アタシが「建築と文化を愉しむ会」を立ち上げてすぐに訪れた友ヶ島。
サークル結成当時の活動参加者はアタシを含め4人だった。
現在のサークルメンバーで友ヶ島に行っていないメンバーもいるので
昨年10月、ちょうど1年前なのだが、再訪することにした。
昨年の11月から加太の桟橋工事が行われ、来年の3月いっぱいまで
桟橋工事のために友ヶ島に渡ることができなくなるので
桟橋から船が出るうちに再訪を決めた。
友ヶ島に関しては以前の過去記事を参照していただきたい。
友ヶ島の船着場には8インチ砲の砲弾、
その横には明治32年(1899年)陸軍省と
彫られた碑があった。
海辺には終戦時、破壊された砲台の残骸が・・・
まず最初に第2砲台へ。
ここは風化が激しく立ち入り禁止。
明治27年(1894年)に竣工の
砲台だった。
カノン砲を4門取り付けた砲台だったそうだが、以前の訪問時、
すでにロ-プが張られ立ち入り
禁止だったので、前回同様
外観しか見学できていない。
第2砲台の後、日本で8番目に
古い友ヶ島灯台を遠くに見ながら
海軍聴音所へ移動することに。
明治5年(1872年)に作られた
ヘンリー・R・ブラントン氏設計の
友ヶ島灯台は現役の灯台でもある。
昭和後期に改築されてはいるが
139歳にもなるすごい灯台だ。
ゆるい山道を登り、
海軍聴音所跡へ。
この友ヶ島は陸軍の管轄だった為
平成14年(2002年)までは
この海軍施設があるということは
知られていなかったそうな。
ニュース和歌山の記事参照
↓
敵の潜水艦のスクリュー音などを察知する
為の施設で、右の写真は恐らくトイレだろう。
かなり傷みの激しい建物で、風化劣化が著しくこここそ、立ち入り禁止にしないと
危険なのではないだろうか?
音を聞くためか?天井には
木屑らしき物を固めてコルクの
ような素材が塗りこめられていた。
←下から見た
2階部分。
階段もなく
天井も崩落
しそうな感じ。
壁にフック?
のような物。
2階の床や壁を見てもおわかりだろうが、
漆喰やモルタルでかなり上が重い。
近いうちに崩落してしまうだろう・・・
この聴音所は、前回は訪れていなかった。
場所はある程度わかってはいたのだが、
時間の関係でスルーしていたのだが、
砲台跡とは全く別の戦争遺跡なので
訪れて良かったと今でも思っている。
この後、第3砲台へ向かうのだが、
写真が多くなってしまったので次回に回したい。
2006年活動報告の記事
↓