munyuchan

むにゅ’sのぉと

10年以上続けたヤフーブログから引越してきました。 路上観察、近代建築などがメインのブログです。 ライブドアではまだまだ戸惑うことが多いですが、よろしくお願いします。

2011年09月

30 9月

カステラ・切り落とし物件

上野桜木、かの有名な「カヤバ珈琲」の向かい側にあった『カステラ物件』イメージ 1
 
ものすご~~く薄っぺらい『カステラ』だ。
さしずめカステラの「切り落とし」だ。
 
一見、『ヌリカベ物件』にお見えるが、
やはり、これはカステラの
『切り落とし物件』だろう。
 
切り落とし物件というのは、
アタシが勝手に命名した言葉なので
トマソン関連の本には載っていない。
 
カステラの切り落としは、たまにザラメの
塊がこびりついていたり、
蜜が固まっていたりして非常においしいのだ!
 
 
 
 
 
 
むにゅの路上観察・・・・・・その160
 
26 9月

原田の森ギャラリー(旧兵庫県立近代美術館)

上野の森美術館の「日本の自然を描く展」にブログ仲間の
虚空菩薩さん(http://blogs.yahoo.co.jp/kokusoubosatu)が
今年も出展され、先日、西日本展が神戸の原田の森ギャラリーで
開催されていたので、見に行ってきた。
虚空さんの絵は、とても楽しい!
アタシには、「楽しい」絵は絶対に描けない・・・
我が家の玄関にも、虚空さんの描いた「招き猫」の油絵が飾ってある。
以前は上野の森美術館で拝見したのだが、今回は神戸で見ることにした。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和45年(1970年)築、設計・村野藤吾氏。
施工は村野・森建築事務所。
ちょうど、西館が工事中だった。
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1階の外側はピロティとなっており
ベンチが並んでいる。
 
1階から2階にあがるスロープも柔らかい感じで素敵だ。
2階でこの「日本の自然を描く展」を見たのだが、以前もそうだったのだが
出展されている作品がものすごく「自由」なのがすばらしい。
 
日本の自然となるとどうしても、冬の雪景色や春の桜、夏のひまわり、秋の紅葉と
ある程度、パターンが決まってしまいがちなのだが、
この作品展は常に「自由奔放」。
 
どちらかというと「無題」に近いのだが、それぞれが好きな物を好きなように
描いているのがとても良い。
好きなように描くのが一番だし、とらわれて描くのもつまらない。
はっきりいって、○○展とかよりもこちらの方が好きだ。
ただ、惜しいのは上野では販売していた「絵写真」がこの西日本展ではなかった。
買いたい「絵写真」がたくさんありすぎるくらいだったので、
むしろ販売がない方が良いのかもしれない。
 
かなり開放されたギャラリーなので、階段に座って絵を描く人や、
ピロティのベンチに座って描く人、スロープの上で描く人など、
あちこちで絵を描く方々がいらっしゃった。
イメージ 8イメージ 9
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この階段の外が駐車場になるようだが、
裏側の駐車場のフォルムも美しい。
 
 
 
虚空さんの絵の写真はブログにアップされていらっしゃるので
ぜひ、ご覧いただければと思う。
かんりたくさん描かれていらっしゃるが、どれもすばらしい。
 
今回は建物見学がてら・・・と思い行ってみたのだが、
建物と展示されている絵がどれもマッチしていた。
 
絵も建物もでしゃばらない、でも、主張はしている。
そんな感じがした。
 
 
22 9月

スイッチバック

以前から一度、鉄道のスイッチバックというものを見てみたかったので、
夏の青春18切符で、四国の坪尻駅まで9月の始めに行ってみた。
うちのダンナは高校時代からこの坪尻駅を何度も鉄道で通過しており、
車でもこの近くまでよく来ていたそうなので、坪尻駅のスイッチバックには詳しい。
話を聞くうちに自分でも実際に行ってみたくなり、青春18切符の使用期間が
終了する間際に坪尻駅経由、徳島の西阿波地方へ行ってみることにした。
鉄道に乗ってどこかへ行くのは大好きだけれども、「鉄子」ではないので、
自分の言葉でうまく説明できないので、スイッチバックって何?という方は
 
