大阪の豊中市にある羽室家住宅。
その昔、16世紀末まで原田城というのがあったそうで、その跡地を長らく
庄屋の野口家が所有していたそうなのだが、明治43年(1910年)に
現在の阪急電車宝塚線が開通してからは近辺の開発がすすみ
原田城跡も昭和10年(1935年)に住宅地としての開発が入ることになったそうな。
そして、昭和12年(1937年)に住友金属工業(株)役員の羽室廣一氏が
自宅をこの地に建てた。
戦後昭和28年(1953年)からは、大阪ガスの副社長四角氏の住宅となり、
平成15年(2003年)まで住んでいらっしゃったそうな。
現在、改修工事も行われ一般公開されている。
実は、ただ見学するだけでなく、この土地についてなどの詳しいお話も
伺いたかったので、豊中市の地域教育振興室文化財保護チームに
お願いして説明付の案内をしていただくことになった。
アタシの住まう場所がほとんど岡山に近い兵庫県ということと、
「建築と文化を愉しむ会」などというご大層な名前のサークルのおかげで
何故か「岡山の建築家の方々が見学に来る」という話になってしまっており
案内人の方はかなり意気込んでこられたようなのがお気の毒様だった。
(アタシ以外は奈良県と京阪神からの参加者・・・
しかも、この日は建築家のメンバーは不参加。)
だが、おかげでじっくりと拝見させていただけたし、どういう土地柄だとかも
お話を伺えたので、こちらとしては有り難い勘違いだった。
玄関入るとすぐ
応接室。
それにテラスへと続くサンルームがついている。
サンルームは、
応接室だけでなく
他の和室へも
繋がっている。
サンルームを介して、コネクティングルームになっているのだ。
和室は更に四部屋ほど続くのだが、それぞれの部屋の欄間がすべて違う。
だが、至ってシンプルで数奇屋風の続き座敷。
この和室を囲んでいる廊下を隣接する
土蔵方面に行くと「暗室」がある。
羽室氏の趣味だった写真の現像のために
作られたそうで、広く大きなタイル貼りの
「流し」が設置されており、薬剤などを置いたり
する専用の棚も作りつけてあった。
その奥の土蔵には2番目に住まわれた
四角家の家財だろう、昔懐かしい家具や
電化製品、スーツケースなどがそのまま残されていた。
そして、土蔵とは反対側には「食堂」。
マントルピースとその横には作りつけの棚。
そして、お約束の隣室で調理した食事の皿をそのまま提供できるように
「小窓」が作ってあった。(ピンクの矢印部分
子供用の椅子が残っており、背もたれには
十字がある。
そしてこの
「十字」模様は
マントルピースのチェーンにも
同様の十字。
説明してくださった方に尋ねてみたが、意図的に
同じマークなのか?偶然なのかはよくわからないそうな。
食堂には、建てられた当初からあったガス燈も
まだ残っていた。
もちろん現在は使われていない。
食堂の奥には、住友化学などに関連する鉱山の展示があったので
それを見てから、庭にあるプレハブ住宅を見たのだが、
ちょっと写真が多くなってしまったので続きは次回・・・
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