イメージ 1四番
神田神社の広前を    
過ぎて本郷大通り
右に曲がりて切通し
仰ぐ湯島の天満宮
神田神社。神田明神のことだ。明神様の鳥居の前はすぐ本郷通り。
歌詞の通りに右に曲がり坂を降りてまた登ると湯島天神がある。
神田神社に関しては、過去記事をご参照いただければと思う。
 
 
イメージ 4イメージ 5左は湯島天神の
鳥居の画像。
銅製の鳥居で
脚の下の方には
獅子頭の装飾。
 
 
 
 
藁座には吉祥文の紗綾形の卍崩しの根巻がついている。
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鳥居は、寛文7年(1667年)創建。寛文11年(1671年)修理と書いてあった。
左上の写真の奥が湯島天神の社殿で、手前の建物は宝物殿。
社殿は平成7年(1995年)に総檜造りで建てられた。
宝物殿も恐らく同じ頃か、それよりも後だったような記憶がある。
設計などのことを知りたくて、宝物殿にいた巫女さんに尋ねてみたが、
何もわからなかった。
かなり、お金をかけて建てられたようで、真ん中の写真でもわかるように
彩色された蝦股があちこちについているのだが、どれも御伽草子からの引用で
一寸法師や金太郎、鶴、梅の天神様のマークを囲むお稚児さんなどが
描かれており、一つ一つを見るのも楽しい。
 
この宝物殿が建つ前までは、男坂をあがったあたりには煉瓦塀が
むき出しになっており、独特の風情を醸し出していたのだが
囲いができたり、宝物殿でそれ見えなくなってしまいイメージ 3ガス燈のみが
残っているような状態だった。
 
恐らく、この竹の囲いの向こうには
半分崩れかけたような煉瓦塀がまだ残っていると思う。
あの有名な写真家木村伊兵衛さんの写真にもあった
湯島天神の煉瓦塀。
その写真に憧れて、安物のカメラを手に
何枚もしつこくこの場所や女坂の写真を撮ったものだ。
押入れのドライケースには、まだその時の写真が
数枚、いや大量に残っている。
ただ、この宝物殿ができたことくらいで基本的には
あまり景観は変わっていなようにも思う。
 
そして5番の歌詞に従って、上野広小路から上野のお山へと歩くのだが
こちらは次回に記したいと思う。