醒花亭の書院の天井は竹網代。天井竿も竹が使われている。
ここの前にある南池には、州浜が広がっている。
この州浜は向こうに見える「八つ橋」
と呼ばれる、上に藤棚のある美しい
橋のところまで続いており、
一升石と呼ばれる石が敷き詰められており、定期的にこの石も
1つ1つ、洗って磨かれたのちに
また元も位置に敷きなおすのだ
そうな。適当に敷くのではないので
石や石が置かれていた場所に番号などを書いておくそうだ。
この石の数は、だいたい11万1000個ほどだそうだ。
昔は、この石1個を米一升で買い集めたことから、「一升石」と呼ばれるそうな。
と、このあたりのことは何回かここに来ていて、説明を受けていたので
知ってはいたが、このサークルの時に説明をしてくださった案内役の方は違った。
実は、何故か仙洞御所に来るたびに同じ方の案内だったのだが、
この日だけは、初めてお顔を拝見したお方で今まで以上にくわしくご説明して
いただくことができた。
その方は、大変向学心のある御仁でいろいろご自身でもお調べになられたり
実地調査で、街中各地での聞き取り調査などをなさりさまざまなことを
調べられたそうで、いろいろお話を伺うことができて大変ラッキーだった。
(午後からのグループの説明は、この方ではなかったそうだ・・)
何故、こんな石が米一升だったのか??
そんなに御所というものは、贅の極みを尽くしたのか?
調べてみたら、小田原の石だそうでこの御所を作る時は小田原藩は飢饉で
ものすごく困窮していたそうな。
その救済のために、わざと米1升と引き換えにこの石を取り寄せたということらしい。
この説明を聞くまでは、石が1つお米1升と同じなんてすごく贅沢と思っていたが、
その辺の事情がわかると納得できる。
この州浜を背にして奥まった場所に行くと、「お冷やし」と呼ばれる氷室の跡がある。
洛北から切り出した氷をここに
貯蔵したそうな。
現在では、上にあった建物はなくなってしまっており、地下の貯蔵庫部分だけが
残っているそうだ。
更に案内役の方の説明によると、
現在の和菓子も同じだそうなのだが、
毎月毎月のその月ごとの和菓子というのがあって、それはすべて御所などで愛でられていた季節の移り変わりを
楽しみ、愛しむお菓子になっているということだった。
実際に京都の和菓子屋さんで調べられたそうだ。
あくまでも、京の都の和菓子屋さんのことなのだろうが・・・
それほどまでに、御所に住まう方々は季節感というものを非常に重要視しており
暑い夏には、この氷室から切り出した氷で清涼を楽しんだのだろう。
その辺の影響が、京の和菓子屋さんにも大きく出ているとのことで
各月のお菓子についてもいろいろ伺ったのだが、とてもとても、全部書きとれずに
説明が終わってしまった・・・
あとで聞けば良かったのだが、今後もここへは何度も来るつもりでいるので
あせらずにそのまま聞き流すことにした。
きっと、またこのすばらしい案内をしてくださる方にお会いできるような気がする。
そして、氷室から柿本人麻呂を祀ったお社を横目に見ながら南池へ。
南池にかかる、八つ橋。
この八つ橋、見学の最初の方で
一度、この橋を渡って向こうに渡るのだが、今度は渡らずに前を通り
再度、又新亭へ。
又新亭の説明を最後にこの仙洞御所の
参観は終了となった。
この後、別グループと御所の前でランチを一緒にとったあと、再度バラバラになり今度は
むにゅチームは修学院離宮へと移動した。
写真は昨年に訪問したときに撮影した
画像を使っている箇所が多々あることを
ご了承ください。
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