正直、この建物が以前何に使われていたのかがよくわからない。
念のために書物で調べてみると、こちらは『元児島銀行』だったそうな。
大正7年(1918年)築、木造二階建。
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1階部分には、1間半ごとに花崗岩の柱
がある。
もちろん、基礎部分も花崗岩の
布基礎だそうだ。
切妻造、本瓦葺、外壁は漆喰となまこ壁。
と、書いてあったのだが、
腑に落ちないのは児島銀行。
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この銀行は明治28年(1896年)から明治41年(1908年)まで存在した銀行で、この建物が建てられた大正時代には存在していないようなのだ。
児島銀行は、明治41年(1908年)の時点で解散となっており、
業務を引き継いだ銀行がないようなのだが・・・
もしかしたら、玉島銀行なのだろうか??
それだったら、児島銀行と同じ明治28年(1896年)の創業で
大正12年(1923年)に第一合同銀行と合併し、その後、
昭和5年(1930年)に現在の中国銀行となっているので、
年代的には、玉島銀行の可能性のが濃いのだが・・・
また、ネットでも調べてみたのだが、基本的にネットでの調べ物というのを
アタシは信用はしていない。
その上、どうも、某有名サイトでの記述が誤字のような感じなのだが、
その情報を鵜呑みにして自身のサイトなどに書いているHPが多い・・・・
もっとも、90年も前のことなので資料もほとんどないのだが・・・