すべての鉄道が坪尻駅でスイッチバックするわけではないので、
あらかじめ時刻表をチェックし、始発で岡山へ向かう。
岡山からマリンライナーに乗り坂出(香川県)に。
ここで少し時間が空くので駅改札前のお店でコーヒーとサンドウイッチの休憩。
坂出から金比羅山で有名な琴平に。
琴平から土讃線に乗り坪尻駅(徳島県)経由の阿波池田なのだが、
青春18切符シーズンのせいか、乗客は地元のおじいちゃんぽい人が1人、
スーツは着ていないが、サラリーマン風の中年男性、
あとは、ものすごいレンズを装着したカメラを首からさげた男性数人と
若い女性2人組、ハイキングに行くようないでたちの初老のご夫婦とアタシと
まぁまぁの乗車率だ。
イメージ 1
1両編成の列車がトンネルから抜けて、ピンクの→の方向に走りいったん停車する。
その後、運転士さんは運転席から
車両の一番後ろの反対の運転席まで移動し、今度は反対方向の→の方に逆方向に運転し、停車。
イメージ 2
 
 
 
 
 
途中で線路が交差しているのが見える。→
サラリーマン風の男性がいきなりコンデジを
カバンから出して運転席のすぐ後ろにへばりつき動画撮影を始めた。
それに触発されて、ものすごいカメラの鉄道ファンたちもシャッターを切りまくる。
アタシも一緒になって動画を撮影したのだが興奮したのか?途中でカメラを
落すなどして動画はわずか7~9秒程度で切れてしまった。
一度先まで行って戻ってきた方向に無人駅のホームがあり3分間だけ停車する。
 
地元のおじいちゃん以外の全員が駅に降りた。
イメージ 3イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
 
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駅舎の外は草ぼうぼう・・・
マムシは絶対にたくさんいるだろう。下手に草の上を歩かぬ方が良い・・・
ムシ注意の立て札をよく見ると、マムシの「シ」の字がちゃんと蛇のように
なっており、黒い目までちゃんと描かれていた。
イメージ 7
 
3分間だけの停車なので
みんなであわてて車内に戻ると
おじいちゃんがオロオロ・・・
「みんな、かばんだの財布だの
全部おっぽり出して行ってしまうから
盗られたら大変だと思って、
1人で荷物の見張り番をしていた。」
とのこと。
 
 
 
アタシを含め全員がカバンなどを置きっぱなしにして車外に出ていた。
たった1両編成しかない車内で、ましてや、坪尻駅は秘境駅でもあるので
外から泥棒が乗り込んでくることはまずない。
それでも、おじいちゃんは、一生懸命みんなの荷物を見張ってくださっていた。
ありがとう、おじいちゃん!イメージ 8
 
そして、駅のホームを元の
線路に戻っていくような形で
出発し、終点の阿波池田まで
行くのだが、乗客全員に妙な
連帯感があふれ出し、
終点が近づくと窓から外の風景を
撮影したり、知らぬ同士が
会話をかわしたり、飴が回って来たり、と良い雰囲気に。
こういうのがあるから鉄道の旅は
楽しいのだ。
 
あっと言う間に終点に着き、
降りてバスでかずら橋まで行く人、
自宅に帰る人、折り返し同じ気動車に乗る人、駅のスタンプを集めている人と
みな、それぞれの行動となった。
アタシは歩いてみたい町があったので、乗り換えて更に移動した。
 
乗車時間はどの区間も短いのだが、乗り継ぎの待ち合わせ時間がかなりある。
まぁ、お手洗いに行ったり一服したり時間に余裕があるのは気分もラクなのだが
帰りの乗り継ぎが非常に悪く、帰りは岡山まで特急に乗りそこから各駅で帰宅。
 
阿波方面、ちょっとじっくり歩いてみたい気がするので、また近いうちに
出かけてみるつもりだ。
 
 
 
22 9月

過去記事の追記

数年前の過去記事2つに新しくわかった事項があったので追記してみた。
この2つの建物に関しては、記載されている資料も少なく、ネット上にも
仔細がほとんど載っていないので、あえて追記してみた。
 
 
 
2005年10月26日の『ピンクな病院(西郷医院)』
         ↓
 
 
2007年2月15日の『すでになくなってしまった建物』
          ↓
      
 
 
 
21 9月

4年ぶりの東京活動~谷中・本郷・根津・上野桜木 その2

根津方面から本郷通りまで歩き、今度は本郷通り沿いに東大赤門に向う。
イメージ 1東大の反対側の交差点に昔あらある建物。
今は、かばんの修理屋さんになっているが、
この建物での営業は30年くらいだろうか?
建物データはわからないが、この辺りは空襲のに被害が少なかった地域なので戦前の建物
だろうか??木造3階建だ。
 
