この神社にも寄ってみることにした。
神社が位置する地名自体が「御影町御影弓弦羽ノ森」となっている。
サークルの資料を作る時に調べていてわかったのだが、
神功皇后が、この地に自らの弓矢や甲冑などを納め
忍熊王への戦勝を祈願したそうな。
それが、どうも「六甲」の謂れにあたるらしい。
この地の後ろの山を武庫山、弓弦羽岳などを呼称し、
それが六甲となったと、ウィキペディアには書いてあった。
さらに、神功皇后がこの里の池に自分の姿を写したことから
「御影(みかげ)」の地名になったそうな。
神社のHPなどで調べたところ特に記載はなかったのだが、気になったので
手元にあった「古事記」を読み直してみたところ、
ちょうど古事記の中つ巻の神功皇后の話のところで、
確かに『忍熊王』は、神功皇后が亡くなったからもう戦わないと、
「弓の弦を断ち切って」降伏してきた神功皇后の軍隊に欺かれて、
自分たちも弓の弦をはずし、兵器をしまった時に神功皇后軍が髪の毛の中に
隠し持っていた弓にやられ、ついには琵琶湖で水死してしまう箇所がある。
この地で戦勝祈願し、結果、琵琶湖まで移動し、
弓の弦で作戦勝ちを収めている。
ここにも弓弦が出てくる・・・
弓弦を納めて祈願したので、弓弦をもって戦勝・・・
まだ、日本書紀で確認はしていないがその辺も含めて読むと
かなりおもしろいだろう。
また、ここは「八咫烏(やたがらす)」もシンボルとしている。
熊野三山の祭神と同じ神様を祀っているからだ。
この話も古事記の中つ巻の「神武天皇」の項の『熊野より大和へ』に
出てくるが、簡単に説明すると若き日の神武天皇が東征で
熊野から大和に向かう際に、熊野の山中で悪い神々の妨害でうまく先に
進めなかったのを天から、この「八咫烏」が道案内役として遣わされ
結果、八咫烏の導きで吉野の下流まで行くことができる。
この八咫烏はメッセンジャーの役割をしたこともあり、
天の神の御子の遣いとしてメッセージを持参するのだが、
逆に射られてしまうのだがこのあたりはぜひ、古事記か日本書紀を
読んでいただいた方が良いだろう。
今は現代語訳の本も出ているのだから・・・
その八咫烏は、手水にも使われている。
そしてその横には、「愛犬の水飲み場」なるものまで設けられている。
犬を境内に連れ込むのを嫌う神社が多い中、
ここは犬は歓迎なのだなとちょっとホッとする。
この神社についてほんの少しだが調べたおかげで、
六甲の謂れなどがわかり、また古事記を読み返すきっかけもできた。
そういう意味では、すごい神社かもしれない・・・・
そして、その脇にある香雪美術館に行くのだが写真が多くなったので
続きはまた次回の更新時にでも・・・
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