munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2011年06月

29 6月

第56回 活動報告 生野銀谷祭り その2

イメージ 1その後、かつて料亭だった建物についている
手すり子。
料亭だったこの建物は、その後、
金物屋さんとして使われるのだが
現在は廃業??何の商いもされて
いらっしゃらないようだ。
(人が住まっていらっしゃるのだろうか?)
 
 
 
 
この建物の前の道が、「銀の馬車道」。
かつて、生野銀山でとれた銀がこの道を通って、遠く播磨灘まで運ばれた。
イメージ 2
 
そして、明治20年(1887年)頃に
建てられた海崎医院の待合室。
設計・施工ともぬ不詳だが、
各天井の絵が非常に美しい。
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
去年くらいから、写真撮影禁止に
なっているために写真は数年前に
このブログの建物の書庫にアップした
過去記事の写真をそのまま使用して
いることをご了承願いたい。
 
 
 
こちらのご当主の方とも親しくさせていただいているので、少し話し込んでから
旧浅田邸(生野カトリック教会)へ。
この浅田邸の建物は2009年(平成21年)から公開している建物で、
2009年の初公開の時はまだ、この建物の活用法が試行錯誤状態という
お話だったのだが、昨年になって「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」として
活用されることになったそうな。
2009年の初公開時に見学した時と、かなり雰囲気も変わり、
邸内でゆっくり喫茶が楽しめるようにもなっていた。
2009年時の、初公開時には確か「時空の旅」のようなテーマがあって
ガランとした空間に佇んで過去への空間を感じるみたいな雰囲気だったのだが、
2010年(平成22年)には、喫茶や見学者たちで人がたくさん集まる建物に
生まれ変わっていた。
イメージ 9
これはこれで、良い。
家は人が集まって、使って、住んでこその物であって、なまじ、
近代建築をふりかざして「人」の存在を忘れてはいけないからだ。
 
わかりにくいが、手前に車が停まっている場所が、生野カトリック教会の
礼拝堂でこちらは昭和40年(1965年)に作られている。
 
 
真ん中に見える洋館と右の和館が「旧浅田邸」の建物だ。
こちらは、昭和7年(1932年)に建てられている。イメージ 10
イメージ 11
 
 
 
右は1階の
猫間障子。
 
 
 
 
左は2階の
座敷。
 
 
 
 
 
 
 
1階、2階ともに喫茶ができるようになっており、この日はすでに1階が満席状態。
さすがに、写真撮影ができるような雰囲気ではないので2階を見学。
 
だが、やがて2階にも人が増えだし・・・・
 
この浅田邸の内部の写真に関しては、過去記事をご覧いただければと思う。
2009年初公開時の写真なので、現在の内部とは違う部分もあるが
変わる前の貴重な内部の写真と思うと、写真を撮るために夕方の人が引いた後、
再訪して撮って良かったと思う。
電話室なども、室内にあった電話器が取り払われていた。イメージ 12イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
礼拝が行われているようだったので、
信者でない我々は近づかずに
外から礼拝堂の美しい「色ガラス」を
眺めただけで「生野クラブ」へと移動した。
「生野クラブ」は毎年、この銀谷祭りの時しか公開されない。
生野の町は建物の内部見学をしていたら、1日ではとても見切れない。
かなり、あわただしく見て回るしかないので、そのまま生野倶楽部へ。
生野クラブの手前にいつも気になる飾り瓦があるのだが、
よく見ると、これは「黄安」仙人の瓦か??
イメージ 4
 
生野では、かなり凝った飾り瓦を
見かけることも多い。
これは比較的新しい感じがする・・・
 
 
実は、サークルのメンバーたちに
見せてあげたかった瓦が、
ここから近いところにあったのだが、時間がなくて回れず。
 
 
 
生野クラブは明治19年(1886年)に建てられ、「本卯建」がある。
関西では「袖卯建」ばかりで、滅多に「本卯建」にお目にかかれない。
イメージ 5
 
イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             ↑
        本卯建
     
 
ちょっと、写真がかなり増えてしまったので続きは次回更新時に・・・
 
過去記事に詳しくアップしているので、そちらも参照していただければと思う。
 
 
 
 
 
海崎医院待合室の過去記事
    ↓
 
 
旧浅田邸の過去記事
     ↓
 
 
 
 
生野クラブの過去記事
     ↓
 
 
写真に関しては、ほとんど、
過去記事の写真を使用しています。
14 6月

無用門ならぬ、ヌリカベ活用門

神戸の北野で現在活用中のトマソン。イメージ 2
トマソンというのは美しき無用の長物なので、
活用されているとなるともはや、
トマソンではないのかもしれないが・・・
確かにかつては、ここは門だった場所。
そこを塗りつぶして『無用門』にしたようだ。
 
イメージ 1
その後、ここに集合住宅用の郵便受けがすっぽりとはめこまれたようだ。
 
この郵便受けのために
『塗りこめられた』わけではないような気がする。
 
たまたま、塗りこめてその後、
ここに設置したのではないだろうか?
 
 
 
無用の門で『無用門』なのだが、門としては無用なのだが、
『ヌリカベ』トマソンの上に郵便受けをつけているので
『ヌリカベ活用門』とでも命名しようか??
 
