今年の1月に旧駒井邸の見学に行った帰りに寄った町家カフェ「妖怪堂」さんで、
「京都魔界案内」というツアーがあるのを知って、この8月のサークルで参加することにした。
通常の観光コースとは違って、滅多に行かないような場所を案内してくださるというので
てっきり、妖怪スポット巡りを兼ねた、裏京都観光のつもりで7名で参加。
7名以上だと車の都合で金額が高くなるというので、
7名までということでメンバー全員にメールをし、かなり早くから申し込んでおいた。
当日は朝9時前に京都駅に集合。
アタシも始発の電車で京都に向かった。
集合時間を早めにしていたおかげで、9時5分前には京都駅を出発することができた。
気休めに魔よけ代わりにと天然石を身につけて参加してみたのだが、
実際には、そんなおどろおどろしい話もなく、かなり真面目な感じのツアーだった。
最初に東山にある「将軍塚」に行ったのだが、
途中の東山トンネル付近でまず最初の魔界スポット?に遭遇。
ゆるい下り坂を車で走るのだが、目の錯覚で実際は登っているのに、
下っているかのように感じるそうで、ニュートラルに切り替えると車が坂をバックの状態で登る。
香川県にも同様のスポットがあり、そういう話は聞いていたのだが実体験は初めてだった。
人間の目をいうものが、いかにあてにならないかがわかるような気がした。
その後、将軍塚に行くのだが、駐車場に猫が寝ていた・・・
メンバーたちが「猫が死んでる!やっぱり、魔界ツアーだけあって何かある!」などと
話していたのだが、帰りに見たら猫は消えていた。
ただ寝ていただけだったようで一同、安心したのは言うまでもない・・・
将軍塚は京都ではかなり有名な夜景スポットだそうだ。
ここには、日本で最初の小学校である弥栄中学校の前身にあたる寺子屋だった大日堂もある。
(写真2枚目)
そう、当サークルでお世話になっているA先生から何度も教わった、
寺=学校というのがまさしく、これに当たる。
この大日堂で拝観料を払い将軍塚に行くために庭へ向かう。
ここのある展望台で京都の地形などに関するレクチャーを受ける。
かなり長い時間の説明だったのだが、っこでこの地形や簡単な歴史的背景を知っておかないと
長い歴史を持つ京都が余計理解できなくなるので、個人的にはここでの説明はとてもよかった。
まず、京都における怨霊の第一号は「早良(さわら)親王」だそうで、
桓武天皇の実弟だったお方なのだが、クーデターに関与したということで淡路に流刑
島に送られる途中で憤死したそうな。
長岡京遷都にからんでの事件だったらしいが、この早良親王の怨霊を鎮める目的で作られたのが
上御霊神社と下御霊神社だそうだ。
そして、更にこの地に『将軍塚』を作ったそうな。
なんでも、古来から強い武人の武具などを埋めて守護とする風習があったそうで、
時の征夷大将軍の坂上田村麻呂の武具一式を埋めたのが、写真1枚目の将軍塚だ。
木の柵で囲ってあるのがそれで、結構大きいものだ。
この将軍塚の横にある展望台から一望できる京の地形の説明を受けるのだが、
まず、北の方角にあるのが舟岡山。これが玄武にあたるそうな。
今の千本通りが朱雀大路だったそうだが、南には巨椋池というのがあったそうだ。
東寺と西寺は昔からあったそうで、この中間地点が都の入り口で大きな羅城門が配置されていたらしい。
西を守る白虎にあたるのは、山陰街道。
東の守護は青龍で、加茂川。
以前、このサークルでA先生に教わった風水のことを思い出してみた。
A先生は、
東→青龍→流水
西→白虎→大道
南→朱雀→湖沼
北→玄武→丘陵
と、教えてくださっていたのだが、それにすっぽりあてはまる。
加茂川(東)、山陰街道(西)、巨椋池(南)、舟岡山(北)という構図になっている。
これで、東西南北の関係がだいたいだが、つかめた感じがする。
ここに平安京ができあがるのだが、この都に大極殿の8分の5のサイズで建てられているのが
平安神宮だそうな。
今まで、全く知らずに何度も平安神宮に行っていたのだが、この歳になて初めて知った次第だ。
この平安京は約80年くらいは当初の地形のままだったそうだが、
加茂川の氾濫などで、御所の位置がずれたそうだ。
平安京になる以前の長岡京も高野川、加茂川の氾濫で崩壊しているそうで、
そのために平安京になってから、今出川、小川、出水川、西の塔院川、烏丸川を暗渠にし、
堀川にまとめたのだそうな。
約1200年前にできた人工川になるのだそうな。
暗渠となった川は、現在では通りの名前になっているので、イメージはしやすいだろう。
京都へは何度も来てはいるが、単発的にお寺や神社などを見ているだけなので、
地形から歴史的な背景を聞いて、物事を見るということを今まで行っていないので
実際、かなり長い時間の説明だったのだが、この説明は大変参考になった。
ここで、やっと今回のツアーは平安時代が舞台なのだと気がついた。
そして、今でも使われている言葉に隠された意味などを教わった上で
京の町に車で移動するのだが、長くなってしまったので続きは次回の更新時に・・・
