アタシにとって1年で一番大切な鳥越祭りに参加するために
懲りずにまた夜行バスで帰省してきた。
本当は、隣の神田の出身だから神田祭りが一番大事でないといけないのだが、
不義理を重ねた挙句、出身地界隈で姿を目撃されて親に報告されては
かな~りまずいのでこの数年、神田祭りには身を隠すことにしてる。
自分で鳥越を第2の故郷を決めたからには、やらねばならぬと
金曜の晩に夜行バスに乗り込んだ。
土曜にの朝に東京駅に着いてから、以前からやってみたかったことがあったので
東京駅から大手町、神田、湯島と歩きまわって午後に鳥越入りをした。
そそくさと、町会への挨拶を済ませ夜6時からの神輿の担ぎ出しに参加するため
着替えをすませてから、ブログ仲間のオフ会へ祭り装束で参加。
そこで1時間半ほどちょこっと飲んだあと、神輿を担ぐ。
左右の画像は町内神輿。(左は日曜日に撮影)
携帯での撮影だから画質悪いが・・
土曜日の晩、暗くなると神輿の提灯に灯が入る。
ちゃんと、チャッ○マンで火を点ける。
提灯の灯入れも、ちゃんと順番がある。
まず、鳥越神社の名の入った提灯から点灯し、
その神社の名前を囲むようにして、町会の名前、町会睦の名前の入った
提灯に点灯するのだ。(これ、町内でも知らない方、いらっしゃるかも・・・)
お祭りは、「お祭り騒ぎ」「神輿担ぎ」ではなく、神事だから点灯順番にも
昔からの仕来りがちゃんとあるのだ。
浴衣を着用して点灯していらっしゃるのが、「睦」と呼ばれる方々だ。
鳥越は、この「睦」が取り仕切ることになっており、
本社神輿と呼ばれる千貫神輿も宮出しと宮入りはこの「睦」しか
担げないことになっている上、各町会を渡御する本社神輿を担ぐ際に
我も我もで争っているうちに無様な担ぎ方をしていると、
この「睦」の方々に神輿を召し上げられてしまい、その時点でその町会の
本社神輿の宮入り道中はその場で強制終了となってしまうのだ。
神輿の「格」も、本社のが町会の神輿よりも上になるので
本社神輿を仕切る担当責任者と町会神輿の担当責任者の「睦」は別になる。
本社神輿は決して誇張ではなく、本当に4トンあるので本社神輿の渡御の際には
当然、すべての睦が力をあわせて仕切るのだが、毎年のことながら
「担ぐ」という行為よりも、「担ぐまで」が非常に苦労する。
担ぎ手は恐らく100人いないはず。
狭い路地を神輿が通るので担ぎ棒がものすごく短いので80人~90人くらいか?
定員数がそのくらいに対して集まる担ぎ手は700人以上。
(アタシの担ぐ町会の場合だが・・・)
これは、本社神輿を担ぐ専用の貸し出し半纏にすべて
ナンバリングしているので確かだ。
ちなみに「睦」の方々はどの町会も同じ着物を着用されていらっしゃる。
土曜日は点灯された神輿を担いだあとに、オフ会会場に戻り再び飲み会。
このオフ会、ブログ上では結構長いお付き合いの▲さんの企画。
アタシの帰省にあわせて企画していただいた。
参加者のゆうさん、青猫さん、りんりんさん、Lさんありがとうございました。
1次会終了したのが終電ギリギリでそのままの勢いで2次会へ。
居酒屋の呼び込みのお兄さんに交渉し、15%引きを20%引きに値切り倒して
飲むのだが、深夜3時くらいにお店が後片付けを始めた様子で
終業のために河岸を変える。
そして、そこでも終業となり外に出るとすでに朝の5時半過ぎ・・・・
皆さんを駅まで見送り、そのまま鳥越神社の宮出しを見物に行く。
どこぞのお祭りのように、わけのわからぬ輩が争うことも当然のことながら無く、
粛々と巨大な本社神輿が境内から神社の外に担ぎだされる。
その本社神輿を先導するというよりも、見守りながら囲むようにして
鳶の頭たちが木遣りを歌いながら歩く。
それが本当に見守るような感じで、整列だって先頭を歩くのではないのだ。
歌いながら、頭たちはバラバラに歩いて「睦」の手から宮元町会に渡すまで
守護するかのごとく木遣りを歌い続ける。
睦の手から
本社神輿は
各町会へと手渡され、宮入道中へと渡御される。
←担ぎ棒が短い
ことがわかる
だろうか??