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして東大前の看板建築群を
眺めながら歩く。
右の写真は、このブログのトマソンの書庫にかなり昔、「キカイダーハウス」と命名してアップしたことがある建物。
こちらも昭和初期の建物だろう。
ランチは、同じ看板建築のお店、万定フルーツパーラーでと思いきや、
たまたまこの日はお休みだった。
イメージ 5
昭和3年(1928年)築、設計・施工は不明。
内部は結構広く、昔のレジスターなどを
現在でも使っており、言えば写真も撮らせて
くださるので、何回かハヤシライスを
食べたことはあるのだが、実はカレーライスが
売りのお店だそうな。
 
お店の外観がちょっと変っているように
思ったのだが、以前は「カレーライス」と
書かれた看板がついていたのだが、
その看板がはずされていた。
イメージ 6
 
 
 
 
 
右の写真は昭和57年(1982年)くらい
に撮影した写真だが、「カレーライス」
の看板がある。
平成15年(2003年)くらいまでは
確実にこの看板があったので、
看板が取り外されたのはここ数年
だと思う。
 
万定フルーツパーラーが休みだったので
お向かいの東京大学を抜けて
上野桜木方面に向かうことにした。
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上は、東京大学の法文1号館。
昭和10年(1935年)築。設計・内田祥三氏、施工・竹中工務店。
右は安田講堂。大正14年(1925年)築。
設計・内田祥三氏、岸田日出刀氏、施工・清水組。
他にも美しい近代建築がたくさん構内にあるのだが、あまりにもたくさんあるので
割愛して、三四郎池を見ることにした。
もともとは加賀藩主前田氏のお屋敷だった土地なので、
この池も寛永15年(1638年)に築造されその後、補修されたそうだ。
イメージ 9
近くにはかなり古いポンプ室が
まだ残されていたが、使われては
いない様子だった。
イメージ 10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東大病院の前を通り、竜岡門へ。
本郷通りの赤門から入って、不忍通りに近い竜岡門から出ることにした。
竜岡門から不忍通りに出てから、両山堂印刷の建物イメージ 12を見てからランチへ。
イメージ 11
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和29年(1954年)築。
上の写真の建物は木造2階建。
右は大谷石積。
実は、アタシの実家から歩いてすぐ近くだったこともあり、学生仲間数人でここでアルバイトをしていたことがあった。
アタシはすぐ他のアルバイトに変ってしまったが、他の友人たちはわざわざ
八丁堀からここまで自転車で長い期間通っていた。
が、その当時の建物の記憶はほとんどない。
梱包されたラベルを運んだりとか、かなりきつかたことだけを覚えてる。
その数年後くらいから古い建物などに興味を持ち出したのだが、
今にして思えばあの時、もっとじっくり建物を鑑賞しておけばよかった。
だが、高校生のアルバイトとは言え、お金をいただいて働く以上は
短い時間労働しかしないくせに、建物がどうのなどと言える立場ではなかった。
もう何十年も前のことだ。
かなり広い敷地の中にまだ大谷石積の倉庫もある。
写真の建物は現在は使われてはいない。
その思い出話をしながら、旧忍旅館へ。
イメージ 3
 
昭和4年(1929年)築、設計・中村某、
施工・宮崎某となっている。
木造4階建。
 
元々、写真スタジオだったのだが、その後
「忍旅館」になり現在は廃業され住宅として
使用されている。
旅館営業当時、忍旅館という看板を掲げていた
のだが、廃業とともに看板は下ろされた。
当時の写真を比較のために探そうとしたら、
ちょうどアルバムの入ったケースの上で
猫が昼寝をしてどいてくれないので
その写真はアップできなかった。
 
そして、暗闇坂に移動。
坂の入り口にある煉瓦の建物を横目にランチへと急いだ。
煉瓦の建物は、仔細不詳。イメージ 4
いつ建てられたのかもわからない
2階建の建物で、かつての都電の
変電所の遺構。
イギリス積みの煉瓦造。
現在は上野動物園の倉庫となっているそうだが、平成元年(1989年)頃の台東区の調査では、
『上野動物園倉庫』『空き家』となっていた。建物の裏側に回ると
店舗用のテントが1階部分に
残っていた。
30年以上前、飲食店が入っていたような記憶がなきにしもあらずなのだが・・・
数百回以上はこの前を通っているのだが、記憶にない。(汗)
 
暗闇坂から上野桜木に移動し、やっとランチにありつけることになったのだが、
写真が増えすぎてしまったので続きは次回更新時に・・・・
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