第10番 

さて浅草より上野へと
環る電車の道すがら
甍の空にそびゆるは
名高き東本願寺
浅草から上野方面へと再び戻るのだが、
この付近をよく知る者ならすぐにわかる、『八つ目鰻屋』と『蛸松月』の交差点の
横断歩道の真ん中に残っているのは、都電の停留所の名残りではないだろうか?
昭和47年(1972年)に消えてしまった、あの都電の停留所。(都電荒川線を除く)
蛍光カラーのポールの部分に停留所名の書かれた表示板が立っていた。
台座部分のコンクリートには、黄色と黒で彩色されていた。
国際通りにはまだこの「名残り」らしきものが残されている。
アタシの記憶違いかもしれないが、都電の停留所の跡だと思うのだが・・・

田原町の交差点のあたりにある東本願寺。
こちらに関してはHPがあるので
そちらをご覧いただければと思う。
あえて、薀蓄は避けたい。
浅草門跡の町ということもあり、田原町から稲荷町にかけて仏壇、仏具店が多い。
プチ帝冠様式とでもいうのだろうか?
昭和4年(1929年)築、RC3階建の難波仏具店。
榎本徳蔵氏設計、戸田組の施工。
お寺の「九輪」を模っており、老朽化のためネットが
かかっているが、ネットがかけられてから久しい。
この通り沿いには他にもたくさん仏具店が現在でも
営業している。
アタシの住んでいた町だけの風習なのかもしれないが、
仏壇を購入する時に、近所の方についてきていただいてその方に値切ってもらう。
何故か、仏具などにお金をかけるものではないのだが、自ら値切るのは駄目で
他人様が値切る分には良いのだそうな。
1円でも良いらしい。
値切って、下がった分の額は付いて来てくださったご近所の方のお駄賃になったり
仏具屋さんへの手間賃として置いて帰る。
仏壇などはそうそう何回も購入するものではないのだが、
不思議な習慣だと子ども心にも思っていたのだが、もう、
そのような習慣も住民も残っていないだろう・・・
お互いにご近所同士で、仏壇を購入する時はそのようにしていた記憶がある。



道沿いの街灯にも工夫が施されていた。
浅草寄りには、「吉原繋ぎ」。
吉原の引き手茶屋の暖簾にこの模様が多く用いられたことからついた名前。
なんとも、粋な名前だ。
右端の写真は、「流水」。
ちょうど、この付近にはその昔、「新掘川」が流れていたが
関東大震災後に暗渠となった。
その新堀川のイメージなのだろうか??

上野に近づくと今度は、「青海波」の変形パターンの
ようなものがモチーフになっている。
この街灯はそんなに昔にできたものではないので
近年になってある程度、場所柄を意識して
作られたものなのだろう。
道具街でよく知られる「合羽橋」や警視庁菊屋橋分室の名で知られた「菊屋橋」の
名前に見ても、「橋」がつけられていることから、かつて、
川があったことが伺えるだろう。
菊屋橋分室は女性専用の留置場で有名だった場所で今は名称は変わっている。
あの阿部定女史もここに留置されていた。
そして、上野駅にまた戻り第11番の歌詞に沿って歩くことにした・・・・









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