平日などの空いているときでないと見学できないかもしれないが、
敷地内に残る倉庫になっている「蔵」にも下見の時に見学させていただけた。



当時の重厚な扉がそのまま
使われている。
蔵として使われていたのだが、
現在は内部には特に
保管してはおらず、松坂屋の屋号の
マークがついた木箱がいくつか
残されているだけ。
扉には、もう1つプレートがついていてそちらには「大日本名古屋岩津金庫商会」と
書かれていた。このプレートのデザインは手にしているは、草薙の剣だろうか?
地下室もあったのだが、真っ暗なガランドウで何もなかった。
が、地下室を含め、そんなに傷みはない。
蔵というものが、いかに保管に適した建物なのかがよくわかる。
サークル当日は、やはりここはスルー。
どうしても土日の見学者が多いのでかなり端折った感じの案内は致し方ない。
やはり、ここを訪れるなら平日に予約をして訪れた方が良い。
予約をしにと、見学はできないのでご注意あれ。
そして、楊輝荘を出たあとはすぐ横にある日泰寺へ。


鐘に刻まれた文字はタイ語。
どのの宗派にも属さないという「超宗派寺院」になるそうだ。
実際は僧堂が曹洞宗の管轄になるらしいが、ものすごく開放的な感じのお寺だ。
日泰寺に関しては、外務省のHPに記載された「日タイ修好120周年日泰寺」という
記事が一番、簡単でわかりやすいので、下記URLをご参照いただければと思う。
ウイキペディアよりも簡単かつ明瞭だと思う。
在京タイ王国大使館のHPにも記載があるのでそちらも貼っておく。
外務省(日泰修好120周年日泰寺)
↓
在京タイ王国大使館(タイカルチャー・覚王山日泰寺)
↓
(こちらには、大正7年(1918年)に建てられた伊東忠太氏の設計による
奉安塔の画像が載っている)
日泰寺から旧東山配水塔が見えたので、そちらにも回ってみた。

昭和5年(1930年)築。
設計は市水道部。
施工は大倉土木によるもので、高さは
37.85mのRC造。
昭和48年(1973年)までは給水のための
配水塔として使われていたそうな。
実は、以前は26.9mだったのだが、
昭和58年(1983年)に改修され
屋根がついたことにより、高くなっている。
春分の日と名古屋の日8月8日にのみ
内部が公開されるそうだ。
現在は、災害時の給水塔となっている。
フェンスにへばりついて
この給水塔の写真を撮ったあとは、
愛知学院大学歯学部として使われている「旧昭和塾堂」を見に行く。
昭和5年(1930年)築。RC造2階建、4階塔屋付、地下1階。
手持ちの資料にはそれぞれ違う記載があり、まとめると設計は、愛知県営繕課。
課の酒井勝氏、安達武郎氏、黒川乙喜氏、尾鍋邦彦氏が設計メンバーのようだ。
施工は志水組。(前出の日泰寺の伊東忠太氏の奉安堂も施工も志水組だ。)



戦後は名古屋大学や千種区役所の仮庁舎などにも利用されたが、
現在は愛知学院大学の
大学院の歯学部研究棟として使われている。
八角形の塔屋を中心に3方にが延びるようにして「人」の字を描くようにして建てられているそうな。


左上の写真も、愛知学院大学大学院歯学部の
所有の建物なのだが、この建物に関
全くといってようほど資料がない。
右上の建物は昭和6年(1931年)に建てられた付属の体育館で
現在は武道場「養心殿」となっている。
少林寺拳法教室の看板もあったので、こちらも現役だ。
昭和塾堂に関しては、名古屋市のHPをご参照いただきたい。
日が暮れてきたので、名古屋駅に移動しほとんど1日中でもモーニングを
食べられる喫茶店に寄り、夕方の6時頃にモーニングサービスを全員が注文。
あんこトーストと珈琲で一息入れてから帰ることにした。

たしか、300いくらだったと思うが、
飲み物だけの注文でも金額が同じだというので
迷わずに「モーニングであんこトースト」を注文した。
あんこトースト以外にもメニューがあったのだが、
名古屋といえば、あんこトーストだ。
何故か、あんこトーストのお皿に柿の種の小袋が
ついてきていた。
夜でもモーニングサービスというのが素晴らしい。
個人的には名古屋の食べ物が大好きなので、嬉しいサービスだ。
西と東のおいしい物のい良いとこどりをしている上に、独自の食文化もある。
帰りの駅構内では、お約束のお土産タイム。
鰻と卵の巻寿司と海老ふりゃ~弁当を夕食に購入し、
5時間以上かけて帰宅したのだった。
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