聴竹居のすぐ近くにある、アサヒビール大山崎山荘美術館は
本館が、大正6年(1917年)築、設計・加賀正太郎氏、施工・不明。
木造で、RC造3階建てなのだが、大正11年(1922年)から
昭和4年(1929年)にかけて増築が行われたそうな。
上棟部はハーフティンバー、屋根部分は鉄骨組。
加賀正太郎氏は、明治21年(1888年)~昭和29年(1954年)。
一ツ橋大学大学在学中に渡欧、日本人初のユングフラウ登頂者。
ロンドンで蘭に魅せられ、日本において初の洋蘭栽培の先駆者に。
元加賀証券の社長でもあり、ニッカウヰスキーの初めの頃の筆頭株主。
現在のニッカウヰスキーの主要株主はアサヒビールなので、
この美術館がアサヒビールの美術館というのも何かの縁だろう。
大阪の綿業会館の近くに「芝川ビル」という有名なレトロビルがあるが、
この芝川ビルの芝川又四郎氏が、加賀正太郎氏と同時期に一緒に
ニッカウヰスキーに出資していたようだ。
その後、加賀証券は昭和44年(1969年)に菱光証券と商号を
変更し、平成11年(1999年)に大七証券と合併し、
東京三菱パーソナル証券、その後、三菱UFJ証券となるが
平成19年(2007年)には完全に三菱フィナンシャルグループの
完全子会社となって上場廃止となったようだ。
芝川ビルといい、三菱といい、お金持ちのつながりが見えてくるようだ・・・
実は、サークルのメンバーたちと数年前にも訪れたのだが、
その当時は展示作品が写らなければ写真撮影ができたのだが、
今は、内部での写真撮影は一切禁止だ。
かろうじて、本館の外のテラスでしか撮影ができなくなっている。
したがって、幸いにもこのブログでの過去記事があるので
美術館内の写真はそちらを見ていただければと思う。
芝川ビルのURLも貼っておくので、ご覧いただければ
『あ~~あのレトロなビルの!』と、すぐにわかる方も多いのでは??
大山崎美術館の過去記事
(今、見てみると内部の写真がちょっとしかアップしていないが・・・)
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/16307347.html
大阪・芝川ビル公式サイト
↓
http://shibakawa-bld.net/about/about.html
本館が、大正6年(1917年)築、設計・加賀正太郎氏、施工・不明。
木造で、RC造3階建てなのだが、大正11年(1922年)から
昭和4年(1929年)にかけて増築が行われたそうな。
上棟部はハーフティンバー、屋根部分は鉄骨組。
加賀正太郎氏は、明治21年(1888年)~昭和29年(1954年)。
一ツ橋大学大学在学中に渡欧、日本人初のユングフラウ登頂者。
ロンドンで蘭に魅せられ、日本において初の洋蘭栽培の先駆者に。
元加賀証券の社長でもあり、ニッカウヰスキーの初めの頃の筆頭株主。
現在のニッカウヰスキーの主要株主はアサヒビールなので、
この美術館がアサヒビールの美術館というのも何かの縁だろう。
大阪の綿業会館の近くに「芝川ビル」という有名なレトロビルがあるが、
この芝川ビルの芝川又四郎氏が、加賀正太郎氏と同時期に一緒に
ニッカウヰスキーに出資していたようだ。
その後、加賀証券は昭和44年(1969年)に菱光証券と商号を
変更し、平成11年(1999年)に大七証券と合併し、
東京三菱パーソナル証券、その後、三菱UFJ証券となるが
平成19年(2007年)には完全に三菱フィナンシャルグループの
完全子会社となって上場廃止となったようだ。
芝川ビルといい、三菱といい、お金持ちのつながりが見えてくるようだ・・・
実は、サークルのメンバーたちと数年前にも訪れたのだが、
その当時は展示作品が写らなければ写真撮影ができたのだが、
今は、内部での写真撮影は一切禁止だ。
かろうじて、本館の外のテラスでしか撮影ができなくなっている。
したがって、幸いにもこのブログでの過去記事があるので
美術館内の写真はそちらを見ていただければと思う。
芝川ビルのURLも貼っておくので、ご覧いただければ
『あ~~あのレトロなビルの!』と、すぐにわかる方も多いのでは??
大山崎美術館の過去記事
(今、見てみると内部の写真がちょっとしかアップしていないが・・・)
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/munyuchan2002/16307347.html
大阪・芝川ビル公式サイト
↓
http://shibakawa-bld.net/about/about.html
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