munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2011年08月

14 8月

沼本(ぬもと)牛乳の箱

京都の烏丸御池で見つけた「沼本乳業」の箱。
イメージ 1
かなりきれいな状態の木の箱。
書いてある電話番号は(福)二番。
電話番号から推測しても、
かなり古いものだと思われる。
夜遅くにフラッシュ撮影だったため、
はっきり見えないが
「優良均質牛乳」とある。 
沼本乳業は、岡山の牛乳。
ロゴマークも、岡山の沼本乳業と
全く一緒のものだ。
 
果たして、岡山から京都市内への宅配販売ルートがあったのだろうか?
しかも電話番号は(福)二番と、なっているから何十年も前だ。
そこで、京都の電話局にも問い合わせて見たのだが、
あまりにも昔の局番の呼称なので、よくわからないとのこと。
だが、常識的に考えて(福)というのは福知山局ではないか?とのことだった。
しかも、番号が二番。
 
京都のど真ん中周辺で二番という番号はかなり昔から
電話を引き込んでいた家でしか使わない上に、番号が若すぎる。
京都のような都会で、どこよりも早く電話回線をひくとなると
かなりの大店ではないだろうか?
それから見ても、これはやはり福知山局ではないだろうか?ということになった。
福知山市の『二番』という電話番号はもう存在していない。
電話回線の数も、とんでもなく増えてしまている。
 
関西圏以外の方から想像するのは難しいかもしれないが、
岡山から京都の福知山市を経由して京都市内の真ん中に牛乳配達・・・
福知山市からの配達というのは、非常に考えにくい距離だ。
 
現在は牛乳の製造をやめていらっしゃるのだが、直接、沼本乳業さんに
アタシの疑問をぶつけてみた。
 
なんでも、『電子技法』というのがあって、沼本乳業さんはその『電子技法』の会に
所属しておられ、毎月の会報のやりとりや即売会なども京都で行っていたので
そのお付き合いなどでごく一部の方に配達していたのではないか?とのことだった。
恐らく、福知山の方の牛乳販売店が同じ『電子技法』の会員だったか?
もしくは、展示即売会などで試飲をした結果、趣旨を理解している消費者に
宅配していたのではないだろうか?
もう、何十年も昔のことなので・・・とのことだった。
 
『電子技法』で、牛の飼い葉や牛舎の環境を良くした上で搾乳をし、
その牛乳に更に『電子』をかけて作った牛乳だったそうな。
 
今風に解釈すると、『マイナスイオン』で環境を整え、牛乳にも『マイナスイオン』を
チャージしてから出荷する。 と、いうことだろうか?
そうすることによって、アレルギーのある人でも、問題なく飲めるのだそうな。
 
その『電子』のチャージってどうういう風にうるのですか?との問いに
『電子チャージャー』というのがあって、それを使うとのことだった。
 
『電子技法牛乳』。
もしかしたら、かなり昔に書いた京都のクローバー牛乳の特別牛乳と同じなのでは
ないだろうか?
 
「沼本乳業さんって、すすんでらしたんですねぇ・・飲んでみたあったです!」と
思わず洩らした言葉になんだか、嬉しそうに
「はい!そうなんです!うふふ・・・」とおっっしゃっていた。
 
 
沼本乳業(株)
岡山県岡山市河原
9 8月

猫様 in 京島 その2

ガラス窓の中から、外を眺めていらっしゃった長毛の猫様。
イメージ 6
  イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ぺルシャのバイカラーか?はたまた、我が家の虎王のような単なる毛の長い雑種の猫様なのかは定かではない。
猫様のお外見のために障子を開けてあるところが嬉しい。
 
イメージ 7イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しばらく歩くと、町内掲示板の裏に放置してある
乳母車のようなものの上でくつろぐ猫様も・・・
ちりとりも置いてある。
なぜか、前方の右車輪のところに石が乗せてあった。
 
 
そして更に歩くと車の下に隠れてしまった猫様や、
リラックスして道路え寝そべる三毛様も・・・
 
 イメージ 9 
 イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あちこちで猫様を見かける。
そして、とあるトマソンがある家にも・・・
イメージ 2
 
左の写真の右端に写っている扉。
これがトマソンなのだが、
それは別の書庫にアップしてある。
赤い○で囲んであるのが猫様。
左の白くて丸いのは玄関灯。
まだ若い三毛猫様が
3匹いらっしゃったのだが、
2匹しか写真には撮れなかった。
かなりの美猫様だ。
イメージ 4イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この付近、昔から猫様が多かっただろうか??
少なくはなかったが、こんなに多くもなかったような記憶があるのだが・・・
まぁ、それだけ住みやすいのだろう・・・
 
