根津方面から本郷通りまで歩き、今度は本郷通り沿いに東大赤門に向う。

今は、かばんの修理屋さんになっているが、
この建物での営業は30年くらいだろうか?
建物データはわからないが、この辺りは空襲のに被害が少なかった地域なので戦前の建物
だろうか??木造3階建だ。

そして東大前の看板建築群を
眺めながら歩く。
右の写真は、このブログのトマソンの書庫にかなり昔、「キカイダーハウス」と命名してアップしたことがある建物。
こちらも昭和初期の建物だろう。
ランチは、同じ看板建築のお店、万定フルーツパーラーでと思いきや、
たまたまこの日はお休みだった。

昭和3年(1928年)築、設計・施工は不明。
内部は結構広く、昔のレジスターなどを
現在でも使っており、言えば写真も撮らせて
くださるので、何回かハヤシライスを
食べたことはあるのだが、実はカレーライスが
売りのお店だそうな。
お店の外観がちょっと変っているように
思ったのだが、以前は「カレーライス」と
書かれた看板がついていたのだが、
その看板がはずされていた。

右の写真は昭和57年(1982年)くらい
に撮影した写真だが、「カレーライス」
の看板がある。
平成15年(2003年)くらいまでは
確実にこの看板があったので、
看板が取り外されたのはここ数年
だと思う。
万定フルーツパーラーが休みだったので
お向かいの東京大学を抜けて
上野桜木方面に向かうことにした。


上は、東京大学の法文1号館。
昭和10年(1935年)築。設計・内田祥三氏、施工・竹中工務店。
右は安田講堂。大正14年(1925年)築。
設計・内田祥三氏、岸田日出刀氏、施工・清水組。
他にも美しい近代建築がたくさん構内にあるのだが、あまりにもたくさんあるので
割愛して、三四郎池を見ることにした。
もともとは加賀藩主前田氏のお屋敷だった土地なので、
この池も寛永15年(1638年)に築造されその後、補修されたそうだ。

近くにはかなり古いポンプ室が
まだ残されていたが、使われては
いない様子だった。

東大病院の前を通り、竜岡門へ。
本郷通りの赤門から入って、不忍通りに近い竜岡門から出ることにした。
竜岡門から不忍通りに出てから、両山堂印刷の建物
を見てからランチへ。


昭和29年(1954年)築。
上の写真の建物は木造2階建。
右は大谷石積。
実は、アタシの実家から歩いてすぐ近くだったこともあり、学生仲間数人でここでアルバイトをしていたことがあった。
アタシはすぐ他のアルバイトに変ってしまったが、他の友人たちはわざわざ
八丁堀からここまで自転車で長い期間通っていた。
が、その当時の建物の記憶はほとんどない。
梱包されたラベルを運んだりとか、かなりきつかたことだけを覚えてる。
その数年後くらいから古い建物などに興味を持ち出したのだが、
今にして思えばあの時、もっとじっくり建物を鑑賞しておけばよかった。
だが、高校生のアルバイトとは言え、お金をいただいて働く以上は
短い時間労働しかしないくせに、建物がどうのなどと言える立場ではなかった。
もう何十年も前のことだ。
かなり広い敷地の中にまだ大谷石積の倉庫もある。
写真の建物は現在は使われてはいない。
その思い出話をしながら、旧忍旅館へ。

昭和4年(1929年)築、設計・中村某、
施工・宮崎某となっている。
木造4階建。
元々、写真スタジオだったのだが、その後
「忍旅館」になり現在は廃業され住宅として
使用されている。
旅館営業当時、忍旅館という看板を掲げていた
のだが、廃業とともに看板は下ろされた。
当時の写真を比較のために探そうとしたら、
ちょうどアルバムの入ったケースの上で
猫が昼寝をしてどいてくれないので
その写真はアップできなかった。
そして、暗闇坂に移動。
坂の入り口にある煉瓦の建物を横目にランチへと急いだ。
煉瓦の建物は、仔細不詳。

いつ建てられたのかもわからない
2階建の建物で、かつての都電の
変電所の遺構。
イギリス積みの煉瓦造。
現在は上野動物園の倉庫となっているそうだが、平成元年(1989年)頃の台東区の調査では、
『上野動物園倉庫』『空き家』となっていた。建物の裏側に回ると
店舗用のテントが1階部分に
残っていた。
30年以上前、飲食店が入っていたような記憶がなきにしもあらずなのだが・・・
数百回以上はこの前を通っているのだが、記憶にない。(汗)
暗闇坂から上野桜木に移動し、やっとランチにありつけることになったのだが、
写真が増えすぎてしまったので続きは次回更新時に・・・・
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