手紙の木と呼ばれる「タラヨウ」の木が植えてある門を出て、
中離宮から上離宮へと移動。

この葉っぱの裏に文字をしたためて、
手紙の代わりとしたそうで、ここから『葉書き』という
言葉が生まれたそうな。
そんな説明を聞き流しながら上離宮へ。
上離宮という名の通り、上の方へ少し登る。
浴龍池と呼ばれる広い池を見下ろすように
隣雲亭という、茶室へ。

この隣雲亭は一番高い位置に
あるそうで、左のような光景を
愛でるための茶室のような感じで
華美な装飾は一切なく、
かなり簡素な茶室だ。



簡素とはいえ、かはり離宮なので
ちょっとした釘隠しにもかなり細かい細工が施してあるのはお約束。
更に、軒下のいわゆる「たたき」の
部分には、漆喰に小石を3粒埋め込んだ「一二三(ひふみ)石」がある。
漆喰は現代人の靴の磨耗などで
劣化し、漆喰の原型をとどめては
いないのだが、埋め込まれた
一二三石はまだ健在でちょっとした
足元のアクセントのようになっていて楽しい。
説明では漆喰が全部取れてしまったと伺ったが、もしや左官で言うところの
「洗い出し工法」ではないだろうか?とも思った。
そのくらいきれいに全部、漆喰が取れてしまっている。
それか、後年、漆喰ははがれるのを見越してこのような「洗い出し風」になるのを
計算して作ったのだろうか??


隣雲亭から今度は窮邃亭へ行く。
この窮邃亭は、この修学院離宮の
創建当時から残る唯一の建築だそうだ。
千歳橋を横目に窮邃亭へ向かうのだが、この橋の上に乗っている鳳凰が
どうも平等院を連想してしまうような錯覚に陥ってしまう・・・
修繕した金ぴかの鳳凰は、口に何かの花を咥えており結構キッチュだ。
右下の写真は昨年撮影したものだが、紅葉シーズン真っ盛りなら紅の向こうの
金の鳳凰がもっと映えるに違いないだろう。


上の写真の左に見えるのが千歳橋で
橋の向こうに見える建物が窮邃亭。

後水尾上皇の宸筆の扁額があり、
建物の屋根は宝形造り。
宝形造りとは、建物の隅棟が
屋根の中央にすべて集まっており
その上に露盤を乗せたもののこと
を言うのだが、よく「お堂」などでも
見かける造りだ。
ここは、離宮なので露盤にあるのは
もちろん「菊」だ。



この建物も簡素なのだが、
むしろそのシンプルさが品良く
開け放った窓の向こうの景色を
借景のようにして、室内の装飾にしているのだろう。
この修学院離宮自体が比叡山を借景して造られているので、
建物を簡素にすることによって、その風景を愛でやすいようにしたのだろうか?

建物の外側を覆う戸板も
取り外しができるようになっていた。


そして、広大な風景を眺めながら
修学院離宮の見学を終え、
2チームに分かれた今回のサークル活動は
各チームごとの解散となった。
真冬の夕方近くの見学でもあったので
かなり暗くなってきたこともあり、
そのため一部の写真は昨年撮影した物を使用しているのをご理解いただきたい。
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