munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2011年02月

14 2月

「斜面がキャンバスのおぢさん」つながりで、八塔寺ふるさと館へ!

「斜面がキャンバス」のおぢさんのところへ、毎年、妖しいオブジェを見に行き
このブログでも何度もアップしている「おぢさん」。
この「おぢさん」の作る作品が以前行った、ドライブインのような飲食店にも
飾ってあった、という3年前の「八塔寺ふるさと館のオブジェ群」という過去記事に
1月の終わりに1つのコメントが入った。
 
はじめまして(^O^)八塔寺ふるさと館・店主です。又~お越しの時にゎ是非お店にもお立ち寄り下さいませ(^^)vお待ちしています。イメージ 8
 
 
アタシの知っている
八塔寺ふるさと館の店主は、初老の女性の方だった。
だが、とてもその方がブログを運営しているとは思えないし、
今年の初めに、『おぢさん』のところへ行った時にこのふるさと館に寄ったときも閉まっており、電気もついていなかったのでてっきり、閉鎖されて、もうやっていないのだろうと思い込んでいた。
文面から見て、若い女性のような感じ・・・
 
早速、お友達登録をし、かなり頻繁にメッセージのやりとりをするうちに昨年末近くから経営されていらっしゃる方のようで、
以前のお店とはまったく違うような感じだったし、比較的近場なので「そのうちに行くね」とメッセージを送った。
たけんちさん( http://blogs.yahoo.co.jp/forevarlovechi)とおっしゃる方がそのコメントの主だ。
 
アタシのモットーは「有言実行」。
出来きそうにないことは、はなっから言わないし近寄らない。
 
昨日、灯油を買いに出かけて、このまま近場をドライブしようということになり、
それなら、八塔寺ふるさと館に行こう!ということになった。
イメージ 1
 
 
あの「おぢさん」のオブジェは数年前に、他所へお嫁入りしたようだ。
オブジェはないが、全体的に明るくなったような感じだ。
 
午後の中途半端な時間に行ったので、他のお客さんは1人だけ。
しかも、地元の方がお茶を飲みにいらしているようだった。
 
石釜ピザと手打ち蕎麦というのはたけんちさんから聞いて知っていたので、
ピザを注文。
アタシとたいして変わらぬ年齢の女性がコメントをくださった「たけんち」さんらしい。
最初に名乗っても良いのだが、なまじ変は気を使わせてもと思い、
出てきたピザを先に食べることにした。イメージ 2
 
お世辞抜きでおいしい!!
車の中でアメリカンドッグだとか
から揚げ棒などを散々、食べ
満腹に近い状態にも関わらず、
素直に『おいしい!』と思った。
ピザには、サラダもついていた。
 
半分近く食べ進んだ頃に、
「たけんちさん」らしき女性が、
「お味はいかがでしょうか?
実は○○を使って焼いたのですが・・」と話しかけて来てくださったので、おいしいという感想を述べたあとに
「たけんちさんですか?」と伺ったところ、即座に「むにゅさん??」という返事が・・・
たけんちさんも椅子に座って、しばらくあれやこれやと話すうちに
旦那がほとんどピザを食べてしまっており、あわてて2切れだけ残ったピザを
このブログにアップすべく写真の収めるも、おいしいピザがおいしそうに見えない・・
まぁ、アタシは写真ブロガーではないのでご勘弁を願いたい。
イメージ 3
 
あの『おぢさん』のおかげで、お友達になれたわね~という話しをしていると、
当のオブジェのおぢさんが、八塔寺ふるさと館の外を歩いていらっしゃった。
ここまでは、トラックで来られたのだろう。
噂をすれば・・・だ。
 
話し込むうちに、ドライブ帰りらしき、若いカップルも喫茶をしに入ってきた。
以前のふるさと館では、考えられない光景だった。
やはり、明るく活気のあるお店は、人が中に入って来やすいのだ。
 
 
 
 
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木曜日が定休日。
土日、祝日は17時半まで。
月、火、水、金は14時半まで。
                    コテージも1人3500円で宿泊できる!
 
