神田須田町から今川小路を抜け、日銀へ。
この近くに架かっていた今川橋のたもとで販売されていたのが「今川焼き」だそうな。
Dさんは関西出身なので、「今川焼き」というよりも
「回転焼き」と言う言い方の方が馴染みがあるかも知れぬ。
だが、東京では「今川焼き」というのだという、
どうでも良いことをDさんに話しながら、日銀の見学時間には
まだ少し早いので中央通りのレストラン東洋で昼食を摂る。
日銀本店は、決まった場所しか写真撮影は
許可されていないので、ネット上で見られる定番の写真しか
撮っていない。
日銀本店の場合は、最初にビデオを見させられるのだがこの2年くらいで
見学者視聴用のビデオの内容が大幅に変わったようで、
以前のビデオに比べて、大変わかりやすく、かつ濃い内容のものになっていた。
かんたんな経済のしくみなども、このビデオなら理解できる。
以前のビデオよりも数段、良い内容だった。
見学場所は以前と全く同じなのだが、担当者が違うからか??
それともガイド内容を変えたのか?
説明内容も濃厚で詳しくなっていた。
明治29年(1896年)築
辰野金吾氏設計。
直営施工。
石積煉瓦造、花崗岩張。
着工から6年近くかけて
建てられたものだそうな。
馬車を使ってのお金の
運搬などを行っていたので
馬のための水飲み場も
まだ、中庭に残っており
日銀の「目玉マーク」も
横についている。
大阪の日銀よりも、規制が厳しく写真なども撮らせてはもらえないのだが、
以前に比べて、説明の内容も詳しくなっており見ごたえは充分だ。
やはり、詳しい説明を聞かないとただ、古い建物を見るだけになってしまうから。
今回は、歴代総裁の肖像画が掲げられている場所での説明が
前回と違って興味深かった。
誰が総裁に就任していたかではなく、どの時代にどういう地位にいた人、
どういう関連企業にいた人が就任していたのかを振り返ると
この国での力関係がなんとなく見えてくるような気もした。
また、しばらくしてから見学に行けば違った説明を聞くこともできるだろう。
尚、日銀の建物は上空から見ると「円」の形になっているのだが、
建築当初の「円」は旧漢字の「圓」なので、後年になって生じた偶然の一致だそうな。
日銀本店に関しては詳しくは日銀のHPを参照していただくのが一番だ。
写せなかった写真も載っているし、正しい説明もある。
↑
(このページの左にある「日銀バーチャルツアー」は画像が結構掲載されている)
日銀を出ると、目の前には三菱東京UFJ銀行、すぐ近くには三井本館がある。
過去に日銀総裁を経験された方の出身銀行などだ。
まだ、この三井本館の建物は昔のままだ。
昭和4年(1929年)築。
トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所設計。
ジェームス・スチュワート社施工。
共にアメリカの会社で、昭和4年と刻んだ礎石がある。
何回かこの建物の中の三井住友銀行を利用しているが
天井は確かに高いような気もするのだが、
ATMのスペースなどは現在のものと全く変わらない。
内部の営業場はまだ、昔のままの雰囲気なのだろうか?
気が小さいので、小額取引でわざわざ営業場を
利用する気にはなれないのだが・・・
そして、また中央通りに戻り三越本店を背にして京橋方面へ。
大正3年(1914年)築、関東大震災の被害での改修が昭和2年(1927年)。
横河工務所設計、施工。
この三越も三井がルーツとなっており、横河氏も三井の出身だ。
地下鉄銀座線の三越前駅の話や
日本初のエスカレーターなどの
話はあまりにも有名なので
割愛させていただくことにした。
建物の細部に至るまで
細かい装飾に彩られたまさしく
正統派の百貨店だ。
普段見えないような
部分にもちゃんと
細工を施してある。
三越に関しては
これから他の記事も
アップする予定もあるので、正面写真はあえて載せない。
地下鉄の乗り換え通路の過去記事もあるので
参照していただければと思う。
↓
すぐ近所に高島屋もあるのだが、この時は改修工事中だったので外観は
絵が描かれた幕に覆われていたために写真と撮らなかった。
高島屋の建物も素晴らしい。
実家では、何故か父親は高島屋派。
母親とアタシは三越派。
東京のど真ん中だと百貨店くらいしか買い物ができないという諸事情のため
週に何回か三越に買い物に出かけていたのだが、
値段は正直言って、安めだと思う。
決して高くない。(だから三越派なのだが・・・)
そして日本橋を渡り、京橋方面へと更に歩くのだが
写真も文字数もかなり多くなってしまったので、続きは次回に・・・・
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