空間美となっている。
かなり上手いコーディネイトだ。
人数も多いので全員がカレーライスを注文。
食後は、また更に歩いて神戸ゴルフ倶楽部へ。
六甲ケーブル山上駅ができた年、昭和7年(1932年)に
Aさんの別荘とともに神戸ゴルフ倶楽部のクラブハウスもできた。
ゴルフ場自体は、更に古い歴史があり明治36年(1903年)に
創立されている。
クラブハウスは木造1階建でこちらもヴォーリーズ氏の設計だ。
芝の向こうには、下界の神戸の街が見えている。
生まれて初めて見る、ゴルフ場のコースの美しさに目を見張る。
慶応3年(1868年)に来日したA・グルーム氏は
神戸の外国人居留地にあった彼の商館の番号「101」から
山荘も「101」と呼ばれたそうな。
当時その番号を彫った石が置いてあった場所には
小さな覆いというか囲いが作ってあり、
その歴史の刻まれた石が大事にされている。
グルーム氏とその友人たちの手で作られた神戸ゴルフ倶楽部は
明治39年(1906年)に社団法人として認可されている。
コース設計は、第1回倶楽部選手権に優勝したJ・アダムソン氏。
当初、ゴルフをプレーする日本人はほとんどいなかったらしいが、
大正15年(1926年)には、外国人と日本人のゴルファーの数が
逆転したと、ゴルフ倶楽部でいただいた資料には書いてあった。
戦後は一時、アメリカ軍に接収されていた時期もあったそうだ。
日本で一番古いゴルフ場だそうだ。
こちらでも、いろいろとお話を伺うことでできたのだが、
アタシは一度では全て覚えきれない。
したがって、こちらでいただいた資料の一部を
ほとんど丸写しさせていただいたのだが、
このちょこっとした資料にはかなりの情報がぎっしり詰まっていて
とても、有り難い参考資料だった。
クラブハウスの建物がどうのではなくて、
明治の世になってこの国にゴルフというものがどのようにして
広がっていったのかという歴史が少しだけ、わかったような気がした。
最後に、いつもの??ヴォーリーズ氏設計の六甲山荘に行くのだが
こちらは次回の更新時に回したい。
歩くと言っても六甲山だから平坦な道を歩くわけではない。
アタシたちサークルのメンバーだけは何故かヒィヒィ言いながら
ひたすらゆるやかな登り道を歩いていたのだが、
他のNPOの方がたはかなりお歳を召していらっしゃるのに
平気な顔で歩かれていらしゃる。
歩くのには自信があるメンバーばっかりだったのだが
これには全員びっくりした。
神戸ゴルフ倶楽部に行く前に登六亭というお店で昼食。
実はこの店の前を何回も通っており、かなり気になるお店だった。
だが、1度も入ったことがなかったので嬉しかった。
猫のオブジェがたくさん置いてあって、
店内の装飾も一歩間違えると過剰なので収集がつかなくなるのを
うまい具合にまとめてあって、独特の空間美となっている。
かなり上手いコーディネイトだ。
人数も多いので全員がカレーライスを注文。
食後は、また更に歩いて神戸ゴルフ倶楽部へ。
六甲ケーブル山上駅ができた年、昭和7年(1932年)に
Aさんの別荘とともに神戸ゴルフ倶楽部のクラブハウスもできた。
ゴルフ場自体は、更に古い歴史があり明治36年(1903年)に
創立されている。
クラブハウスは木造1階建でこちらもヴォーリーズ氏の設計だ。
芝の向こうには、下界の神戸の街が見えている。
生まれて初めて見る、ゴルフ場のコースの美しさに目を見張る。
慶応3年(1868年)に来日したA・グルーム氏は
神戸の外国人居留地にあった彼の商館の番号「101」から
山荘も「101」と呼ばれたそうな。
当時その番号を彫った石が置いてあった場所には
小さな覆いというか囲いが作ってあり、
その歴史の刻まれた石が大事にされている。
グルーム氏とその友人たちの手で作られた神戸ゴルフ倶楽部は
明治39年(1906年)に社団法人として認可されている。
コース設計は、第1回倶楽部選手権に優勝したJ・アダムソン氏。
当初、ゴルフをプレーする日本人はほとんどいなかったらしいが、
大正15年(1926年)には、外国人と日本人のゴルファーの数が
逆転したと、ゴルフ倶楽部でいただいた資料には書いてあった。
戦後は一時、アメリカ軍に接収されていた時期もあったそうだ。
日本で一番古いゴルフ場だそうだ。
こちらでも、いろいろとお話を伺うことでできたのだが、
アタシは一度では全て覚えきれない。
したがって、こちらでいただいた資料の一部を
ほとんど丸写しさせていただいたのだが、
このちょこっとした資料にはかなりの情報がぎっしり詰まっていて
とても、有り難い参考資料だった。
クラブハウスの建物がどうのではなくて、
明治の世になってこの国にゴルフというものがどのようにして
広がっていったのかという歴史が少しだけ、わかったような気がした。
最後に、いつもの??ヴォーリーズ氏設計の六甲山荘に行くのだが
こちらは次回の更新時に回したい。
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