 
数年前、道に迷って「おぢさん」のいる斜面に遭遇していなかったら、
アタシがブログを運営していなかったら、
ここで、「たけんち」さんと談笑しているということはなかっただろう。
つくづく、人の縁というものを感じてしまう。
 
自分から繋いでいかないと、縁というものは繋がらないので
また、ピザを食べに行くつもりだ。
東京出身なので蕎麦は大好きだから、蕎麦も良いなぁ・・・・
 
でも、たけんちさん、当分、○○を使ったピザにはまりそうなので
アタシの時には、○○をよろしく!
12 2月

ヌリカベ物件

東京の向島にあった。
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塗り固めたわけではなく、塞いでいるだけのようだ。
かつては、はめ殺しの窓でもあったのだろうか?
無用窓とも入れるのだが、なんとなく真っ白いおしろいで塗り固めたように
見えるので、ヌリカベ物件としておこう。
無用窓もヌリカベもトマソン用語で、これはアタシが命名したものではない。
 
 
 
 
 
 
 
むにゅの路上観察 ・・・・・ その155
10 2月

うどんが来てから2ヶ月・・・

昨年12月に『うどん』が家にやって来てから、そろそろ2ヶ月になる。
先住猫3匹たちともすぐに慣れてくれたようだが、
『パチロー』は『うどん』があまり好きではない。
威嚇はしないけれど、たまに目が合うとパンチで頭をひっぱたいている。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ← パチロー
 
 
寒いせいか仲良く一緒に固まって寝ていることも多いのだが、
『うどん』の存在が気に入らないらしい。
だが、毛づくろいをしたり一緒にキャットタワーの上から外を見ていることもあるので
「あんまり好きではないが、まぁ、許してやってもよい」ということなのだろう・・・
 
『虎王』は、怒りもしなければ好きでもない。
どちらかと言うと苦手のようだ。
基本的にものすごくおとなしい猫なので、好きではないけれど     
一緒に住んでいるから「大人の対応」を心がけているようだ。   虎王
もともと、人間に甘えいのだけれど、甘え下手な猫。          
感情をストレートに出して甘えまくる『うどん』がうらやましいようだ。
 
イメージ 3
 
我が家で一番、大事にされているのは
黒猫『ギョロちゃん』だ。
生まれつき心臓が悪く、あと数ヶ月の命と
言われながらも、なぜかもう3歳。
心臓の具合が悪くなって通院したことは
一度もなく、投薬も行っていない。
飄々とした性格で、ギョロちゃんだけは
『うどん』が我が家にやって来た時も
今も、威嚇したり怒ったりしたことはない。
そのせいか、うどんはこのギョロちゃんが
大好きで、いつも後をついて歩いている。
 
イメージ 4
 
 
 
← ギョロちゃん
 
 
ただ、心臓が悪い猫にあるまじき
体重と大きさだ。
大きな体躯で飛び跳ねている。
ダイエットもさせなくては・・・
まるで、小熊のように見える。
 
うちに来て2ヶ月の『うどん』は、とにかく甘えん坊。
人間の肩に乗るのが好きで、うちのダンナもよく犠牲になっている。
イメージ 5イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
← うどん
 
 
 
アタシは、人間の食事中に猫を膝の上に乗せたりするのが好きではないのだが、
うちのダンナは久しぶりの小ぶりの猫が嬉しいらしく、膝に乗せて食事をしている。
小ぶりの猫といっても、体重はもうそろそろ4キロ近くなるはずなので
決して子猫ではないのだが、いかんせん、うちの他の3匹は大きくて重いのだ。
それが証拠に、『うどん』と『ギョロちゃん』が一緒に猫ベッドに寝ても
ちゃんと2匹一緒におさまるのだが、イメージ 7
 
