『良いことしてるは思い上がり』。
以前、ダンナと適当に車を走らせていて、偶然前を通りかかったお寺の
門前にそう書かれた紙が貼ってあった。
ものすごく深い言葉で2人とも、妙に感心しながら帰宅し、
それ以来、むにゅ家の家訓としている。
ブログに書くつもりはなかったが、あまりにも腹が立つので記しておく。
実は、今、ごく身近に東日本大震災の罹災者の方々がいらっしゃる。
建てたばかりの家も車(地方では車を複数台所有することが多い)も流され、
手元に残っているのは車が1台だけ。
幸いにも、出稼ぎだが仕事はある。(ただし、日雇い労働者だ。)
こちらでアパートを借りることになったのだが、
不動産屋を数件回ったが、不動産登録しているだけの業者が多いようで
なかなか部屋が見つからない。
ごく最近になって、やっと市が住宅提供や支援などを始めたと聞き、
市役所に行ってみると、被災者提供用の市営住宅はあまりにも
古く、場所も辺鄙なところなので勧められない。
市役所が民間かの住宅提供の中継ぎを行っているのでそちらを
利用した方がと言われた。
尚、市からも『被災避難者見舞金』が支給されるとのことだった。
たまたま、我が家の近所にちょうど良い一軒家があり、2~3年間の
無償提供とのことだった。
そこを貸していただけることになったのだが、いざ、話が本決まりになると
「身ぐるみはがされた、無一文の被災者の人にしか貸したくない。」と
家主さんが言い出した。
とりあえず、家主さんに直接会って、もし、家賃を支払うということで
貸していただけるのならと、市役所の方たちと一緒に家主さんに
お会いしたのだが、
『人助けだから、お金をもらうつもりはない。保証人もいらない。』ということで
1年間だけの約束となった。2~3年が1年になったが、それでもありがたい。
いろいろと、プライベートなことも話すだろうと思いアタシが気を利かせたつもりで
市役所の奥まった部屋で席をはずした時に、3人の市の担当者に
『お世話になるのだから、市から出る見舞金はそのまま支給せずに
自治会長に回しますので、了承してくださいね。』と、言われ
了承せざるを得なくなってしまったそうだ。
何ゆえ、家主でなく、自治会長にその被災避難者の見舞金がお礼として
支払われるのだろう?自治会費など年間数千円のはず・・・・
そもそも、自治会長とは入居前なのでまだ無関係のはず。
家主さんがよこせと言っておられるのか?
だが、アタシもその場にいて『お金はいらない、人助けや』と聞いている。
あわてて、市役所を問い詰めると今度は
『市役所側がそんなことを言うはずがないのだが、言ったとしたら
家主さんにお礼をしたらという程度の意味で・・・』と言い出した。
そして、そのうちに『市役所が謝礼うんぬんを言い出したことは内分に・・・』
などと言い出す始末。
結局、市で定められた被災避難者見舞金は予定通り支払われることに
なったのだが、市の思わぬ報復が待っていた。
今度は1年ではなく、半年しか貸さない。
お金を払う払わないに関わらず、半年後に退去して欲しいそうだ。
こちらからも、家賃支払いの提案もしたのに・・・
市役所の被災者支援担当の人たちではなく、市内の各自治会のとりまとめを
行っている担当の方から言い渡された。
どうも、家主さんとお知りあいらしい会話をしていたのが気になる。
悪い方ではないのだろうが、黒い何かを感じざるを得ない。
もしかして、自治会担当の市の職員だから、自治会長に見舞金を
お礼としてそのまま渡させようとしたのか?
市から出る見舞金なら、まず本人に支給しそれからお礼をさせれば良いのに
本人に支払われずに、全く知らぬ人にそのままお礼金として渡る。
それに対しての抗議への報復?
ものすごい悪意を感じてしまう。
そういえば、市役所で何度も聞かされた言葉。
「皆さんの善意でされていることですから・・・
無償でも家賃とか個人的に支払ってもらえるように市役所は関与しませんが
それぞれ家主さんと話してくださると助かります。」
こういうことだったのか・・・
(でも、こちらが支払う意思を伝えても、家主は家賃は要らぬと断言したのに・・・)
そして、何度も「市がお礼の話をしたことはまずかったので内分に・・」とは?
『良いことしてる』つもりでやっているのだろう。
だから『思い上がっている』のだ。
それゆえに、こいうおかしなことになるのだろう。
他の土地でも、嫌な思いをされていらっしゃる罹災者の方々が多いのでは?
恩と言うものは、着るものであって着せるものではない。
誰かが着せ掛けてくれたら、素直に着れば良い。
そして、いつか、どこかで、誰かに、さりげなくフワリと着せ掛けてあげれば
良いものなのだから、どうか、罹災された方々は住宅のことだけでなく、
着せ掛けられたら着ていただきたいと思う。
恩は、着せてくれた相手に返さなくても良いものなのだ。
アタシはそう思う。
今まで、人様が着せかけてくれた恩をどれだけ着こなして生きてきたか・・・
本当に、いつか、どこかで、誰かに着せ掛ければ良いし、できない状態なら
無理して着せる必要はない。
無理して着せようとすると、それこそ「恩着せがましくなる」し、
「良いことしているつもりで、思い上がってしまう」からだ。
お寺の門前に貼られていた言葉が、頭の中をまだぐるぐる回っている。
『良いことしてるは思い上がり』
その言葉をそっくりそのままぶつけてやりたい人たちができてしまった。
もう、被災者ということは話さず普通に不動産屋さんに礼金を払って
住まいを探す方のが良いのかも知れぬ。
『良いことをしているつもり』の人たちが出てくるとまたこじれてしまうから・・・