昨年の夏に実に4年ぶりの東京でのサークル活動を行った。
ちょうど、ほぼ1年後の6月に昨年、上野のアメ横で解散したので
今回は、その続きということで御徒町駅から日銀本店見学までを
D女史と歩きながら行うことにした。
以前は関西在住で、六甲山縦走なども経験しているD女史なので
多少、暑い中を歩き回るのは全く問題ないので、その点はお互い気楽だ。
どうしても、町歩きとなると一緒に歩く相手の脚力をついつい気遣ってしまうから。
御徒町駅で待ち合わせをしてから、日銀方面へと歩く。
中央通りをまっすぐ歩こうかとも思ったが、まずは昔の黒門町から
湯島方面に向かい昌平橋通りを歩くことにした。
裏通りの路地にはまだ銅版建築や看板建築、古い民家がかなり残っている。
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かなり昔から営業してるバー。
「Once upon a time」およそ120年ほど前に
建てられた煉瓦造りの蔵を利用した店で、
近所だったころもあり、実は20歳をすぎた頃から
結構行っていた。
夜になると、赤いチューブのネオンが灯りそれは美しい。
今は、お店のHPもあるようで「ともの会」もあるようだ。
この「ともの会」のページを見てみたら、会長さんは・・・・
なんと!昔、同じ町会に住んでいた方で
アタシの先輩にあたる方だった。
アタシがまだ若かった頃この店で何度も顔をあわせた記憶があるので、
もう数十年来の常連さんなのだろう。
内部はお店のHPをご覧いただければと思う。
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昌平橋通りに出て、今度は神田明神に向かう。
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日銀見学の予約時間ああるので、境内には行かずに昌平橋通りの路地の間から
神田明神を見上げるだけにした。
 
が、ここで明神下の「講武所」界隈の花柳界も話さなくては思い、かつての料亭街を案内するも、
ほとんどの老舗がなくなっていた。
現在、ほんのわずかに残っているだけであとは、
戦後になってからできた小料理屋が数軒ある程度。
 
 
かつての「講武所」の名残を見学し、ここがどういう気風の町かを
D女史に話ながら、今度は万世橋に向かう。
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ご存知、秋葉原の電気街。
万世橋の上のガードレールは汽車とランプ。
ガードレールの向こうに見える煉瓦の建物は、昔の交通博物館。
もとい!旧万世橋駅の遺構と言う方が良いだろう。
あの煉瓦の上に中央線のレールが敷かれ、現在も電車が運行している。
緑の草が生い茂るところに現在でも、旧万世橋駅のホームが残っている。
それ故、汽車なのだろう。
ランプはよくわからない。電気街にひっかけているのか?
それともこの万世橋の親柱に灯る灯りなのだろうか?
現在の万世橋に架けかわる前の橋の一部は、今、神田明神の中にある。
万世橋を渡り、柳森神社へ。
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かなり古くからの創建で太田道灌が
江戸築城した頃だそうで、江戸幕府開闢して
ほどなく、現在の場所に移転したそうな。
綱吉将軍の生母の「おたぬきさん」信仰で有名。
東京に昔から多い「富士講」の石碑群や以前、
このブログの「戸袋」でアップした鯉の滝登りの
鏝絵の戸袋もある。
 
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真ん中の写真は大正14年(1925年)の神田八講の碑。
右上は北口富士文教会の碑。
 
いずれも、戦後に廃れた「富士講」の石碑で富士塚がなくなったあとに
ここに石碑を集めて置いてある。イメージ 5イメージ 6         
この北口富士分教会の碑は
昭和5年(1930年)のものらしい。
アタシの祖父が入っていた富士講は
この北口富士分教会ではなかったか?大昔の祖父の写真に
富士講の行者の衣装を身にまとい、
この上のマークが描いてある旗を持った祖父やお仲間の
古い写真が実家のアルバムに貼ってある。
 
 
柳森神社の斜め向かいには、「看板建築」で有名な海老原商店とT邸。
看板建築研究の第一人者である            イメージ 8
藤森照信教授が学生時代に
このお宅を調査し、
学会で「看板建築」という言葉を
初めて使って調査内容を発表したのがこれらの建物群だ。
左の海老原商店は昭和3年
(1928年)築。木造3階建。
設計・黒沢画伯。(正面デザイン)
施工・鴻池組。
右のT邸は大正12年(1923年)
こちらも木造階建。正面の銅版には建築当初のご当主のお名前か?
それとも、屋号なのかわからないが人名が同じく銅版で作られている。
そして、また須田町の交差点に戻り日銀本店へと向かうのだが、
続きは次回の更新時に・・・・
 
 
柳森神社の鏝絵の戸袋の過去記事
    ↓
 
 
神田明神の過去記事
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旧万世橋駅見学会の過去記事
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