この無名舎である吉田家住宅は、通り庭と呼ばれる敷地内の細い通路は
吊り戸になっていて、床がバリアフリーのように段差がないと言うことは
前にも書いたのだが、このお宅の入り口の「框(かまち)」にも驚いた。
いくら、敷地内の細い通路が段差がなくても入り口で段差がある。
その段差が、いわゆる「框(かまち)」なのだが、
実はこれが取り外しできる。(写真1枚目、2枚目、3枚目)
これが取り外してある時は、荷車などそのまま中で入って来ても良いと
いうメッセージでもあるそうな。
逆にこの框が下にはまっている時は、荷車は入るな、ということだそうだ。
この「框」一つを見て判断する心の機敏さというのも、
池波正太郎風に言えば、「都人(みやこびと)の繊細さ」なのだろうか・・・
ご主人のお話を聞いていて印象に残る言葉があった。
京都の街中で生まれ育って、いわゆる「街の子」は、
自分の家の近くの路上で様々なことを見聞きして成長する。
「路上はいろいろなことを体験できるステージだ。
路上からいろいろな物を学んで大人になった。」
ご主人はそうおっしゃった。
あの赤瀬川源平先生もおっしゃっていた。
そう、まさに「路上はステージ」なのだ。
アタシは自分が今、好きでやっていることが間違っていなかったと
思うと嬉しくてたまらなかった・・・・
この無名舎・吉田家の「更紗」のコレクションが3月に
京都芸術センター(旧明倫小学校)で展示されるので、
建物見学や旧校舎内にある、前田珈琲などに立ち寄りながら
展示会に行かれると良いだろう。
このお宅の「更紗」のコレクションもかなりの数で美しいものばかりだ。
3月23日から3月29日まで開催の予定だ。
紫織庵へと移動したのだが、続きは次回の更新時にしたい。
吊り戸になっていて、床がバリアフリーのように段差がないと言うことは
前にも書いたのだが、このお宅の入り口の「框(かまち)」にも驚いた。
いくら、敷地内の細い通路が段差がなくても入り口で段差がある。
その段差が、いわゆる「框(かまち)」なのだが、
実はこれが取り外しできる。(写真1枚目、2枚目、3枚目)
これが取り外してある時は、荷車などそのまま中で入って来ても良いと
いうメッセージでもあるそうな。
逆にこの框が下にはまっている時は、荷車は入るな、ということだそうだ。
この「框」一つを見て判断する心の機敏さというのも、
池波正太郎風に言えば、「都人(みやこびと)の繊細さ」なのだろうか・・・
ご主人のお話を聞いていて印象に残る言葉があった。
京都の街中で生まれ育って、いわゆる「街の子」は、
自分の家の近くの路上で様々なことを見聞きして成長する。
「路上はいろいろなことを体験できるステージだ。
路上からいろいろな物を学んで大人になった。」
ご主人はそうおっしゃった。
あの赤瀬川源平先生もおっしゃっていた。
そう、まさに「路上はステージ」なのだ。
アタシは自分が今、好きでやっていることが間違っていなかったと
思うと嬉しくてたまらなかった・・・・
この無名舎・吉田家の「更紗」のコレクションが3月に
京都芸術センター(旧明倫小学校)で展示されるので、
建物見学や旧校舎内にある、前田珈琲などに立ち寄りながら
展示会に行かれると良いだろう。
このお宅の「更紗」のコレクションもかなりの数で美しいものばかりだ。
3月23日から3月29日まで開催の予定だ。
紫織庵へと移動したのだが、続きは次回の更新時にしたい。
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