「京都魔界案内」というツアーがあるのを知って、この8月のサークルで参加することにした。
通常の観光コースとは違って、滅多に行かないような場所を案内してくださるというので
てっきり、妖怪スポット巡りを兼ねた、裏京都観光のつもりで7名で参加。
7名以上だと車の都合で金額が高くなるというので、
7名までということでメンバー全員にメールをし、かなり早くから申し込んでおいた。
当日は朝9時前に京都駅に集合。
アタシも始発の電車で京都に向かった。
集合時間を早めにしていたおかげで、9時5分前には京都駅を出発することができた。
気休めに魔よけ代わりにと天然石を身につけて参加してみたのだが、
実際には、そんなおどろおどろしい話もなく、かなり真面目な感じのツアーだった。
最初に東山にある「将軍塚」に行ったのだが、
途中の東山トンネル付近でまず最初の魔界スポット?に遭遇。
ゆるい下り坂を車で走るのだが、目の錯覚で実際は登っているのに、
下っているかのように感じるそうで、ニュートラルに切り替えると車が坂をバックの状態で登る。
香川県にも同様のスポットがあり、そういう話は聞いていたのだが実体験は初めてだった。
人間の目をいうものが、いかにあてにならないかがわかるような気がした。
その後、将軍塚に行くのだが、駐車場に猫が寝ていた・・・
メンバーたちが「猫が死んでる!やっぱり、魔界ツアーだけあって何かある!」などと
話していたのだが、帰りに見たら猫は消えていた。
ただ寝ていただけだったようで一同、安心したのは言うまでもない・・・
将軍塚は京都ではかなり有名な夜景スポットだそうだ。
ここには、日本で最初の小学校である弥栄中学校の前身にあたる寺子屋だった大日堂もある。
(写真2枚目)
そう、当サークルでお世話になっているA先生から何度も教わった、
寺=学校というのがまさしく、これに当たる。
この大日堂で拝観料を払い将軍塚に行くために庭へ向かう。
ここのある展望台で京都の地形などに関するレクチャーを受ける。
かなり長い時間の説明だったのだが、っこでこの地形や簡単な歴史的背景を知っておかないと
長い歴史を持つ京都が余計理解できなくなるので、個人的にはここでの説明はとてもよかった。
まず、京都における怨霊の第一号は「早良(さわら)親王」だそうで、
桓武天皇の実弟だったお方なのだが、クーデターに関与したということで淡路に流刑
島に送られる途中で憤死したそうな。
長岡京遷都にからんでの事件だったらしいが、この早良親王の怨霊を鎮める目的で作られたのが
上御霊神社と下御霊神社だそうだ。
そして、更にこの地に『将軍塚』を作ったそうな。
なんでも、古来から強い武人の武具などを埋めて守護とする風習があったそうで、
時の征夷大将軍の坂上田村麻呂の武具一式を埋めたのが、写真1枚目の将軍塚だ。
木の柵で囲ってあるのがそれで、結構大きいものだ。
この将軍塚の横にある展望台から一望できる京の地形の説明を受けるのだが、
まず、北の方角にあるのが舟岡山。これが玄武にあたるそうな。
今の千本通りが朱雀大路だったそうだが、南には巨椋池というのがあったそうだ。
東寺と西寺は昔からあったそうで、この中間地点が都の入り口で大きな羅城門が配置されていたらしい。
西を守る白虎にあたるのは、山陰街道。
東の守護は青龍で、加茂川。
以前、このサークルでA先生に教わった風水のことを思い出してみた。
A先生は、
東→青龍→流水
西→白虎→大道
南→朱雀→湖沼
北→玄武→丘陵
と、教えてくださっていたのだが、それにすっぽりあてはまる。
加茂川(東)、山陰街道(西)、巨椋池(南)、舟岡山(北)という構図になっている。
これで、東西南北の関係がだいたいだが、つかめた感じがする。
ここに平安京ができあがるのだが、この都に大極殿の8分の5のサイズで建てられているのが
平安神宮だそうな。
今まで、全く知らずに何度も平安神宮に行っていたのだが、この歳になて初めて知った次第だ。
この平安京は約80年くらいは当初の地形のままだったそうだが、
加茂川の氾濫などで、御所の位置がずれたそうだ。
平安京になる以前の長岡京も高野川、加茂川の氾濫で崩壊しているそうで、
そのために平安京になってから、今出川、小川、出水川、西の塔院川、烏丸川を暗渠にし、
堀川にまとめたのだそうな。
約1200年前にできた人工川になるのだそうな。
暗渠となった川は、現在では通りの名前になっているので、イメージはしやすいだろう。
京都へは何度も来てはいるが、単発的にお寺や神社などを見ているだけなので、
地形から歴史的な背景を聞いて、物事を見るということを今まで行っていないので
実際、かなり長い時間の説明だったのだが、この説明は大変参考になった。
ここで、やっと今回のツアーは平安時代が舞台なのだと気がついた。
そして、今でも使われている言葉に隠された意味などを教わった上で
京の町に車で移動するのだが、長くなってしまったので続きは次回の更新時に・・・
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