その後、かつて料亭だった建物についている
手すり子。
料亭だったこの建物は、その後、
金物屋さんとして使われるのだが
現在は廃業??何の商いもされて
いらっしゃらないようだ。
(人が住まっていらっしゃるのだろうか?)
この建物の前の道が、「銀の馬車道」。
かつて、生野銀山でとれた銀がこの道を通って、遠く播磨灘まで運ばれた。
そして、明治20年(1887年)頃に
建てられた海崎医院の待合室。
設計・施工ともぬ不詳だが、
各天井の絵が非常に美しい。
去年くらいから、写真撮影禁止に
なっているために写真は数年前に
このブログの建物の書庫にアップした
過去記事の写真をそのまま使用して
いることをご了承願いたい。
こちらのご当主の方とも親しくさせていただいているので、少し話し込んでから
旧浅田邸(生野カトリック教会)へ。
この浅田邸の建物は2009年(平成21年)から公開している建物で、
2009年の初公開の時はまだ、この建物の活用法が試行錯誤状態という
お話だったのだが、昨年になって「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」として
活用されることになったそうな。
2009年の初公開時に見学した時と、かなり雰囲気も変わり、
邸内でゆっくり喫茶が楽しめるようにもなっていた。
2009年時の、初公開時には確か「時空の旅」のようなテーマがあって
ガランとした空間に佇んで過去への空間を感じるみたいな雰囲気だったのだが、
2010年(平成22年)には、喫茶や見学者たちで人がたくさん集まる建物に
生まれ変わっていた。
これはこれで、良い。
家は人が集まって、使って、住んでこその物であって、なまじ、
近代建築をふりかざして「人」の存在を忘れてはいけないからだ。
わかりにくいが、手前に車が停まっている場所が、生野カトリック教会の
礼拝堂でこちらは昭和40年(1965年)に作られている。
真ん中に見える洋館と右の和館が「旧浅田邸」の建物だ。
こちらは、昭和7年(1932年)に建てられている。
右は1階の
猫間障子。
左は2階の
座敷。
1階、2階ともに喫茶ができるようになっており、この日はすでに1階が満席状態。
さすがに、写真撮影ができるような雰囲気ではないので2階を見学。
だが、やがて2階にも人が増えだし・・・・
この浅田邸の内部の写真に関しては、過去記事をご覧いただければと思う。
2009年初公開時の写真なので、現在の内部とは違う部分もあるが
変わる前の貴重な内部の写真と思うと、写真を撮るために夕方の人が引いた後、
再訪して撮って良かったと思う。
電話室なども、室内にあった電話器が取り払われていた。
礼拝が行われているようだったので、
信者でない我々は近づかずに
外から礼拝堂の美しい「色ガラス」を
眺めただけで「生野クラブ」へと移動した。
「生野クラブ」は毎年、この銀谷祭りの時しか公開されない。
生野の町は建物の内部見学をしていたら、1日ではとても見切れない。
かなり、あわただしく見て回るしかないので、そのまま生野倶楽部へ。
生野クラブの手前にいつも気になる飾り瓦があるのだが、
よく見ると、これは「黄安」仙人の瓦か??
生野では、かなり凝った飾り瓦を
見かけることも多い。
これは比較的新しい感じがする・・・
実は、サークルのメンバーたちに
見せてあげたかった瓦が、
ここから近いところにあったのだが、時間がなくて回れず。
生野クラブは明治19年(1886年)に建てられ、「本卯建」がある。
関西では「袖卯建」ばかりで、滅多に「本卯建」にお目にかかれない。
↑
本卯建
ちょっと、写真がかなり増えてしまったので続きは次回更新時に・・・
過去記事に詳しくアップしているので、そちらも参照していただければと思う。
海崎医院待合室の過去記事
↓
旧浅田邸の過去記事
↓
生野クラブの過去記事
↓
写真に関しては、ほとんど、
過去記事の写真を使用しています。