昨夏にもこの建物を見て写真は撮っていたのだが、ただ昭和の初めくらいの
古い木造建築だろうくらいにしか思っていなかった。
だが、先月、quokkaさん(http://blogs.yahoo.co.jp/quokkaquoll)と一緒に行き
もう一度見た時、玄関ポーチの造作が気になった。
「これは、明治の建物ではないか?」ふと、そう思った。
それ以来、調べてはいたのだが自宅にあるどの文献にも載っていない。
調べに調べてやっとわかったことがあるので、
quokkaさんとの町歩きの記事とは別にこの書庫に記しておくことにする。
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左上の写真が問題の玄関ポーチ。
普通に道を歩いて見る限りでは
板張りの古い建物にしか見えず、
しかも、すでに廃業されている
美容院や楽器店のイメージから
昭和っぽい雰囲気に騙されて
しまうかもしれない。
昨年も、この玄関ポーチを撮影はしているのだが、美容院だった窓ガラスに残る「パーマ」の文字などのレトロ感に
惑わされてしまいろくに調べようとは思わなかった。
だが、2度目ということもあり、今回はもっと冷静に見ることができ、
明治期の建物ではないだろうか?という疑念を抱いたのだ。
1階の美容院の庇のアールになっている部分は、美容院が借りた時点で
改装しているのだと思われる。
玄関ポーチの奥にも、隣接するかのようなモルタルのファザードのお宅があるが
恐らく、こちらは昭和期になってからの建物だろう。
調べてわかったことは、
 
製糸工場が大正時代に事務所として借り受けていた。
その後、昭和7年(1932年)に病院として使用。
昭和15年(1941年)に幸福堂というレコード・楽器店になる。
設計、施工などは不明。
現在は空き家だが所有者もおり、解体などの予定はない。
 
                                とのことだった。
 
 
大正期にはすでに工場の事務所として使われていたので、
建築年は、大正の初め、もしくはやはり明治か?ということだろう。
工場の建物として建てられたわけではないようだ。
この付近の製糸工業も昭和の初めには廃れてしまったそうだ。
 
この貞光は、素晴らしい「鏝絵」と「二層卯建」で有名な街なのだが、
街自体、その鏝絵や二層卯建ばかりを押しているので
この手の建物は実際ノーマークだったようだ。
 
「アタシの勘なのですが・・・恐らく明治の建物ではなかろうかと・・」と、
切り出してみたものの、間違っていたら謝ればいいや程度に思っていたが
やはり、かなり古い物であることがわかった。
 
空き家なのにこれだけの良い状態の建物は少ないし、
鏝絵や卯建ばかりでなく、こちらも調査してみては??などのおせっかいを言い、
万が一、調査や解体ということになったら、ブログを通じてでもなんでも
あちらこちらに呼びかけてたくさん人を連れて貞光に行くのでと懇願し、
調査や解体の時が来たら連絡をいただくことにした。
 
その時が来たら、皆さん一緒に行きませう!