岩船寺は創建当初の建物は何一つ、残ってはいないそうな。
三重塔も室町時代のものだそうだ。
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三重塔の垂木を支える「天邪鬼」。
これは、江戸時代に」なって後付されたそうな。
 
写真の撮影はできないので写真はないが、この岩船寺にある「四天王像」は
(通常は四天王は天邪鬼を踏みつけているのだが)、岩船の名にちなんで
岩を踏みしめていた。
 
A先生の飛鳥ツアーの時の解説でもあったが、非常に簡単に言ってしまうと
『塔 → 卒塔婆 → 仏の墓なので三重塔』になるそうな。
 
三と言えば、日本三名鐘というのがあって、
 
三井寺・・・音
神護寺・・・銘
平等院・・・形
 
上記の三つの鐘がそれにあたるそうだ。
 
そしてこの岩船寺の奥にあった休憩ベンチで持参した昼食をとり、
歩いて石仏を見ながら浄瑠璃寺へと移動。
 
この付近には飲食店がない(さほど深くない山にある)ので、バスに乗り込む前に
各自、弁当やサンドイッチなどを購入しておいた。
 
岩船寺から浄瑠璃寺へは、どちらかというと下り坂の多い道なのでかなりラク。
その途中に石仏群がある。
A先生に勧められて、岩船寺で「当尾の石仏」なる小冊子を購入。
主だったものだけを見て歩くので、後日の復習用だ。
この回のA先生が一番教えてくださりたいことは、石仏ではなく
実はこの次に行く浄瑠璃寺で、ぜひともお話したのだとおっしゃっていらした。
恐らく、そのために小冊子を薦められたのだろう。
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こちらは、真ん中が阿弥陀如来。
智慧をつかさどる「勢至菩薩」と
慈悲の「観音菩薩」。
 
 
阿弥陀如来は、どんなスタイルを
していても、印を結んだ指が丸になっているそうだ。
この阿弥陀如来の印に関しては
次の更新のときに改めて記したい。
 
 
 
ここで、脱線だがA先生から問題が出された。
 
「薬師如来」の脇侍は誰か?
 
日光菩薩と月光菩薩だ。
 
そのくらいの質問だけなら、アタシでもすぐに答えられた。
 
薬師=病院と考えてみるとよくわかるのだそうだ。
 
日光=日勤の看護士、月光=夜勤看護士と見るそうだ
 
4月のサークル活動をなぐり書きのノートを見ながら、記憶の紐を解きながらの
アップロードなのでこの続きは次回に回したい。