早朝だったので、
ここの町会は比較的、担ぎ手さんたちの数は
ちょうど良いくらいに思えた。
二町会ほど見物させていただいてから、シャワーと着替えを済ませ、
10時から町会神輿を担ぐ。
お昼少し前に午前の部が終了。
お弁当の配給に並んでいると、毎年数回会って一緒に街歩きするC氏が登場。
今年は仕事の都合で来られないというメールを朝、もらっていただけに嬉しかった。
C氏とは三社祭りでも一緒に街歩きをして夜、飲んでいる。
そして、そのうちに三社祭りでもお会いしたA氏も!
ちょっとだけA氏とお話し、おととしの写真などをいただき別れる。
C氏が仕事の空き時間の間しか居られないので
ランチを食べて午後の町会神輿は後半だけの参加に切り替えて
C氏と「看板建築ツアー」をすることにした。
(ランチではビールはコップ1杯だけだったよ・・)
看板建築を見て、写真を撮っているうちにC氏は仕事に、
アタシは神輿に戻ることにした。
夕方、いよいよ本社神輿が回ってくる少し前に今度は浅草で牛鍋を
一緒につついたE氏から電話。
近くにいらっしゃるというので、探してちょっとだけ話をする。
E氏、相変わらずお洒落で、良い縞の着物を・・・・
「ちょいとEさん!あの縞、いいねぇ~」
↑それを言い忘れてたよ・・・(間違いなく、彼は「当たり前だ」とおっしゃるだろう・・)
そしてそれからしばらくして、やはり三社で一緒だったB女史から電話。
ものすごい人ごみの中、祭りが終わったら一緒に飲むことを誓い別れる。
本社神輿はどこかのブログで画像を見てくだされ。
担ぐまでが非常に困難で、今年はもう無理かと思っていたがなんとか担げた。
毎年、今回は担げないかと思ったと言っているのだが、
担げなかった年はこの30数年間一度もない。
やはり、アタシは運が良いのだろう。
そして、お祭り終了後、D氏が登場。
三社祭りでも街歩きでもよくご一緒するD氏、B女史と3人で居酒屋へ。
翌月曜日は、アタシのやってるサークル活動の東京版で
関西出身のD女史とともに御徒町から日銀本店見学、京橋と歩く。
夜、横浜の友人と鰻を食しお茶を飲んだりして夜行バスを
見送っていただく。
そしてやっと今朝、帰ってきたのだが梅雨で雨・・・
半纏8枚、股引1枚、腹掛け1枚、鯉口シャツ2枚、手ぬぐい2枚、足袋2足、
ポロシャツ、ジーンズなどなど、とんでもない量の洗濯。
洗濯機を3回以上まわした・・・
掃除も終わり、さっぱりしたが、祭りまであと1年もある・・・
祭りの会などには一切、属さずに一匹狼で祭りに参加しているうちに
こんな馬鹿を30年以上もやっていれば、自然と「お仲間」も増える。
毎年、祭りの時にしか、顔を合わせることはないのだが、
それはそれで、さっぱりとしていて良いものだ。
お互い、時期が近づくと連絡を取り合い、一緒に担ぐ。
洋服姿を見たことがない友人もいる。
さっぱりした付き合いだからこそ、続くっていうことだってある。
おかげさまで、今年も江戸の祭りに参加させていただき、堪能させていただいた。
いつの日か、故郷の神田祭りにも戻れる日が来るかしらん。
親に勘当されたわけでもないので、いつでも戻れるのだが
こうなってしまうともう故郷の敷居が高くなってしまっていけない。
睦の皆さん、町会の皆さん、ありがとうございました。
チーム▲の皆さん、心ゆくまで遊ぶのにお付き合いくださって
ありがとうございました。
三社、鳥越とご一緒させていただく「白木睦」の皆さんありがとうございました。
お祭りの時期になると必ず連絡くださるブログ仲間のAさん、Eさん、
街歩き撮影会やその後の飲み会でいつも遊んでくださるBさん、Cさん、Dさん
ありがとうございました。
関西から東京に引っ越したあとも、
サークル活動東京編に参加してくださるD女さんありがとうございました。
同じく、関西のパチンコで知り合って仲良くなり、
その後横浜に引っ越された姐さんもご馳走様でした。ありがとうございました。
三社祭りの帰省のとき以上にハードだったが、心おきなく遊べたし、
担げたし、飲めたし、歩きまわれた。
やはり、アタシはついているのだろう。
叫びすぎて声はガラガラ、全身筋肉痛だが、嬉しい痛みだ。
やるからには、このくらいやらないと。。。。
はい、とっても幸せです!皆さん、ありがとうございました!
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