5月のサークル活動は、長浜城の城下町として秀吉が作った「長浜」だった。
JR長浜駅で集合し、200mほど南に歩いたところにある「長浜鉄道スクエア」へ。
イメージ 1ここは、明治15年(1882年)に
建てられた日本に現存する最古の
駅舎で、T・R・シェルビントン氏ら
英国人技師たちの手によって設計。
施工は、稲葉弥助氏。
基礎、臥梁、開口部分は石、
煉瓦積だが、壁は無筋コンクリート。
鉄筋が入っていないのだが、
明治42年(1909年)の近江地震にも耐えて、現在に至っている。
 
現在のJR長浜駅はこの、旧長浜駅舎を真似て数年前に新しく建て直された。
2年前に当ブログの「オブジェな建物」でもアップしているので、
内容は重複するが、参照されたし。イメージ 2
 
 
窓の形、屋根、2本の煙突。
非常によく似ており
注目すべきは、現長浜駅の
「キングポストトラス」だ。(左下)
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実は、旧長浜駅舎にも「キングポストトラス」が
使用されているのだが、現在は2階部分が
立ち入れないこともあり、見ることはできない。
このトラスまでも、再現したのだろう。
ここまで、忠実に再現してくれると
むしろ、細部まで駅舎も見てあげないと
気の毒かもしれない。
ただの、よく似たデザインの建物ではなく
わざと改札口を出て「すぐに見えるように」
しているような気がしてならないからだ。
長浜旧駅舎の待合室などを再現した展示もおもしろく、イメージ 6
スクエア内にある「長浜鉄道文化館」や「北陸線電化記念館」も楽しめる。
この2つの建物のトラスも美しい。
 
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左は、長浜鉄道文化館。
木造ドームトラスをうまく使って「見せる」という演出をしている。
 
トラスと照明のコラボレーションで
美しい空間を作り出しているとも
言えるのではないだろうか?
 
 
 
 
 
この鉄道文化館では、文字通り鉄道文化の歴史に関する展示があり
大変興味深く見学できる。
そして、「北陸線電化記念館。」
実は、関西に引っ越したばかりの頃は「電化」の意味がわからなかった。
生まれた時から、すでに山手線も京浜東北線も「電車」だった。
「ディーゼル車」が理解できなかったし、知りもしなかった。
ところが、関西の田舎に引っ越してあちこち自分で遊び歩くようになって
一部の地域ではまだ「電化」されておらず、「ディーゼル車(気動車)」だと
いうことを身をもって知ることができた。
こちらの展示は、鉄道ファンが喜ぶような鉄道車両の展示がメインだ。
イメージ 9北陸線電化記念館の方のトラスも
美しく、これは「合掌トラス」だろうか?対束もあるので、クィーンポスト
トラスなのかな?とも思ったが、
合掌トラスのようにも見える。
アタシ自身、トラスなどに関して
全くの不勉強なので今後、
個人的に直接、師事して教えを
請うつもりではいるのだが・・・
 
 
鉄道スクエア内の「長浜鉄道記念館」には大正時代から使われていた木製ベンチなどもあった。
説明によると、このベンチには「動輪マーク」がついているとのことで、
この「動輪マーク」は明治42年(1909年)に国鉄の制服ボタンと帽章に使うと
いうことで考案されたらしい。
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ものすごく「細かいなぁ・・・」と
感心してしまうのは、
この「動輪マーク」を
この「「鉄道文化記念館」の
自動ドアにも使っているという点。
この建物の中に入るまでは
気がつかなかった。
(この建物の中に入るのも2度目
だったのだが、見落としていた。)
 
イメージ 11イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「北陸線電化記念館」の方が
鉄道車両展示がメインで、ここも楽しかった。
 
そして旧長浜駅舎の建物に戻るのだが、入り口付近に昔の待合室の
ベンチを再現した展示があったのだが、長浜駅にあった火鉢だろうか??
五徳が「ひょうたん」なので、長浜駅の物だったのではないだろうか?
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「ひょうたん」といえば、秀吉。
秀吉といえば、長浜を作った御方。
そして、火鉢には旧工部省の「工」のマークがあった。
 
この工部省の「工」マークというのは
鉄道のレールの断面図を
モチーフにして考案されたマークで
JRなどのマンホールの蓋
などにも、使われていた。
イメージ 5室内で暗いということもあってか
相変わらずのピンボケ写真だが
判別はできると思う。
 
長浜駅舎とJRのマンホールに
関しては、後ほどトラックバック
しておくので、ご一読いただければ
と思う。
 
この鉄道スクエアだけでかなり
楽しく時間を過ごし、
向かいにある慶雲館に行くのだが、それはまた次回の更新時に・・・
 
 
 
長浜駅舎の過去記事
 ↓