広島の鞆にあるフラワーキャンドルのお店。
フラワーキャンドルとコーヒーの『花宇宙』というお店だ。
この建物は、鞆ではかなり新しい建物になるそうな。
ここの街並みは江戸時代からのものだからだろう。
実は先日、quokkaさん(http://blogs.yahoo.co.jp/quokkaquoll)さんと
こちらにお邪魔してオーナーさんと猫談義をして帰って来たのだが、
今回は建物のことを更に詳しく教えていただくのと、
このブログにアップをするということを了承していただきに行ってきた。
オーナーさんの快諾を得て、いろいろお話を伺ったところ、
この建物は昭和初期くらいの建物だそうで、正確な築年数は不明。
設計は大阪の方の会社に依頼し、施工は地元の業者さんに頼んだそうな。
こちらのオーナーさんのお爺様が横浜で床屋修行をし、
大正時代に理髪店を開業されたそうな。
屋号は「友光軒」。
3枚目の写真でもわかるが、屋号の名前の跡がまだ残っている。
開業当初の写真は7枚目の写真の左側の写真の建物だそうだ。
その後、昭和になってから現在の建物に建て替えた。
その時に、建物内に「宝湯」という銭湯も一緒に作り営業したそうな。
現在はガレージになっているが、格天井や神棚、
天井についた扇風機などがまだ残っている。
下の方を見ると、『カラン』(蛇口)のあった名残がまだ残されたままだ。
実は、オーナーのお母様の覚書が残っており、
それには大正5年(1916年)宝湯開業となっている。
だが、写真7枚目の建物は大正時代の建物だそうで、
そうなると、現在の建物になってから開業したはずの宝湯の
開業年数が合わなくなってくるとのこと。
もしかしたら、昭和5年(1930年)と大正5年の
書き写し間違いではないだろうか?
でも、詳しいことは現在のオーナーさんもはっきりとはわからないそうだ。
この銭湯は昭和58年(1983年)9月で廃業となり、
理髪店の方もほぼ同時期に廃業されたそうな。
現在の店舗内には、理髪店当時からある大きな鏡がそのまま残っており、
落ち着いた店内でフラワーキャンドルをながめながら、
おいしいコーヒーをいただくことができるようになっている。
店内の写真はあえて少ししかアップしないが、
理髪店当時のキャビネットが置かれており、
中には理髪店当時使っていただろう中国製のハサミも置かれていた。
建物の状態も大変良く、使用されているガラスの大半に
「膠(ニカワ)ガラス」がふんだん使われており、
かつ現在も美しい状態を保っている。
7枚目の写真に関しては、友光軒さんから直接コピーを頂いてきた物で
当ブログにアップする許可もきちんともらっているが、
この写真に関しては無断転載禁止とさせていただく。
参考になるお話をいろいろを伺わせていただき
友光軒さんには大変お世話になってしまったが、
今後、鞆の街に関して調べていてわからなくなったりした場合には
友光軒さんの幅広い人脈を頼って、お力をお借りすることまで
あつかましくお願いして帰ってきた・・・・
ただ、ただ、感謝である。
やはり直接足を運んでお話を伺わないといけない、
古いからと、写真だけ撮ってネットで調べてブログにアップでは
いけないとつくづく思った1日だった。
ちなみに、自宅にある数冊の本を手繰ってみたが
この建物について記された本は1冊もなかった。
(日本近代建築総覧にも載っていなかった。)
膠(ニカワ)ガラスについての過去記事
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/41988670.html
フラワーキャンドルとコーヒーの『花宇宙』というお店だ。
この建物は、鞆ではかなり新しい建物になるそうな。
ここの街並みは江戸時代からのものだからだろう。
実は先日、quokkaさん(http://blogs.yahoo.co.jp/quokkaquoll)さんと
こちらにお邪魔してオーナーさんと猫談義をして帰って来たのだが、
今回は建物のことを更に詳しく教えていただくのと、
このブログにアップをするということを了承していただきに行ってきた。
オーナーさんの快諾を得て、いろいろお話を伺ったところ、
この建物は昭和初期くらいの建物だそうで、正確な築年数は不明。
設計は大阪の方の会社に依頼し、施工は地元の業者さんに頼んだそうな。
こちらのオーナーさんのお爺様が横浜で床屋修行をし、
大正時代に理髪店を開業されたそうな。
屋号は「友光軒」。
3枚目の写真でもわかるが、屋号の名前の跡がまだ残っている。
開業当初の写真は7枚目の写真の左側の写真の建物だそうだ。
その後、昭和になってから現在の建物に建て替えた。
その時に、建物内に「宝湯」という銭湯も一緒に作り営業したそうな。
現在はガレージになっているが、格天井や神棚、
天井についた扇風機などがまだ残っている。
下の方を見ると、『カラン』(蛇口)のあった名残がまだ残されたままだ。
実は、オーナーのお母様の覚書が残っており、
それには大正5年(1916年)宝湯開業となっている。
だが、写真7枚目の建物は大正時代の建物だそうで、
そうなると、現在の建物になってから開業したはずの宝湯の
開業年数が合わなくなってくるとのこと。
もしかしたら、昭和5年(1930年)と大正5年の
書き写し間違いではないだろうか?
でも、詳しいことは現在のオーナーさんもはっきりとはわからないそうだ。
この銭湯は昭和58年(1983年)9月で廃業となり、
理髪店の方もほぼ同時期に廃業されたそうな。
現在の店舗内には、理髪店当時からある大きな鏡がそのまま残っており、
落ち着いた店内でフラワーキャンドルをながめながら、
おいしいコーヒーをいただくことができるようになっている。
店内の写真はあえて少ししかアップしないが、
理髪店当時のキャビネットが置かれており、
中には理髪店当時使っていただろう中国製のハサミも置かれていた。
建物の状態も大変良く、使用されているガラスの大半に
「膠(ニカワ)ガラス」がふんだん使われており、
かつ現在も美しい状態を保っている。
7枚目の写真に関しては、友光軒さんから直接コピーを頂いてきた物で
当ブログにアップする許可もきちんともらっているが、
この写真に関しては無断転載禁止とさせていただく。
参考になるお話をいろいろを伺わせていただき
友光軒さんには大変お世話になってしまったが、
今後、鞆の街に関して調べていてわからなくなったりした場合には
友光軒さんの幅広い人脈を頼って、お力をお借りすることまで
あつかましくお願いして帰ってきた・・・・
ただ、ただ、感謝である。
やはり直接足を運んでお話を伺わないといけない、
古いからと、写真だけ撮ってネットで調べてブログにアップでは
いけないとつくづく思った1日だった。
ちなみに、自宅にある数冊の本を手繰ってみたが
この建物について記された本は1冊もなかった。
(日本近代建築総覧にも載っていなかった。)
膠(ニカワ)ガラスについての過去記事
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/41988670.html
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