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千鳥格子の障子の部屋には、腰板に「春挙松」が描かれたものもあった。(写真1~2枚目)

山元春挙画伯のオリジナルデザイン、オリジナルモチーフとでも、いうのだろうか?

現在でも、検索すると某有名ショッピングサイトでも『春挙松唐紙」などと出てくるので

この柄のことを「春挙松」と呼ぶのだろう。

更にその奥の部屋にいくと、やはり襖の引き手が満月、半月、三日月と移り変わるように

デザインがさまざまに変化している。

障子の向こうには、庭の一部が見える。(写真3枚目)

その障子を開けると、写真4枚目の景色が見えるようになっている。

遠く向こうには、『近江富士』が見える。

この小さな空間に置いてあるのは、同じ大津の「走り井餅」の初代の餅つきの臼だそうな。

よ~~く見ると、「走・・」と彫ってあるのが見える。

大津の名産品の一つでもあるらしい。(食べたことないが・・)

下にこの「走り井餅本舗」のURLを貼っておくので、参照していただければと思う。

商品もさることながら、あちこちクリックすると実に興味深いことも書いてある。

アタシのように、根っからの東京人には西日本の土地の位置関係やその土地が持つ影響力などが

いかほどのものなのかよくわかっていないことが多いのだが、

菓子文化が栄えるというのは、ある意味において重要なキーワードになる。

ある程度の文化都市でないと、菓子文化は開かないからだ。

何故、ここの餅臼がこのお宅にやってきたのかはよくわからないが、

この餅を作った最初の茶屋の跡地は、橋本関雪画伯が買い取って別荘にしたあと

臨済宗のお寺になっているようだ。(これは走り餅のHPに書いてあった。)

橋本関雪画伯といえば、去年、このサークルでも訪れた銀閣寺のすぐ近くにある

「白沙村荘」の持ち主でもあった日本画の大家だ。

毎回、適当にサークルで行く場所を決めているのだが、こうして長いこと続けていると

思わぬところで、あれこれと繋がってくる。

だからこそ、面白いのだが・・・

さて、その走り井餅の臼が見える奥の部屋を出て戻り、北山杉を丸々1本使った

舟形天井(写真6枚目)のある廊下を過ぎて反対側の奥の部屋に行くと

そこには、襖全体に「春挙松」があり、襖の引き手は千鳥が飛んでいるようになっている。

琵琶湖のほとりだから、浜千鳥なのだろうか??

わざと、引き手の位置をバラバラにして飛んでいるかのように表現していて美しい。

また、写真が増えてきてしまったので、続きは次回の更新時に・・・・




走り井餅本舗
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http://www.hashiriimochi.co.jp/index.html