munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2011年08月

31 8月

七福神と西郷隆盛の瓦&大山巌元帥??

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因幡街道にあるお宅の門にあった七福神の瓦。
弁財天と恵比寿、右が福禄寿。
左下の画像は、大黒天と布袋。
寿老人と毘沙門天は、門の内側に置かれてい
イメージ 3
たので、後姿だけしか見えなかった。
これらの瓦が乗っている門の壁には
「鶴」「亀」「小槌」「扇」「半月」といった吉祥紋の
透かしも施されていた。イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
七福神の瓦だけならさほど驚かないのだが、この大きなお屋敷の駐車場の塀に
あった2つの飾り瓦を見てたまげてしまった。
イメージ 5
 
西郷さんだ!しかも犬まで連れている!
反対側には謎の男性の瓦があった。         
     
イメージ 6
 
 
この御仁は誰であろう?   
当初、服装の感じからペリー提督?とも思ったが違うようだ。
もしかしたら、大山巌元帥ではないだろうか?
西郷さんの親戚筋だし、西郷さんをものすごく慕っていたようでもあるし、
何よりも風貌がこの瓦に似ているような気がする。
西郷さんと大山元帥のコンビは、日本全国探してもなかなか見つからないだろう。
七福神の瓦もすばらしかったが、
その横にあったこのお2人の瓦のインパクトはものすごかった。
 
 
25 8月

ラヂオ湯の暖簾

昭和2年創業の播州赤穂にある「ラヂオ湯」の暖簾。
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なんでもラヂオカルク温泉だそうな。
白地の多い涼しげな暖簾だ。
牛乳石鹸 マイセットシャンプーと書いて
あるが、昭和50年代初めの頃に発売された
「シャワラン」以前に販売されていたシャンプーの商品名だ。
更に建物の脇に立てかけてあったのが、以前、このラヂオ湯にかかっていた
暖簾をモチーフにして作られたと思われる看板。
 
イメージ 3イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この看板に関しては、
ぜひ、過去記事の暖簾の画像をご覧いただければと思う。
 
 
 
 
ラヂオ湯の暖簾の過去記事
    ↓
23 8月

第56回 活動報告 生野銀谷祭り その3

『生野クラブ』には、明治17年(1884年)の建築当時の瓦が、
屋内にたくさん展示されていた。イメージ 1
 
鯉や龍、亀、宝珠、鶴などの瓦もあり
菊のご紋をあしらった瓦などもあった。
 
宮様が泊まられたほどの建物だ。
 
ちょっと気になた細工があって、
床の間の「掛け軸を掛ける場所」。
うまく説明できないのだが、
今で言うところの、フックの場所。
 
 
イメージ 2イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
渦巻き状の雷紋になっているのは、単なる吉祥紋だからではない。
もちろん、吉祥の雷紋でもあるのだが、掛け軸の大きさ、長さなどを調節しやすい
ように作られたデザインになっている。
埋め込まれたフックをスライドさせることができ、高さが調整できる。
かなり凝った、合理的なデザインだ。イメージ 8
 
室内の釘隠しも屋外の屋根の瓦にもあった
物とお揃いの桃になっていた。
瓦も釘隠しにも、葉っぱがあったので宝珠ではなく、桃であろう。
 
この生野クラブの室内に関しては
数年前にアップした過去記事を
参照していただければと思う。
 
そして、生野クラブを出てからこの日だけ生野銀山の入り口まで行くバスが運行
しているので、生野銀山へ移動するのだが、バスの本数が少なく
時間を短縮するためにタクシーで行くことにした。
普段は、銀山の下までしかバスが来ない。
バス停から銀山の入り口まで登らないといけないので、
生野銀谷祭りの特別運行バスはありがたいのが・・・・
 
イメージ 9生野銀山に着くと、まずは菊のご紋の入った
門柱が出迎えてくれる。
明治元年(1867年)にフランスから招聘された
ジャン・F・コァ二ェ氏が当時の工部省鉱山寮
生野支庁の正門として建築し、閉山後、
ここに移築したもの。
この門の脇には、明治4年(1869年)から
明治6年(1871年)にかけて建てられ、
昭和の終わりに解体された選鉱所建家の
煉瓦が残されている。
イメージ 10
 
 
 
 
 
 
明治初期にこのコァ二ェ氏が作った
フランス様式の坑口が、
銀山の入り口になっている。
 
銀山の中は非常に涼しいため
坑口に立った時点で冷たい風が
中から流れてくるのを感じる。
イメージ 11イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
銀山の中はお約束の「お人形」。
新旧のスタイルの人形が設置され、
そばに説明文があった。
もう、銀山の中に入るとメンバーたちもそれぞれバラバラに行動し
見学というよりは純粋に遊んで楽しんでいる。
温度も低くて涼しい!イメージ 4
女性はそれなりにストールや羽織る物を
常に携行しているので良いのだが、
男性は半袖のTシャツ1枚だと
汗をかいた体にはかなりきついと思う。
同行した男性メンバーも寒がっていた。
 
