池の反対側には家が建っていたのだが、現在は空き家。(写真1~2枚目)
普通に住まいとして近年まで使用していたようにも見える。
少し高くなっている場所に建っているので、下から見上げるような感じだ。
軽くひとまわりして、石橋を渡って戻ってくる。
よく見たらこの石橋、「つるはし」と「かめはし」になっていた。
「つる」と「かめ」で縁起を担いだのだろう。
庭園の方はかなり小さめでもあり、そのほとんどが見て回れないように
なっているので、『庭園の散策』といった趣は正直言ってほとんどない。
幸い、下見の時には自由に歩き回れたので結構見て回れたのだが・・・・
やはり、利用客が多い時は事故防止もさることながら、
『荒らされる』ことを防ぐのもあるのだろう。
その後、旧西尾邸を出てからすぐ隣にある『須磨離宮公園』に行った。
大正3年(1914年)に、この地に天皇の別荘があったそうな。
武庫離宮と呼ばれ、大正天皇、昭和天皇が利用され、満州国の皇帝溥儀も
宿泊したとHPにもパンフレットにも書いてあった。
昭和20年(1945年)の空襲で焼けた後は再建されることなく
現在は神戸市立の公園となっており、バラ園や植物園などがある大変
大きくて広い公園となっている。(写真5枚目)
今にも雨が降りそうな天気だったが、気温がかなり高くラクだった。
須磨離宮公園を散策したあと、昼食を摂ったファミリーレストランで
甘い物を食べたあと須磨寺駅まで歩き、そこで解散となった。
普通に住まいとして近年まで使用していたようにも見える。
少し高くなっている場所に建っているので、下から見上げるような感じだ。
軽くひとまわりして、石橋を渡って戻ってくる。
よく見たらこの石橋、「つるはし」と「かめはし」になっていた。
「つる」と「かめ」で縁起を担いだのだろう。
庭園の方はかなり小さめでもあり、そのほとんどが見て回れないように
なっているので、『庭園の散策』といった趣は正直言ってほとんどない。
幸い、下見の時には自由に歩き回れたので結構見て回れたのだが・・・・
やはり、利用客が多い時は事故防止もさることながら、
『荒らされる』ことを防ぐのもあるのだろう。
その後、旧西尾邸を出てからすぐ隣にある『須磨離宮公園』に行った。
大正3年(1914年)に、この地に天皇の別荘があったそうな。
武庫離宮と呼ばれ、大正天皇、昭和天皇が利用され、満州国の皇帝溥儀も
宿泊したとHPにもパンフレットにも書いてあった。
昭和20年(1945年)の空襲で焼けた後は再建されることなく
現在は神戸市立の公園となっており、バラ園や植物園などがある大変
大きくて広い公園となっている。(写真5枚目)
今にも雨が降りそうな天気だったが、気温がかなり高くラクだった。
須磨離宮公園を散策したあと、昼食を摂ったファミリーレストランで
甘い物を食べたあと須磨寺駅まで歩き、そこで解散となった。
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