『パチロー』と『ギョロちゃん』だと
もう、入りきらない・・・
 
ギョロちゃんのお尻が猫ベッドの
上に乗っかっているような状態に
なってしまうのだ。
 
基本的に先住猫3匹の
頭の大きさと「うどん」の頭の
大きさがかなり違うので
もしかしたら、「うどん」は巨大化しないような気がしなくもないのだが・・・
イメージ 8
 
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うどんちゃん、
どうかこのままの体重でいておくれ・・・・
 
 
9 2月

第54回 活動報告  倉敷女子ツアーその2

喫茶店を出てから、倉敷館を横目に倉敷アイビースクエアへ。
倉敷館は、もともとは役場として大正6年(1917年)に建てられたもので
設計・施工ともに不詳。イメージ 1
昭和3年(1928年)まで役場として使用され、長い間廃墟になっており
解体の話もあったそうなのだが、昭和46年(1971年)に観光案内所として利用されることになり、復元。
昭和61年(1986年)には保存修理が行われている。
この建物の建築年に関しては
大正5年という人も多いのだが、
ここでは倉敷市の文化財課の
説に従いたい。
 
その隣には倉敷民芸館。 
江戸時代後期の米蔵を利用して作られた。(写真右下)
この倉敷民芸館の初代館長だった                        イメージ 8
外村吉之助氏が館長就任後
自邸を開放して設立したのが
川をはさんだ向かい側にある
『倉敷本染手織研究所』だ。
こちらも、江戸時代後期から
明治初期の頃の建物だそうで
日の丸扇の瓦があった。
民芸館にも入っておらず、
倉敷本染手織研究所も見学不可
なので外側からだけなのだが、
初代館長が設立した研究所の
瓦の写真をアップするので、関連性ということで写真を載せている。
 
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
喫茶エル・グレコを出てから
まだ10分足らずだったのだが
このあたりから女子特有の
お買い物ツアーへと変貌していく。
暑いからという理由であちこちのショップに入るのだが、土蔵や町家を使った
おしゃれなお店ばかりで、ストールやバッグ、何故か竹笊を買おうとしている
メンバーもいた。
もちろん、アタシもシルクのハンカチーフを2枚購入。
その後、買い物でリフレッシュしたメンバーたちと倉敷アイビースクエアへ。
イメージ 4
元倉敷紡績工場で現在はホテル、
記念館や小美術館などの文化施設
や工房を備えた多目的広場でもある。
 
左は、元製品倉庫だった建物を
利用した「児島虎次郎記念館」。
美術品などが展示してある。
 
 
 
 
 旧混棉室だった場所はアイビー学館として使われている。(写真右下)
 
     イメージ 5
 アタシたちの目的は
このアイビー学館内にある売店で
かき氷か、白桃スフとクリームを
食べることだった。
目的を達成した後、しばらく涼み、
アイビースクエア内にある売店で
またお買い物。
このアイビースクエア内でも
室内見学できる施設がいっぱい
あったのだが、時間的にも
ゆっくり、じっくり見学はできないので
ソフトクリームを食べてお買い物をしただけ。
全員、青春18切符で来ているので帰りも鈍行になるため、
早めに電車に乗らなくてはいけないのだが、駅へ向かう途中も
あっちへ引っかかり、こっちへ引っかかりとあちこちのお店に寄りながらの移動。
駅の近くの商店街はとんでもない、人、人、人。
 
