青春18切符のシーズンは極力遠出することにしている。
アタシの場合は神戸あたりに出かける程度でも、
青春18切符だとちょっとしたランチ代が浮くのだが、
サークルメンバーの大半は京阪神在住なのでこの素敵な切符を
使う機会になかなか恵まれないからだ。
かなり以前のことだが、この時も和歌山県の湯浅町に出かけた。
事前に依頼しておいたガイドさんとの待ち合わせ時間まで余裕があったので
先にみんなで徘徊をして時間調整をした。
メンバーの1人が湯浅に詳しく、彼のお勧めの銭湯を見に行く。

「布袋湯」という、煉瓦塀に囲まれた銭湯。
かかっている暖簾はお馴染みの牛乳石鹸。
昭和50年代に発売されていた
シャワランというシャンプーの暖簾だ。
「和歌山社会経済研究所」のHPに
この「布袋湯」の取材記事が載っている。
詳しいことが書かれているので、そちらをご一読いただけるとありがたい。
↓
☆尚、現在「和歌山社会経済研究所にはURLの掲載の許可依頼中だが、
万が一、掲載不可の返事が来た場合は上記URLと社名は削除するので
ご理解いただければと思う。
(ブログ更新前に依頼すればよかったのだが忘れてしまっていた・・・)


某設計事務所。
建物の仔細は
わからなかったが、
「院医●●」と
右書きの石板が
残されていた。
木造2階建。
ガイドさんとの待ち合わせ時間なので湯浅駅へと向かう。

昭和2年(1927年)に建てられた駅舎を
改修し現在でも使用している。
駅前でガイドさんと落ち合い、
伝建地区(伝統的建造物保存地区)の
資料をいただき町の案内をしていただく。
ガイドさんによると全国の湯浅姓は、この湯浅がルーツだそうな。
町を歩きながら地形的なことなどもいろいろ教えていただきながら

嵐の中、みかん船を漕ぎ出す姿の像の前で
文左衛門が湯浅の出身と言われていることや
かの有名なみかん船の話、そして、
幼名が文平だったので、この像は「文平像」と
呼ぶのだというお話を伺った。
ガイドさんが着用してらっしゃる上着の背には
醤油壷の絵が描いてある。

かつての花街だった地区。
少し窪地になっているために窪地に由来した名前が
地区についているそうな。
この花街だった地区を抜け、道町(どうまち)。
昔の熊野街道だった場所にあり、
呉服と人形の「赤のれん」は明治時代の旅籠だった建物。

見える赤い
テントで囲ってある。

昭和初期に建てられた銅版の建物。
かつては駄菓子屋さんと理髪店が
使っていたそうだで、かなり大きな建物。

理髪店も営業されてらっしゃらないような
感じに見えた。
角地には、立石道標があり、
右は紀三井寺、左は伊勢、高野への
参詣道を平仮名で示してあった。
天保9年(1838年)に建立された
道標だそうな。
道町を通り、更にあちこち立ち寄りながら伝建地区へと向かうのだが、
写真が多くなてきたので続きは次回に・・・
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