三越から日本橋を渡り京橋方面へと歩く。
高速道路の下にある「日本橋」を渡ってすぐに野村証券の建物、
その向こうの東急百貨店のあった場所にコレド日本橋が見える。
イメージ 4イメージ 5野村證券の建物や
日本橋は非常に有名なので
どこのサイトでも素晴らしい
写真が見られると思うので
あえて日本橋室町方面から
日本橋の向こうを見た写真を撮ることにした。
 
 
 
ちょうど、この時は日本三大祭りの一つの日枝神社の山王祭りの翌日だった。
野村証券の前に提灯がたくさん掲げられており、それの撤去作業準備中だった。
江戸三大祭りも、この山王祭りが筆頭となっている。
 
(ちなみに江戸三大祭りは、山王祭り、神田祭り、深川祭りであって、
 浅草の三社祭りはその中には入っていない。
 近年、間違って報道するマスコミがあまりにも多いためにあえて記しておく。)
 
この野村證券の建物は昭和5年(1930年)竣工。
安井武雄氏の設計。大林組が施工。
 
イメージ 6
そして、すぐにコレド日本橋。
平成16年(2004年)竣工。
設計は、日本設計、東急設計コンサルタント、
      コーン・ペダーセン&フォックス(アメリカ)。
施工は清水建設、三井建設、東急建設。
 
以前は、東急百貨店だった場所に新しく建てられたビル。
東急百貨店、その昔、白木屋という名の百貨店だった。
昭和7年(1932年)の起こったこの白木屋デパートの
火災がきっかけで日本女性の下着改革が起きたのは
あまりにも有名な話なのだが、そんなことをD女史に話す。
 
そういえば、かつて東急百貨店時代には入り口の右側に「白木の名水」が
滾々と湧き出ていて小さいながらも、ファウンテンのようなものがあった。
今はもう、水は断たれてしまったようで石碑だけが中に残っているそうだ。
祀ってあった白木観音様は浅草寺の敷地内に祀りなおされた。
 
そして、その反対側の道には明治屋のビル。イメージ 7
昭和8年(1933年)竣工。
設計は曾禰中條建築事務所、施工は竹中工務店。
 
 
昭和7年(1932年)に東京地下鉄道の駅が開業。
三越百貨店が「三越前駅」を作ったのと同様、
費用の一部を明治屋が負担してこの「京橋駅」ができた。
そのため、車内アナウンスでもこの京橋の場合は
京橋・明治屋前というアナウンスがあるのもよく知られている。
 
 
この建物も有名なので素晴らしい建築写真は
他で検索していただければたくさん見ることができるはずだ。
 
ここを過ぎるとすぐに京橋。
今は暗渠となった京橋川にかかる橋の親柱がまだ残っている。
明治時代の親柱もまだ残っているが、今回はわざと大正時代の親柱に注目した。
イメージ 8イメージ 1
 
大正11年(1922年)
に架け替えられた京橋の
親柱がまだ残っている。
 
そしてそのすぐ近くには
銀座1丁目交番(通称京橋交番)がある。
 
交番の屋根の部分と親柱の
上部が極似している。
 
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは、昭和59年(1984年)に築地警察の署員からデザイン募集をした際に
提案されたデザインを基に大成建設の桜井凱昌氏が設計をしたものだそうな。
 
そして、このあとこの交番の斜向かいのコージーコーナーで休憩をし
話し込んでいるうちに時間が迫り、今回はこのコージーコーナーの喫茶室にて
解散ということになった。
 
次回は、一昨年アタシが1人で行った防衛省の見学かはたまた皇居の見学か??
いつになるのかわからない。
東京には年に何回も帰省するのだが、滞在日数が少なすぎて
すべてのスケジュールをこなせない。
会いたい人もたくさんいらっしゃるが、すべての人と会っているだけの時間がない。
そのためにD女史にはいつもご迷惑をかけてしまい、
なかなかじっくり東京でのサークル活動ができないでいる。
今度も、またじっくり歩いて見て回りましょうね。
その時は、東京活動のためだけの日を1日作りますから訪問先は乞うご期待!