イメージ 6
 
この日は「天領祭り」だかで、
ものすごい賑わいだったのだ。
商店街のアーケードでも臨時屋台が
並び、お店でもワゴンセールが・・・
 
ここで、当サークル一番の買い物好きメンバーに火がついた。
いや、もともと火がついていたところに油が注がれてしまったようで、
買い物熱も最高潮に。
 
 まだ買い物を続ける様子のメンバーを引きずって駅へと向かう。
駅前の道路には、天領祭りに参加する人たちらしき、半被を着た方々が
大勢待機していらっしゃった。
 
夜までこのお祭りは
やっていたらしいのだがイメージ 7
岡山方面から大阪方面への
電車は最終電車が早いため、
見ることもなく移動。
 
駅の近くで長道中になるために
最後の喫茶店休憩をとり駅に。
 
だが、最後の最後になって
駅の売店でおみやげ熱が再燃・・・
予定の電車に乗り遅れてしまう。
 
 
結局、19時過ぎの電車に乗って大阪からの参加者は夜中の0時寸前に
大阪駅に着いたそうだ。
 
岡山駅での姫路、大阪方面の電車の本数が少ないので大阪組は倉敷から
岡山に移動した後、1時間近い待ち時間に岡山駅ビルでウインドウショッピングを
していたようだった。(買い物をしたかどうかは定かではないが・・)
アタシは岡山駅から大阪組とは別方向の電車に乗って1人で先に帰った。
 
 
倉敷は美観地区だけでもかなり見所がいっぱいあり、
しかも1つ1つ入館してじっくり鑑賞したい美術館、博物館が多い。
 
個人的に倉敷へは何度も訪れているので、今回の買い物ツアーは
結構楽しかったのだが、同行したメンバーたちに倉敷の良い部分を
全然見せてあげられなかったのが残念だ。
 
 
やはり、ここは数日滞在してゆっくり回るかもしくは、
何度も通うべき場所なのかも知れないと痛感した。
暑い時期に広い場所を街歩きということ自体が無謀だったようだ。
 
 
季節の良い時期にもう一度、今度は有隣館が特別公開される時期に
大原美術館だけのツアーというのも良いかも知れぬ。
やはり、盛りだくさんはいけない。
 
 
 
 
 
 
 
 
7 2月

総社市まちかど郷土館~旧総社警察署

明治43年(1910年)に建てられた旧総社警察署。
現在は、総社市まちかど郷土館となっている。
木造2階建、寄棟造、桟瓦葺。
外壁は下見板張り、腰部上部花崗岩一枚敷。腰部下部煉瓦積。
花崗岩布基礎。正面が六角形タレットになっている。
設計、施工ともに不詳だ。
昨年、三原色さん(http://blogs.yahoo.co.jp/reikos_abc)と近くの
宝福寺に行く時に立ち寄っていただいた場所だ。
イメージ 1
ありがたいことに入館料は無料。
しかも、中の展示もとても良い!
写真撮影もOK。
中に入って初めて知ったのだが、
「備中売薬」というのがあったそうで
(アタシは売薬といえば越中という
認識しかなかった・・・)
その売薬などに関する展示や
鋳物、藺草などの産業に関する
資料展示が主でかなりおもしろい。
 
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
薬袋や薬箱の懐かしいデザインを見て過ごすのもまた楽しい。
薬袋には、ハングル文字も印刷されていた。
戦時中、韓国にも送っていたのか?
それとも、南方にいる兵士たちに向けての
薬だったのか?
売薬売りのマネキン人形も、エキゾチックで
アタシ好みの美男子だった。
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
床下の換気口(写真右上)も、
建築当時のものが残されているのだが、
そのほとんどが破損、交換されており、完全なる状態の物は少ない。
この警察署は、昭和34年(1959年)まで使われた後は、農業共済組合や
総社市タバコ耕作者組合、教職員組合が入居したそうなのだが、
昭和59年(1984年)頃から始まった、建物の保存活用の声により
翌昭和60年(1985年)には総社市が取得し、昭和62年(1987年)改修。
昭和63年(1988年)に、このまちかど郷土館がオープンしたそうな。
この郷土館のすぐ後ろには似たような感じの建物があるが、
イメージ 8
こちらは現在は倉庫になっているが、明治期の作られた建物ではないそうだ。聞いてみたところ、
昭和34年まで留置場として
使われていた建物と言うのだが、
平成元年に倉庫完成と記録にも
あるので、もともと留置場だった
建物を改修して、倉庫にしたという
ことなのだろう。
いずれにしても、この倉庫は
後年になってからの物だそうだ。
 
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