「生野銀山-大人の時空の旅club」(http://blogs.yahoo.co.jp/baahus5st)の
みゆさんは、かなり古くからのブログ仲間だ。
毎年送っていただいている「生野銀谷祭り」の案内葉書が、
2010年の晩夏に届いたので、9月のサークル活動の場所に決めた。
都市部やメジャーな場所ばかり行くのも良いが、地方にある鉱山町の昔と今を
実際に見て、鉱山が閉山となった今、その鉱山町をどのように活気づけるか?
その努力の過程と結果をも、メンバーたちに見てもらいたかった。
が、あまりにもアタシがメンバーへの「受け」を狙ってしまい、
見ごたえのある近代建築や有名な寺社仏閣などを対象にしたりと
意識しすぎて活動しすぎてしまっていたせいか、
鉱山町をじっくり体感するということよりも、遊びで銀山への探検と
わずかに残った古い建物を見ただけになってしまった感が否めない活動だった。
JRの姫路駅の構内で集合し、生野へ。
下車すると、旧日下旅館が、生野駅のまん前にある。


外壁に見える鶴や松の形の穴は、空気穴。
明治43年(1910年)に建てられ、
大正10年(1921年)に3階部分を増築。
現在、旅館の営業はされていらっしゃらない。
ここへは何度も足を運んでいたのだが、屋根の瓦にある「日下の日」の文字には
初めて気がついた。何回同じ場所を歩いても、見落としが多いことに愕然とする。
両国橋を通り、銀谷祭り会場方面へ。

この橋の向こうが「但馬」。
手前は「播磨」だ。
2つの国境にかかる橋だから、
「両国橋」。
ちなみに国技館で知られる、
東京の両国は、江戸と下総の国の国境だから両国。
将軍綱吉公の時代くらいまでは、
両国橋を渡った向こうは下総(千葉)の国だった。
(その後は、武蔵の国に編入されるが、武蔵の国と江戸は違うので、ご注意されたし。)
銀谷祭りの開催されている地区へ移動し、まずは昼食。
銀山まち口番所と呼ばれるボランティアの方々が運営されていらっしゃる
もてなし処??のようなところでハヤシライスをいただく。
その昔、鉱山食堂で提供されたメニューで、その当時の味を復活。
いや、むしろ、今の方がおいしいのではないだろうか??
昔の味は知らないが、どうもそんな気がしてならない。

旧豊岡警察署生野分署だった建物も、その銀山まち口番所のすぐ近くにある。
明治19年(1886年)に地元の棟梁・杉浦嘉作氏によって建てられた
現在は『生野一区公民館』と
なっている。
軒瓦の下には生野の町の町章がついている。
現在は、公民館としてこの場所にあるが、実はこの建物はもう少し
奥まったところにあったのを移転したそうな。
もともと、この警察署の建物があった場所には「但陽会館」の本館が建っている。
「但陽信用会館」というのは、但陽信用金庫の所有する美術館などの総称で
本館、新館に別れており、新館は美術館になっている。

右の写真は本館だが、こちらは
但陽信用金庫の会長のデザインをもとに建築設計事務所が設計し直して、昭和50年(1975年)に竣工した建物で、この日は、たまたま本館で昔のお金などの展示をやっていたので、そちらを見学。
基本となるデザインをされた会長は
ギリシャ風の建物などが大好きだったそうだ。
鉱山町というのは、たいていは普通の町よりも裕福でもあるし、
お金が動く町だったので、当然のことながら、銀行も存在していた。
大正15年(1926年)には、現在の但陽信用金庫の前身である生野信用組合が
設立され、その後、支店を増やし現在に至っている。
生野の銀谷に現在もある生野支店がもともとは本店だったそうで、
近年になって、加古川に本店を移したそうだ。
但陽会館の本館を出て、メイン通りに行く。
実は、生野はじっくり見て回ると1日ではとても足りない土地なので、
この日しか公開されない建物だけを見て回ることにした。
途中、裏道に回り、昔のトロッコ道の痕を見ようと思いきや、
最近までは、普通の道にしか見えなかったところに線路の痕を造り、
トロッコ道を再現してあった。
裏道のあちこちに生野で
かつて生産された「生野瓦」が
積まれていた。
現在ではもう作られてはいない。

写真が増えてきてしまったので続きは次回更新にまわしたい。
旧日下旅館、生野一区公民館(豊岡警察生野分署)に関しては、
過去記事を参照していただきたい。
写真もそちらに多く載っている。
旧日下旅館の過去記事
↓
生野一区公民館の過去記事
↓
尚、生野銀山-大人の時空の旅clubさんは先日、
皆さんでHPも開設され、そちらでかなり詳しく生野について書かれて
いらしゃるので、ぜひ、そちらもご覧になっていただければと思う。
生野銀山 銀の里
↓









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