書き忘れたがこの銀山でとれた鉱物の
廃棄物とも言われるのがカラミ石。
イメージ 5
 
 
 
そのカラミ石を生野の町では
建物の土台などに使っているから
雨などで流れ出た成分が美しい色となってまるで緑青のような色で
家の周りを彩っている。
 
これらの美しい色だとか、
日本最古の社宅群なども
見て回りたかったのだが
時間が足りない・・・・
 
生野の町と生野銀山の両方となると1日では無理だ。
とても、じっくりとは見られない。
 
アタシのように片田舎に住んでいれば、どこに出かけるにも最低でも1時間半の
頭でいれば良いのだが、実際、大阪から1時間半以上となると都会の人は
よほど知名度が高くないとまず敬遠するし、そう何度も同じ場所には通わない。
 
それだけにちょっと今回の生野はあまりにもかけ足過ぎたかもしれない。
どうしても、メンバーたちの足の便や移動時間を計算しての企画なので
なかなか播磨や但馬には企画が組めず、京阪神中心になりがちなのが
アタシのジレンマでもある。
 
そして、駅に着くとある自販機が目についた。
 
イメージ 6自販機の横には、同じ地方にある「天空の城」と呼ばれる
「竹田城跡」の写真があった。
 
ちょうど、天空の城のをしていたので、この写真を見せた
ところ、今年泊りがけで行くことになった。
 
言いだしっぺは、他のメンバーなので彼女に
竹田城の企画一切はまかせることにした。
彼女はアタシ同様、1点主義というか1つをじっくり、
ゆっくりのタイプであれもこれも、ということはしない。
だから、その点では安心してまかせられる。
 
生野の活動は銀山と町を同時に見たためにどちらも消化不良になってしまった・・
22 8月

はり紙こどわります

京島で見つけた貼り紙。
『はり紙 こどわります』と書いてある。
断りますではなく、こどわります。
イメージ 1
 
字の間違いなどではない。
実際、東京には東北の方が昔から
たくさんいらっしゃるので、お国言葉を
そのまま文字にしただけなのだろう。
 
この字の向こうに、腰の低い年配の方の
お姿が見えるような錯覚に陥る。
 
だが、なんとなくその想像(妄想)も
なきにしもあらず・・・のような気がする。
 
 
 
 
 
 
 
むにゅの路上観察・・・・・その159
21 8月

沼本牛乳・追記~訂正有り

京都で見つけた沼本牛乳の箱に関して、記載してあった電話番号の
(福)の文字から、福知山の販売店という解釈をしていたのだが、
その後、いつも牛乳関連でお世話になっている牛乳キャップ収集家の
kazagasiraさん(http://blogs.yahoo.co.jp/mtkazagasira)からのコメントで
 
    ↓
 
発見のご報告を頂戴しながら、返信遅くなり申しわけありません。
沼本乳業の所在地は吉備郡福谷村(~S31)→同足守町(~S46)→岡山市と変遷しており、(福)は「福谷村」の電話局番を示しており、お膝元の箱を京都まで出張させていたのではないかと思います。
電子技法の方は、電子チャージを施した水や飼料で牛飼いをしている酪農家さんが今でもあり、知る限りでは新潟県・亀田牛乳が販売元の「白鳥の翼」という牛乳に使用される、白鳥の飛来で知られる瓢湖近くの酪農家さんが採用されてます。
 
 
と、いう情報をいただいた。
アタシは、牛乳関連でわからなくなるといつもkazagasiraさんに情報を
いただくことにしているのだ。
 
そう!アタシは、電話局を調べたには調べたのだが、京都で見つけた箱ゆえ
京都しか調べていなかったのだ。
更に把握していた旧住所も、昭和31年(1956年)~昭和46年(1971年)
までの住居表示で、昭和31年以前を疑う頭が全くなかった。
 
更に、kazagasiraさんのブログにアップされている沼本牛乳の蓋の画像には
しっかりと、電話番号の下4桁が書いてあった。
0002番がその下4桁だ。
 
従って、(福)二番は、福谷局の二番ということになる。
 
念には念を入れて、福谷地区が現在の沼本乳業さんの住所である河原地区で
あるということも裏付けをとったので、今度は間違いないだろう。
 
しかしながら、いつもkazagasiraさんのコレクションの深さと調査力には敬服する。
この方も、乳業関連の書籍や社史などから読み解いたり、
実際に訪ね歩かれて詳しく調べ上げるお方だ。
 
住所表示の過去や、現存する牛乳キャップなどからも、紐解かなくてはいけない。
直接、聞くのも良いのだが、自分の思考の浅さが露呈した・・・
 
あの箱に書かれていた(福)は、福知山ではなく、岡山の福谷の(福)だったことを
ここに訂正させていただく。
ただ、輸送ルートは、沼本乳業さんの方でも昔のことなので覚えていらっしゃらない
ということを以前、話しておられたのでそれは不明のままだ。
 
 
 
kazagasiraさんの沼本乳業の牛乳キャップの画像の記事
     ↓
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