 
 
 
むにゅの路上観察・・・・その158
9 6月

猫様 in 京島 その1

東京の京島で昨年秋に、ブログ仲間の写真撮影会に町歩き担当で参加した時に
出会った猫様たち。
イメージ 1
まだ小さい猫が4匹、住宅の前にある空き地で遊んでいた。
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子猫というほど小さくもないのだが
生後1年経っていない大きさだ。
風に揺れる草にじゃれてみたり、
虫を追ってみたり、風が運ぶ香りをかいでみたりとじっとしていない。
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
少し離れたところに母猫と思われる、
大きくて精悍な顔つきの猫様がいらっしゃった。
アビシニアンを黒くしたような毛色の猫様で
カメラを向けるアタシをうっとおしそうに
一瞥すると路地をスタスタと歩いて行ってしまわれた・・・
イメージ 3
 
 
この時は親子猫かと思ったのだが、
全然、毛色が違うし、野良猫の多い地域なので
もしかしたら、赤の他人猫かもしれぬが・・・
7 6月

第56回活動報告 生野銀谷祭り その1

「生野銀山-大人の時空の旅club」(http://blogs.yahoo.co.jp/baahus5st)の
みゆさんは、かなり古くからのブログ仲間だ。
毎年送っていただいている「生野銀谷祭り」の案内葉書が、
2010年の晩夏に届いたので、9月のサークル活動の場所に決めた。
都市部やメジャーな場所ばかり行くのも良いが、地方にある鉱山町の昔と今を
実際に見て、鉱山が閉山となった今、その鉱山町をどのように活気づけるか?
その努力の過程と結果をも、メンバーたちに見てもらいたかった。
が、あまりにもアタシがメンバーへの「受け」を狙ってしまい、
見ごたえのある近代建築や有名な寺社仏閣などを対象にしたりと
意識しすぎて活動しすぎてしまっていたせいか、
鉱山町をじっくり体感するということよりも、遊びで銀山への探検と
わずかに残った古い建物を見ただけになってしまった感が否めない活動だった。
JRの姫路駅の構内で集合し、生野へ。
下車すると、旧日下旅館が、生野駅のまん前にある。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外壁に見える鶴や松の形の穴は、空気穴。
明治43年(1910年)に建てられ、
大正10年(1921年)に3階部分を増築。
現在、旅館の営業はされていらっしゃらない。
ここへは何度も足を運んでいたのだが、屋根の瓦にある「日下の日」の文字には
初めて気がついた。何回同じ場所を歩いても、見落としが多いことに愕然とする。
両国橋を通り、銀谷祭り会場方面へ。イメージ 3
この橋の向こうが「但馬」。
手前は「播磨」だ。
2つの国境にかかる橋だから、
「両国橋」。
ちなみに国技館で知られる、
東京の両国は、江戸と下総の国の国境だから両国。
将軍綱吉公の時代くらいまでは、
両国橋を渡った向こうは下総(千葉)の国だった。
(その後は、武蔵の国に編入されるが、武蔵の国と江戸は違うので、ご注意されたし。)
 
 
銀谷祭りの開催されている地区へ移動し、まずは昼食。
銀山まち口番所と呼ばれるボランティアの方々が運営されていらっしゃる
もてなし処??のようなところでハヤシライスをいただく。
その昔、鉱山食堂で提供されたメニューで、その当時の味を復活。
いや、むしろ、今の方がおいしいのではないだろうか??
昔の味は知らないが、どうもそんな気がしてならない。
 
 
イメージ 4
旧豊岡警察署生野分署だった建物も、その銀山まち口番所のすぐ近くにある。
明治19年(1886年)に地元の棟梁・杉浦嘉作氏によって建てられた
現在は『生野一区公民館』と
なっている。
軒瓦の下には生野の町の町章がついている。
 
 
 
 
現在は、公民館としてこの場所にあるが、実はこの建物はもう少し
奥まったところにあったのを移転したそうな。
もともと、この警察署の建物があった場所には「但陽会館」の本館が建っている。
「但陽信用会館」というのは、但陽信用金庫の所有する美術館などの総称で
本館、新館に別れており、新館は美術館になっている。
イメージ 5
右の写真は本館だが、こちらは
但陽信用金庫の会長のデザインをもとに建築設計事務所が設計し直して、昭和50年(1975年)に竣工した建物で、この日は、たまたま本館で昔のお金などの展示をやっていたので、そちらを見学。
基本となるデザインをされた会長は
ギリシャ風の建物などが大好きだったそうだ。
 
 
鉱山町というのは、たいていは普通の町よりも裕福でもあるし、
お金が動く町だったので、当然のことながら、銀行も存在していた。
 
大正15年(1926年)には、現在の但陽信用金庫の前身である生野信用組合が
設立され、その後、支店を増やし現在に至っている
生野の銀谷に現在もある生野支店がもともとは本店だったそうで、
近年になって、加古川に本店を移したそうだ。
 
但陽会館の本館を出て、メイン通りに行く。
実は、生野はじっくり見て回ると1日ではとても足りない土地なので、
この日しか公開されない建物だけを見て回ることにした。
途中、裏道に回り、昔のトロッコ道の痕を見ようと思いきや、
最近までは、普通の道にしか見えなかったところに線路の痕を造り、
トロッコ道を再現してあった。イメージ 6             
 
裏道のあちこちに生野で
かつて生産された「生野瓦」が
積まれていた。
現在ではもう作られてはいない。
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真が増えてきてしまったので続きは次回更新にまわしたい。
 
旧日下旅館、生野一区公民館(豊岡警察生野分署)に関しては、
過去記事を参照していただきたい。
写真もそちらに多く載っている。
 
旧日下旅館の過去記事
  ↓
 
 
生野一区公民館の過去記事
  ↓
  
 
尚、生野銀山-大人の時空の旅clubさんは先日、
皆さんでHPも開設され、そちらでかなり詳しく生野について書かれて
いらしゃるので、ぜひ、そちらもご覧になっていただければと思う。
 
生野銀山 銀の里
   ↓
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