2 8月

4年ぶりの東京活動~谷中・本郷・根津・上野桜木 その1

この前の冬だったか、メールが来た。
5年前まで別のサークルで一緒だった人で、アタシが自分のサークルを
立ち上げた時にその人は海外に赴任。
5年の間に海外から帰国、現在はご結婚なさり東京にいらっしゃるとのこと。
海外に行かれる前に見ていてくださったこのブログを探し当てて
連絡くださったのだそうな。
「ぜひ、東京でもやってください。」と言う嬉しいお言葉を受けて
今回は平日の街歩きとなった。
思いっきり、ベタなところで谷中方面にした。
今、流行の「谷根千」ツアーなのだが、レトロな町並みを歩くだけの活動ではなく、
わざとぐるぐる回りながら、地形や街の違いを感じ取ってもらうコースをとった。
まずは、朝10時JR日暮里駅で待ち合わせ。
5年ぶりの再会だが、全く変わらない元気そうなDさん。
この付近は有名な街歩きコースなので、ガイドブックもたくさんある。
なので、今回はアタシが知っている限りの説明をしながらの案内となった。
かの有名な日暮里の夕焼けだんだんのすぐ脇にある、七面坂。
そこを下る途中にある左官屋さんのお宅の鏝絵を勝手に見学。
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガレージの中の壁にも虎の鏝絵があった。
左の戸袋には「自力更正」、
右の戸袋には浜千鳥が描かれており、
窓の下には、緑の眼の龍の鏝絵。
イメージ 4イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
実は、東京にはモルタル鏝絵が結構多い。
逆に関西では漆喰鏝絵やモルタル鏝絵は
少ないように思う。
イメージ 6
「左官科職業訓練指導員」と書かれた
琺瑯看板が貼られていた。
左官業とともに職業訓練学校での指導も
されていらっしゃるのだろう。
それゆえに「自力更生」と描いてあるのか?
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみにこの浜千鳥も龍も「水」にちなんでおり
火事除けの意味がある。
火事避けの水にちなんだ物で
「青海波(せいがいは)」の話に
なったところ、ちょうど良いサンプルと言っては
誠に失礼なのだが、モルタルを鏝で「青海波」の形に塗ってある商店の前に来た。
イメージ 8イメージ 9
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
口で説明するよりも、見てもらった方が早い。
正面はハリボテで中に一般家屋がすっぽりと
収まっている、看板建築だ。
 
そして、団子坂まで歩きそこから本郷方面へと歩く。
街の様子が変わるのが歩きながらだとよくわかる。
弥生周辺を通り抜け、本郷追分方面へと向丘を抜ける。
団子坂を上がった弥生町で発見された土器は弥生式土器と名づけられたこと
などを話しながら、向丘のお屋敷街を歩き本郷通りへ出る。
イメージ 1
 
本郷台地の名の通り、本郷が少し高い場所に
あるのがよくわかる。
 
そして、向こうにはスカイツリー。
アタシはスカイツリーに興味はないが
歩いていて、自分が今どこにいるのか
方向を確かめるためには、
スカイツリーは便利かもしれない。
 
「本郷追分」を通り八百屋お七はこの辺りだよ
などと言う話などをし、旧町名の話をしながら
本郷通りを東大農学部方面に歩く。
 
 
 
あの有名な「本郷もかねやすまでは江戸のうち」の川柳にもなった「かねやす」よりも更に奥まった方にある、この本郷追分。
江戸時代の後半になって「墨引き」と言われる町奉行の管轄内にはなったものの
追分から駒込方面は江戸市中ではなく、豊島郡だ。
追分というと、東京の人間がすぐに思い浮かぶのが「浅草」と「新宿」だ。
今回、一緒に歩いたDさんは関西出身の方なので、
この「浅草」と「新宿」に関して「江戸市中」との関連性を説明しておいた。
Dさん、頭の良い方なので「内藤新宿」の言葉を聞き、すぐに理解してくださった。
 
現代においては、どこもかしこも「下町」になってしまっているので
余計、わかりにくくなっているのだが、東京は江戸城を中心に江戸市中が
広がっており、何代も住み着いた人間でないと「下町」の定義のようなものが
理解されないことが多くなってしまう。
 
だから、あえて本郷台地を歩いてもらった。
ここから先は、豊島郡。
文京区本駒込や豊島区駒込がある。
本郷台地の下の千駄木などは元は駒込林町。
かなり細かい地図をお持ちになっていらしたので、そのあたりの地名からも
位置関係を想像できるだろう。
 
今さら何故、下町の区分を説明するのには理由がある。
低い土地の下町と違い、東京の場合は江戸城を中心にして広がり発展したので
その地域によって武家町や寺町、商人町、職人町などに分かれるからだ。
だから、今、普通に下町、下町と言われている場所はごく最近になって
下町と言われだしたものの、本来の下町とは違うのだということを
知ってもらう。
それがわからないと、何故ここがお屋敷ばかりなのか?
何故ここには、こういう職業の人が多かったのか?などということが
理解できなくなってしまうからだ。
 
そのあたりをざっくりと大雑把に話をし、、街の色の違いや気質の違いを
感じ取ってもらいながら東京大学に。
 
ちょっと写真もかなり増えてしまったので続きは次回に・・・
 
1 8月

砲弾型消火栓

イメージ 1かなり前に東京大学構内で、東京都のマークの入った砲弾型消火栓の記事を
アップしたことがあった。
同じ砲弾型の消火栓で、東京都のマークの代わりに「大学」の字の入った物だ。
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「学」の字が旧漢字なのだが、
その中でも、「子」の表記が
ものすごく古い。
この、かなりの年代物なのではないだろうか?
 
 
この漢字を見て思い出した「蓋」がある。
2008年9月に書いた京都大学近くの「大貫に見える蓋」だ。
視覚的になんとなく「大学」ではないだろうか?とも、思える。
実は、あの当時、水道局などにも問い合わせて見たのだが仔細不明だった。
だが、頭を冷やして時間を置いてみると「大学」と思えてくる。
 
元の色は黄色のようだ。
古い時代の消火栓には黄色い物が多い。
都内で現在、黄色の砲弾型消火栓は日銀前の消火栓しか、
アタシは確認していない。
 
 
 
 
大貫っぽい蓋に関する過去記事
   ↓
 
 
 
 
東京大学の砲弾型消火栓過去記事
    ↓
 
 
 
 
日銀前の砲弾型消火栓過去記事
    ↓
最新コメント
メッセージ

名前
本文
読者登録
LINE読者登録QRコード
ギャラリー
  • 大黒様と上がり藤の鏝絵
  • 大黒様と上がり藤の鏝絵
  • 大黒様と上がり藤の鏝絵
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • 猫様 in  電話ボックス
  • シンクロっぽいダンメン
アーカイブ
  • ライブドアブログ